優しい風

(1)





 行くあても無く飛び乗った電車。
 窓から見る景色は冷たかった。

 不安は沢山あったが、兎に角遠くへ行きたかった。
 誰も知らない街へ。
 自分の事を誰も知らない場所へ。
 人が多ければ多い程、紛れて見つける事は出来ない筈。
 
 全財産が入った通帳とカード、印鑑を普段から使っている
 小さな鞄にいれ、それだけを持って家を出た。
 大切な物など何もない。
 家族も友人も。
 
 家出だとは誰も気づかないだろう。
 普段と変わらない自分の姿だったから。

 少しだけ家族には申し訳ないと思ったが、我慢が出来な
 かった。





「明日から稲村の坊ちゃんの家に行ってもらう」

「・・・・・・・・分かりました。 ごちそうさま・・・・・」

 朝食を食べている時に言われた父からの言葉。
 いつか言われる日が来ると思っていた。
 母や、二人の兄はその事に関して止める事もしなかった。
 
「お前も役に立つ事があって良かったな」

「ああ。 体は弱い、力仕事も出来ない。 全く役に立たない
奴だよお前は。 まあ、料理が出来る事と顔が美人なだけ
まだましか」

 部屋を出て行く雫に向かって二人の兄はそう言った。
 母は無言だった。

 雫の外見は二人の兄と全く異なっていた。
 兄達は男らしい顔立ち。
 外で仕事をしている為、肌は日に焼けて浅黒い。
 力仕事をしている為筋肉も付き、体格も良かった。

 しかし雫は色が白く、体つきもほっそりとし綺麗と言われる
 顔立ち。
 とても儚げな風貌だった。


 
 雫の家は北海道の静内にある。
 静内と言えば競走馬の産地。
 雫の家は牧場を経営しており、競走馬の繁殖、育成をおこ
 なっている。
 昔、祖父の代にはG1に出走する馬もいた。
 G1で優勝した事もあったが、現在は低迷していた。
 それなのに厩舎を新しくしたり、他のG1馬と繁殖させた
 り。
 G1馬との繁殖は通常の馬よりお金がかかる。
 一回の繁殖に何千万。
 運良く子馬も生まれたが走らない馬だった。
 
『今年こそ良い子馬が生まれる』

 そう言いながら毎年繁殖に金を掛けた。
 結果は全てダメだった。
 そして今では膨大な借金が。

 しかし、もうどうしようもなくなっていた。
 牧場を手放さなくてはならないところまで来ていた。

 そんな時声をかけて来たのが稲村宗之だった。
 稲村は代議士の息子。
 北海道内だけではなく、国会内でも力のある稲村議員の
 次男。
 見た目は清潔感溢れ、皆からも慕われていたが事実は違
 う事を知っている。
 


 雫は少しでも家族の為に何かしたいと思い、獣医になる
 事を決めた。
 大学に行く事を、父と二人の兄は当然いい顔をしなかっ
 た。
 しかし、母が『雫が獣医になれば外から呼ばなくてもいい』
 と、『獣医代が掛からなくなる』と言うと、途端、父は態度を
 変え大学に行く事を許した。
 但し、国立という条件つき。
 幸い成績は良かったので受かる事が出来た。
 
 しかし、雫の家から通う事は出来ない。
 最低限のお金は出すと言われたが、それだけでは生活
 出来ない。
 バイトをしながら大学に通う事に。

 雫の家では父に逆らう事は許されなかった。
 母は父や兄のいない所で雫の事を可愛がってくれたが
 助けてはくれなかった。
 
 授業は厳しく、レポートも多かった。
 実習もあり毎日がヘトヘトになる程。
 間にバイトも入れていたので、細かった体は更に細くなっ
 ていた。

 忙しい毎日。
 友達と呼べる人物もいない。
 これは今に始まった事ではない。
 小中高と親しい者はいなかった。

 大人しすぎる性格。
 人見知りも激しい。
 始めの頃は雫の外見に興味を持ち話しかけて来る者も
 いたが、会話が続かず、一人、また一人と話しかける者
 が減っていった。
 今では必要最低限な事でしか話しかけて来なくなった。
 
 2年になって、ようやくペースも分かるようになり、身体を
 休める時間も出来た。
 3年になるとバイトの時間も少し増え、ほんの少しではあ
 るが貯金も出来るように。
 


 そんな3年のある日のバイト帰りでの出来事。
 裏路地で大きな物音が。
 そっと窺うと月明かりで照らされた若い男達の姿が。

「よくも、宗之さんに恥かかせてくれたな」

 一人の男が言い何かを蹴った。
 
「やめて・・・くれ・・・・」

 物が人だと分かった。
 
「なあ、お前誰のお陰でいい目にあってると思ってるんだ
?」

「・・・すいません・・・・・」

「それで許されると思ってるのか?」

「うっ・・うう・・・・・・・」

 周りにいた男達が蹲っている男を容赦なく蹴り飛ばしてい
 た。
 それを悠然と見ながらタバコを吹かして見ている男。
 ニヤニヤとしながら見ていた。
 酷く気持ち悪い視線。

「おい」
 
 タバコを吹かしていた男が、周りの男達に声を掛ける。
 男達は蹲っていた男を両脇から抱えた。
 そしてもう一人が声が出ないよう男の口を押さえ、服のボ
 タンを外す。
 宗之と呼ばれた男が、口に銜えていたタバコを男の体に
 押しつけた。

「―――――――!」

 口を塞がれた男が目を見開き、声にならない叫びが。
 
 雫は思わず悲鳴を上げそうになり、口を両手で押さえた。
 そしてジリジリと後ずさり、踵を返しその場を離れた。
 夢中で走った。
 どうやってアパートに帰ったのか分からなかった。
 気が付いたら朝。
 玄関で目が覚めた。


 
 玄関で寝た為に身体の節々が痛かった。
 いくら気候がいいといっても北海道の夜は肌寒い。
 喉の調子がおかしく少し熱っぽい。
 買い置きの市販薬を飲み、重い体を引き摺って大学に行
 ったが、授業内容は全く頭に入ってこない。
 その日の講義が終わり、バイトに行こうと構内を歩いてい
 た。
 本当は休んだほうがいいのだろうが、生活費が少なくなる
 のは困る。

 そんな事を考えていると、少し遠くの方から楽しそうな声
 が。

「宗之さん、この後何か予定はありますか」

 「宗之」という名前に反応した。
 見ると、昨日の路地で見た人物に似た男が数人の男女に
 囲まれていた。
 皆が気を引こうと必至に話しかけていた。
 昨日とは全く違う印象。

 爽やかな笑顔で「悪いけど、この後は予定があるから」と
 断っていた。

 「そうですか、残念」と言って取り巻き達はその場を後に。

別人?

 思って見ていると、雫の視線に気付いたようだ。

 一瞬驚いた顔。
 そして、ほんの一瞬、僅かに目が眇められた。
 その視線は昨日見た物と同じようなとても嫌な物。
 ネットリとした物。
 悪寒が走った。

 だが次の瞬間にはそれはなくなり、ニッコリと微笑んで
 来た。

 身体がビクリとなり、知らず反対方向に走り出していた。
 息が続く限り走った。
 
 気付くと奥の厩舎まで来ていた。
 慣れ親しんだ馬を見て落ち着きを取り戻す。
 
 だが直ぐ「宗之」の視線を思い出し身体が震えた。
 
 本能は告げていた。
 近づいてはいけないと。

 体調が悪いせいか、宗之の視線のせいか分からないが震
 えが治まらず、結局その日はバイトを休んだ。

大丈夫・・・・・今まで殆ど会う事も、見かける事もなかった
んだから。
もう、会う事はないはず・・・・・

 自室の布団の中で身体を震わせながら思った。
 だが、そんな思いは次の日見事に打ち砕かれた。

 講義が終わり教室から出るとそこに宗之が立っていたの
 だ。

「こんにちは」

 とても爽やかな、好青年の姿で・・・・・





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