優しい風

(2)





 校内にあるカフェの一席で向き合い、雫はホットココア
 宗之はコーヒーを注文し飲んでいた。

どうしてこんな事に・・・・・・

 雫はまだ熱いカップを両手で握りしめそっと様子を窺う。
 宗之は悠然とした態度でコーヒーを飲んでいた。
 そして雫の視線に気付きニッコリと笑う。

 見る者が見れば見惚れる笑顔だが、雫は宗之の別な顔
 を知っているだけに恐れが。
 白い肌が今は青白く見える。
 カップを持った手は震えていた。

 周りから見れば宗之を前にして緊張しているようにしか
 見えない。

「迷惑でしたか?」

 今まで黙っていた宗之が雫に聞いてくる。
 突然の事で身体がビクリと強張る。

 何も言わない雫に困った視線を向けながらも、宗之は話
 し始めた。

「自己紹介がまだでしたね。 俺は稲村宗之といいます。
法学部1年。 昨日たまたまこの学部にいる友人を訪ねて
来たときあなたを見かけて、ぜひお近づきになりたいと思
ったんです」

「・・・・・どうして・・・」

 か細い声で雫が聞くと、少し照れた顔で答えた。

「一目惚れなんです」

「・・・・・・・・」

「声をかけようと思ったんですが、あなたは走って何処かへ
行ってしまった。 幻かと思いました。 今そこにいたのは
本当に人だったのかって。 でも、友人にあなたの風貌を
話したら直ぐに分かった。 獣医学部3年屋代雫さん。 この
学部ではとても有名だから」

「有名・・・・ですか?」

 自分は何かやったのだろうか?
 今まで3年、特に失敗もなく目立った事もしていない。 
 どちらかと言えは地味で目立たない存在の筈。

それなのに有名・・・・・・

「ええ、嫋やかで儚げな美人だと」

「美人・・・・・ですか?」

 聞き慣れない言葉。
 言われたのは初めて。
 

 鏡を見るたびにため息を吐いていた。
 男らしくない顔。
 色も白く、身体も痩せ、体力もない。
 季節の変わり目には必ず体調を崩し寝込んでしまう。
 兄達を見るたびに『顔だけでも男らしい顔だったら、体格
 がよかったらみんなに可愛がって貰えたのかも』と思って
 しまう。
 しかし顔は変える事は出来ない。
 体格にしても。
 食が細いせいかもしれない。
 どんなに頑張って食べても太りもしない。
 体調のいい時、力仕事を手伝っても筋肉も付かないのだ。

どうして僕だけ・・・・

 目の前に座っている宗之の事をすっかり忘れ、一人鬱ぎ込
 んでしまう。
 
 俯き手元のカップを見詰める雫の姿はとても寂しそう。
 伏せた睫毛の長さ、ほんのり赤い唇。
 少し長めの髪から覗く白い項。

 どれもが宗之の欲情をそそる。
 雫は気付いていないが、雫を見詰める宗之の目はギラギラ
 としていた。
 獲物を見つけた目。
 その目に気付き、見ようものならば、直ぐさまその場を逃げ
 出すであろう獣の目。


 昨日雫を見かけ、仲間に聞き、知った雫。
 直ぐさま調べた雫の身辺。

 親しい者もいない。
 家族からは疎まれている。
 そして家はかなりの借金がある事。

 急いで手に入れようとすれば確実に逃げるだろう。
 それに急がなくても家の借金の事がある。
 雫を疎んでいる家族に申し出れば喜んで差し出すに違い
 ない。

急ぐ事はない・・・・・

 どす黒い目で舐めるように雫を見ていた。



「言われた事ないんですか?」

 突然聞えてきた声にハッとなり顔を上げると微笑んだ宗之
 がいた。
 すっかり忘れていただけに、急に声をかけられた事で動揺
 してしまう。

「あ、あの・・・・・」

「友達に言われたりしませんか?」

友達・・・・・

 友人と呼べる人物はいなかった。
 教室ではいつも一人。
 食事も一人。

 教室で一人本を読んでいると聞えてくる楽しい笑い声。
 見ると数人で集まって何かを覗き込んでいた。
 話の内容はどうやら車の事。
 中の一人が車を買うらしく、どんな車がいいかという事。
 肩を叩き合あったり、本を覗き込んだり、言い合ったり。
 楽しそうだ。

 食堂でも友達同士でおかずを交換したり、取ったり取られ
 たりして。
 
 一度もそんな経験がない。

「・・・・・いないよ」

 寂しさを抑え言う。

「え?」

「友達はいないから・・・・」

 言った途端宗之が顔を顰める。
 
「僕には友達はいないんだよ。 だからそんな言葉を聞くの
は初めてで・・・・・」

「信じられない・・・・」

 さも驚いた顔。
 しかし次の瞬間には、雫を安心させるような優しい顔に。

「じゃあ、俺と友達になって下さい。 いえ、友達になりましょ
う」

「え・・・・・」

 驚いた顔の雫。
 雫が何か言い出す前に宗之は話を進めていく。

「本当は恋人になって欲しいんですが、いきなり男から言わ
れても困るでしょうから、まずは友達からで」

「恋人・・・・って・・・・」

「ゆくゆく恋人になってくれればいいですよ。 ゆくゆくね・・・」

 突然の事にパニックを起こしている雫。
 恋人と言われても困る。
 友達と言われても。

 宗之の隠す裏の顔を知っているだけに。

 今見せている顔は優しくても、本当は残忍だという事を。

拘わりたくないのに・・・・・
近づきたくないのに・・・・・

「決まりですね。 今から俺達は友達です。 俺の事は『宗之』
って呼んで下さい。 友達になったんですからお祝いしましょ
う。 いい店があるんです」

「でも・・・・」

「何か予定でも?」

 予定・・・・・
 予定というか、バイトがある。
 昨日休んでしまったので今日休む事は出来ない。
 バイトがあると言って断ろう。

「・・・・・バイトが」

 宗之の顔が顰められる。
 まさか自分が誘って断られる筈がないと思ったようだ。
 
 宗之には大勢の友人がいるようだから何も自分が友人な
 どにならなくても。
 自分のように、宗之からの誘いを断る者もいないだろう。


 このまま気分を悪くして、自分の事など忘れてくれればどん
 なに有り難い事か。

 しかしそんな雫の思いは通じなかった。

「何時からですか?」

「・・・・・・・・」

「バイト、何時からなんですか?」

「4時からだけど」

「あと30分か・・・・・。 何時に終わります?」

 それは一体・・・・

「・・・・10時だけど」

「じゃあ、10時になったら迎えに行きます。 場所を教えて下
さい」

 迎えに来られても困る。
 宗之と友人になるつもりもないし、この先拘わりたくもない。

「でも、遅いから・・・」

「遅いからこそ迎えに行きたいんですよ。 夜の暗い道を一
人で歩かせるなんて、危険すぎる」

「でも・・・僕は男だから・・・・・」

「男でも。 雫さんは美人だから。 いいですね」

 有無を言わせない口調と、一瞬だけ覗かせた射竦めるよう
 な視線に怯え頷いてしまった。

「・・・・バイトに遅れるから」

 その場から逃げ出そうとした雫を「送って行きます」と強引
 に車に乗せバイト先まで。

 バイトの終わる時間に、宗之は言った通り雫を迎えに。
 そしてそのまま雫を車に乗せアパートまで送って行った。

 その日を境に、宗之は朝と夜の送り迎えをし、常に雫の横
 にいた。
 
 


 
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