優しい風

(6)





 入院費用は結局受け取って貰えなかった。
 どんなに言っても、頑として宗之は受け取らなかった。
 逆に、自分と一緒にいる時に倒れたのだから自分が
 支払いをして当然だと。
 雫が具合が悪い事に気づかずにいた自分の責任だ
 と言って。

 そして退院したその日から、宗之の雫に対する態度
 が変わった。
 
 暴力を振るわれるとかそんな事ではない。
 常に触れてくるのだ。
 
 人と接触する事に慣れていない雫。

 宗之と行動を共にし始めた頃、大学の食堂で人にぶ
 つかりそうになった時、宗之が肩を抱いて引き寄せて
 くれた為避ける事が出来た。
 しかし、その時思い切り身体がビクついてしまった。
 責める言葉や態度はなく、逆に「馴れ馴れしかったで
 すね、すみません」と気遣い謝ってくれた。
 それからは、宗之は雫に触れないようにしてくれてい
 たのだ。

 なのに今は、どんなに身体を強張らせても手を離して
 くれない。

 身体を強張らせるだけでなく、意図的に離れよう、腕
 から逃れようとしているのに、宗之は絶対離さなかっ
 た。

 何気なく肩を抱いたり、腰を抱いているように見えて
 もとても力強い。
 一度緩んだ腕から逃れようとしたが直ぐに捕らわれ
 てしまった。

「痛いっ!」

 とても小さな声だったが宗之には聞こえていた筈。
 しかしその手は離してくれなかった。
 痛さに涙が滲んでくる。
 涙の溜まった目で宗之を見上げると、一瞬驚いた顔。
 次の瞬間、今までの視線とは全く異なる物になって
 いた。
 雫の全てが飲み込まれて行くような視線。
 全身を絡め取る恐怖とネットリとした物。
 異様な輝きをしていた。
 身体が凍り付く。
 全身に悪寒が走った。
 
 家に帰り、その時掴まれた腕を見ると青紫色に変わ
 っていた。
 それ程の強さで掴捕まれた事がとても恐かった。

 一人で安心出来るのはこの狭いアパートのみ。
 その筈だったのに、この部屋にいても安心出来なくな
 っていた。
 いつも人の気配を感じる。
 誰かに監視されている、そんな気がしてならない。

 余りの息苦しさに気分を変えようと外に出ると、まる
 でそれを見ていたかのタイミングで宗之から連絡が
 入ってくる。
 「今何してますか」と。

 それに言葉に窮していると、「もしかして外にいるんで
 すか。 それならこれから食事にでも行きませんか」と
 か「ドライブに行きましょ」とか言ってくる。
 「欲しい本があるから」「近くのコンビニに行くから」と
 言うと、「じゃあ、俺が買って届けますから、家から出
 ないで下さい」と言って雫を外に出さない。
 「その位自分でするから」と言って携帯を切り、コンビ
 ニで買い物をしていると宗之が現れた。
 そして言葉は優しいのだが、目が怒りを湛えていた。
 激しい怒りに怯える。
 「これからは俺の言う事聞いてくれますね」と言われ
 震えながら頷くと満足した表情になり、持っていた物
 を精算し、気分転換しましょうと言われそのまま車に
 乗せられた。
 行った先は高級ブランドショップ。
 そこで雫の服を見繕い、着せ、気に入った物を購入
 した。
 自分の言う通りの物を着せ、されるがままの人形とな
 った雫を見て機嫌を戻していた。


 バイトでもそうだ。
 雫のバイト先は家の近くにあるファミレス。
 本当に近い場所で、家からバイト先が見えるのだ。
 
 そのバイト先に宗之は雫のバイトの日には必ず来て
 いた。
 周りにいる者はいつも違う。

 講義が終わった後、時間が合えば雫を迎えに来てそ
 のまま一緒にバイト先へ行き、雫が終わるまで待って
 いて、ほんの数十メートルまでのアパートへ送って行
 き帰って行く。
 だが部屋に上がって行く事はない。
 それが唯一の救い。
 この空間には入ってきて欲しくない。
 唯一の自分の場所。
 なのに今はこの空間でも安らぎはない。

 宗之と知り合ってから少しふっくらとしてきた身体も
 今はストレスの為に痩せてしまった。
 太ったといっても、一人暮らしをする前の体型に戻っ
 てきただけで実際は痩せている。
 もともと線の細い、華奢な体つきだったのだから。

 美味しいレストランに連れて行かれ、半ば無理矢理
 食べさせられたからふっくらとしたのだ。

 今は無理だ。

 食べないと身体が持たないのは分かってはいる。
 だが、身体が受け付けないのだ。
 その時無理矢理口へ運んでも10分もしない内に戻
 してしまう。

 料理を作ってくれた人にも、店の人にも申し訳ないの
 で必死に隠し、なるべく平気な顔をして席を立ちトイレ
 に行くのだが、狭い空間に入った瞬間力が切れる。

 戻す物が無くなり、胃液まで吐いてようやく治まる。
 
 そんな事を繰り返していた為に以前よりも痩せてしま
 った。
 何も言わないが宗之は気付いている筈。
 
 それが数日続いた。



 そして週末。
 父と約束していた週末が来た。

 父の胸の内を知っているだけに、帰りたくなかった。
 
 宗之の話を盗み聞きしなければ、一瞬だが幸せな気
 持ちで実家に帰る事が出来たのに。
 そんな事を思っても仕方ない。
 結局は知るのだから・・・・・
 後に知った方が絶望するだろう。 

 だが、少しホッとしている。

 なぜなら宗之から離れる事が出来るのだから。
 たった2日だけだが、自由になる。

 あの目から逃れる事が出来るのだから。

 そう思っていたのに・・・・・・・

 部屋を出ると宗之が待っていた。
 爽やかな笑顔で、車の横に立っていた。
 
どうして・・・・・・

「実家に帰るんですよね。 送って行きます」

 家を出る時間は教えていない。
 なのにどうしてここにいるのか?

 もしかしたらここで、雫が出てくるのをずっと待ってい
 たとか。
 いや、それはない。

 部屋を出る前にカーテンを閉めた時には、この場所
 に宗之の車はなかった。
 という事は丁度、雫が出た時に着いた筈。

やっぱり、見張られている・・・・・

 家の中にいて落ち着かなかったのはそのせいだろう。
 気のせいだと思っていた事が、確信となる。
 愕然としている雫の手から荷物を取り車へ積み込む。
 助手席のドアを開け雫を座らせ車を出した。

 考えが甘かった。
 ほんの数日でも宗之は自分を離すつもりはないのだ。
 
逃げられないの・・・・・

 横では宗之が楽しそうに話しているが耳に入って
 こない。
 ただひたすら窓の外を眺め、諦めている雫だった。





Back  Top  Next




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送