優しい風

(4)





 一旦溢れ出した涙はなかなか止まってくれない。

 嬉しくても涙が出るのだと初めて知った。
 顔を上げ、ここが外であった事に気付く。
 
 微笑みを浮かべながらハラハラと透明な涙を流す雫
 の姿は道行く人々を釘付けにした。
 足を止め、心持ち惚けた表情で見惚れていた。

 そんな視線に気付いた雫。
 屋外で泣いてしまったという事と、みっともない泣き顔
 を見せてしまった事を恥じ、頬を染め宗之達のいる
 店へ入って行った。

 泣いたせいで目が赤くなっている筈。
 こんな顔で席に戻る事など出来ない。
 トイレに行き鏡を見ると案の定目が赤かった。

 顔を洗ったら少しは赤みは引くだろうか?
 
 蛇口に翳した手には冷たい水が流れて行く。
 両手で受け顔を浸す。
 冷たい水は心地よかった。
 自分では気付かなかったが顔が火照っていた事を
 知る。
 何度か繰り返すうち、顔の火照りも気持ちも落ち着い
 た。
 備え付けのペーパーで軽く押さえ顔の水分を拭った。
 目の赤みも落ち着いている。
 これなら宗之達のもとへ戻っても気付かれないだろ
 う。

 席を立ってから大分時間が経ってしまった。
 トイレを出て席へ戻る。
 席は一番奥まった場所。
 何か言われはしないだろうかとドキドキしながら歩い
 て行く。
 ここの角を曲がれば宗之達がいる。
 曲がろうとした直前「雫」と自分の名前が聞えた。
 一体何を話しているのか。
 気になってその場に立ち止まり耳を傾ける。



「お前が屋代を落とすとは思わなかったぜ」

 この声は雫と同じ獣医学部の片岡の声。
 実習で同じ班になった事もあったが普段では話した
 事などなかった。
 宗之が言っていた知り合いとは片岡の事だったの
 だ。
 紹介された時に、片岡はかなり驚いていた。

 その言葉に宗之がクスリと笑っている。

「女好きなお前が男に走るとはな。 まあ、屋代なら走
っても仕方ないが。 俺がいくら『俺の学部に男のくせ
にもの凄い美人がいる』て言っても全然気にもかけな
かった癖にな。 いきなり俺んとこ来て『儚げな美人』だ
とか『妖精』だとか訳分かんねえ事聞いて来るしよ。気
持ちは分からなくないが、笑っちまったね」

「五月蠅い」

 不機嫌な宗之の声。
 ガン、と何かを蹴る音。

「何だ、人が教えてやったのにその態度かよ」

「だから?」

 険悪な雰囲気になっていく。

「まあまあ、片岡さんも、宗之さんも。 しかし、噂以上
に美人ですよね。 宗之さんが連れて来た時には、マ
ジ驚きましたよ。 あの人間嫌いで有名な屋代さんで
すよ。 話しかけてもみんな冷たくあしらわれるそうじゃ
ないですか。 宗之さんがいるから、まだ俺達話しして
貰えるんですから。 優越感バリバリですよ。 その屋
代さんを落としたんですから。 さすが宗之さん」

「そうですよ。 俺も間近で見た時には感動しましたね」

 人間嫌いとは誰の事なのだろう。
 話の内容から、自分の事なのだろうと思うのだが。
 別に人間が嫌いな訳ではない。
 好きで友達がいないわけじゃない。
 雫としても友人は欲しいのだ。

 昔の自分を知る者が殆どいない大学に入ってから
 友達を作ろうと努力はしたのだ。
 だが、話しかけても直ぐ顔を逸れされるし、そそくさと
 離れて行かれてしまった。
 
 やはりこんなに暗い性格では駄目なのだと、早々に
 友達作りを止めてしまったのだ。
 
 それがいつの間にか、周りには人間嫌いと思われて
 いたとは。

「ふん・・・・。 せいぜい頑張るんだな」

「勿論。 唯一俺だけが傍にいる事を許されてんでね。
片岡さんの事だから、一度は声かけたんじゃないんで
すか?」

 チッと忌々しそうに舌打ちが。

「ああ、かけたけどな。 一年の時は凄かったぜ。 競
って声かけてよ。 話しかければ話してくれてる。 でも
な、そこまで。 誰も見てない。 素通り。 俺だけじゃ
なくて他の奴らもそうだったらしいがな。 視線は確か
にあるんだが、意識は遙か彼方だ、あれ。 まあ、一
時期屋代の方から話しかけて来た事もあったんだけど
よ、目は同じなんだよ。 遠い目でガードが硬くって。 
まあ、あれだな。 話しかける奴は殆ど下心持った奴ら
だったから仕方ないていや仕方ないんだけどな。 あり
ゃ、本能で避けてたな」

 ショックだった。

 人間嫌いと思われていた事もそうだが、まさか自分
 がそんな態度をとっていたとは。
 自分では一生懸命友達を作ろうとしていたのに、実
 は遠ざけるような行動をしていたなんて。
 折角友達になろうと、声をかけてくれても、そんな失
 礼な態度、視線をしていれば相手もさぞ嫌な思いを
 したに違いない。

 それなのに「話しかけても顔を逸らされてしまう」「そ
 そくさと離れて行ってしまう」と、さも周りが悪いと思っ
 ていた自分がとても愚かだ。

 壁を背にもたれ掛かる。
 そうでもしないと蹲ってしまいそうだから。

「まあ、そのお陰で俺だけが傍にいられるんだけどね」

 宗之の声は弾んでいる。
 優越感に溢れた声。

「ところで、お前らどこまでいってんの?」

「あ、俺も気になります」

「どうなってるんですか?」

 興味津々な声。

「まだ何も」

「え! マジですか?」

 驚きを隠さない声が上がる。
 他の者達も同様に驚いた声を上げている。

 それもその筈、目を付けた者、女でも男でも当日に
 ベットに連れ込むのだから。

 それが一ヶ月も経っているにも拘わらず、まだ事に
 及んでいないのだから。

「ほお、お前にしては珍しいな。 そんなに屋代を大事
にしてるとはな」

 クックックとさもおかしそうに笑う宗之の声。
 
「大切? まあ良く言えばそうかもしれないね。 確実
に自分の物になるって分かっているだけにね。 焦ら
なくても雫さんは俺の物だからゆっくり落としていくよ」

 それは一体どういう意味なのか、皆が計り知れない
 でいるとそのタネをあっさり暴露した。

「昔でこそ屋代牧場はG1馬も出してトップクラスの厩
舎だったけど、今では落ちぶれて借金まみれ。 なの
にあそこの親子はプライドだけは高くってね。 昨日
行ってみたが始めは『馬の事も分からない若造』みた
いな目で話しかけても、相手にもしなかったのに、俺が
稲村の息子だと言った途端、顔も言葉もガラッと変
わって。 あそこまで変わると気持ちがいいね。 雫さ
んと仲良くしていると言った時のあの顔。 融資する
代わりに雫さんを寄こせと言ったら迷わず差し出すだ
ろうね。 まあそのつもりだけど」

「・・・・・お前最悪。 金で買うのかよ」
 
 隠れて聞いていた雫は目の前が真っ暗になり、その
 まま意識を失った。





 
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