優しい鼓動
(17)









 ベッドに近づくと髪の毛だけが覗いて見えた。
 布団を剥がすと雫がまるで胎児の様に丸まっていた。

「雫」

 呼びかけても返答がない。
 どうやら聞こえていないようだ。

 何がそんなに雫を苦しめるのか。
 起きている時、和磨達と行動している時も時折寂しそうな
 顔をしていた。
 『泣き出すのではないか』というような悲しい顔をしていた。
 馬場で流した涙は美しかったが、どうせなら笑った顔が見
 たい。

 始め緊張していた顔をしていたが、澤部の話術で次第に落
 ち着いた。
 そして少しずつではあるが顔に表情も。
 時折笑う事もあったが何処かぎこちない。

 『笑う』という事になれていない。
 というより笑い方が分からない、そんな感じ。
 雫の生活には不必要だったのだろう。

 笑い方の分からない雫に、笑い方を教える様に漆原と澤部
 が笑っていた。
 その甲斐あってか笑みが浮かび始めた。
 声を出して笑う事はなかったが、自然な笑みを浮かべるよ
 うになった。
 その事には雫自身気付いていない。

 雫自身が意識して笑う時には、ぎこちなさがあるのでその
 違いは直ぐに分かる。

 自然に浮かんだ笑みを見て、心から綺麗だと思った。
 誰かに対してこんな風に思ったことはない。
 
 常に共にいる漆原も整った顔をしているし、妹たちも美人だ
 とは思う。
 つき合って来た者達もそれなりに容姿は整っていたが、自
 然と綺麗だと思ったのは雫が初めて。

 常に笑みを浮かべていて欲しいと思った。
 こんな悲しい顔や泣き顔などは見たくない。

 そう思ったばかりなのに、目の前にいる雫は涙を流してい
 る。

 雫を苦しめるものに怒りを憶えた。
 
 全ての悪しき事から守ると改めて心に誓う。
 その前にこの悪夢から目を覚まさせないといけない。
 
 和磨はベッドに座り、丸くなって震えている雫を抱き上げ
 自分の膝の上に乗せた。

 唇が紫色になっており小刻みに震えている。
 額には汗が浮かびパジャマも汗で濡れていた。
 
「目を覚ませ、雫」

 少しでも落ち着くようにと背中を撫でる。
 声が届いていないようだ。
 和磨の腕の中でブツブツと何かを呟いている。
 聞くと必死に謝っていた。
 そして逃げ出してごめんなさいと。 

 何も荷物を持って来ていない理由を知る事が出来た。
 逃げ出す程辛い事があったとは。
 
しかし一体何から・・・・・

 雫を撫で見詰めていると

「僕が逃げなかったらみんなは助かったの・・・・? でも、僕
は耐えられなかった・・・・・ 一生懸命頑張って来たのに・・・
どうして・・・・・僕を売る程憎かったの? 教えてお父さん・・・
お母さん・・・・・」

家族に売られたのか?!

 切なくなり雫を抱きしめる。
 やくざという商売柄そういう者は大勢見てきた。
 その時は特に可哀想だのなんだのという思いは全く湧か
 なかった。
 借金が返せないなら体を売るのは当然という思いがあっ
 たのだ。
 しかし、自分が欲しいと思った者が家族に売られそうにな
 り、心を痛め逃げ出した事には真逆の思いが。

家族といえど、雫を泣かせる者は許さない
傷つける事は許さない
逃げ出して来たなら好都合・・・・・
雫の家族に対する処置を早々に考えよう
 
 和磨の目が鈍く光る。

 丸く固まっていた体から力が抜け、今度は逆にグッタリと
 なる。
 息が速くなる。
 過呼吸になっている。
 それでなくとも雫の体は華奢なのだ。
 体調も少し崩しているのに、これ以上体に負担を掛ける
 訳にはいかない。

 まずは呼吸を整えない事には。
 
 回りを見回すが適当な袋など見あたるはずもなく、薄く開か
 れた紫色の唇に和磨は唇を重ねる。
 兎に角余分な酸素を吸わせない事だ。

 急に口からの呼吸が息が出来なくなった為に苦しそうな
 表情を浮かべるが余分な呼吸がなくなった為に落ち着い
 てくる。
 呼吸が通常になったのを確かめ唇を離す。
 そして雫を抱いたまま少し体を移動させ、ベッドサイドに置
 かれている水差しの水をコップに移し口へと含み雫に口づ
 ける。
 
 開かれた口の中へ水を移すと、雫はそのまま飲み干した。
 同じように水を含み雫に与える。
 喉が渇いているのか、また直ぐに飲み干す。
 それを数度繰り返すと雫の唇から「はぁ・・・・・」と吐息が。

 どうやら落ち着いたようだ。

 冷え切った体が温まってきた為か唇に赤みが戻って来た。
 ふっくらとした唇が水に濡れ光り艶めかしい。

 今度は水を含まない状態で唇を重ねた。
 
 重ねられた唇から水が来ない事に焦れたのか、求めるよう
 に和磨の口腔に雫の舌が入ってくる。
 柔らかな舌に煽られ和磨がそれに吸い付く。
 水とは違う感覚に驚いたのか離れようとするが、それを許
 さず執拗に絡ませ、そのまま雫の口腔を貪る。

 暫く貪っていると、冷え切っていた体に完全に熱が戻った。
 唇を離すと顔色に赤みが戻っている。

 苦痛な表情もなくなっていた。
 
これなら大丈夫

「俺がいる・・・・・。 何も心配するな」

 雫を抱きしめた。
 すると意識のない筈の雫の両手が和磨に向かって伸びて
 くる。

 頬に触れると一瞬手が止まったが、そのまま確かめる様
 にしがみついてくる。
 その手が愛おしい。

「雫」

 抱きしめる腕に力を込める。
 少し息苦しそうに身をよじったが、離れる事はない。
 意識が覚め始めたのか、閉じられている瞼が動き始め長
 い睫毛が震える。

 うっすらと開かれた瞼。
 視点が定まらずボンヤリとしているが悪夢から解放された
 為か安堵のため息を吐く。
 何か話そうとしているようだが言葉になっていない。
 兎に角雫は自分の手を求めていた。

離さない

 このまま一人で眠らせておけば、また雫は悪夢を見るに違
 いない。
 苦しむ姿など見たくないし、そんな目に遭わせたくもない。
 側にいれば雫を悪夢から救ってやれる
 
「側にいる、ゆっくり眠れ・・・・・」

 そう囁くと雫が微笑み、ゆっくり瞼を閉じた。
 
 穏やかな顔に安堵する。
 
もう大丈夫だろう

 そう思い寝入った雫を抱き上げ、和磨は自分の寝室へ運ぼ
 うとするが雫のパジャマが濡れている。
 このままでは風邪をひいてしまう。

 そう思い一旦雫をベットの上へと置き、クローゼットを開け
 着替えを出す。
 
 着ていた物を全て脱がし乾いたタオルで汗を拭う。
 真っ白な肌。
 健康的とは決していえないその色。
 そしてやせ細った体に眉を顰める。
 辛い目に遭ってきたのだと、その体から推測出来る。
 しかしこれからは自分が側にいるいのだ。

 着替えさせた後そっと抱き上げ運んだ。
 同じようにそっとベッドへと降ろす。

 もう悪夢は見ていないようだ。
 
 和磨もベットに入り雫を抱きしめ眠りに入った。





 
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