優しい場所

(31)





 季節は移りゆく。
 冬から春へと。
 神崎家の庭の木々も芽吹きはじめ、桜の蕾も膨らみ始める。

今年は一緒に見られそうだ

 和磨は移動する車の中から外を眺める。

 季節だけではない。
 和磨達の中で止まっていた『刻』時が動き始めた。

 時は過ぎて行くが、雫と共に過ごしていく『刻』は命の炎が消え
 た時から止まってしまった。
 その後、奇跡的に命の炎が灯った事で、和磨の中での『時』が
 動き始めた。
 だが本当の意味で、雫は取り戻せていない。
 『時』は動いても、『刻』は止まったまま。

 しかし、懐かしい人の夢を見て何かが変わると期待した。
 狩野が『大丈夫だ』と言った通り、雫は和磨の元へと戻って来
 た。
 これ程の歓喜を今まで味わった事があるだろうか。
 
 雫の目覚めは、直ぐさま神崎本家に伝えられ、皆の知るところ
 となった。
 屋敷内に歓声が沸き起こり、今まで沈んでいた組員達が活気
 づく。

 磨梨子からの指示で屋敷内が一気に慌ただしくなる。
 本当なら病院でリハビリを行う予定が、和磨の強い希望で自宅
 で行う事になり、その為の施設、他、静養出来るようにと離れ
 の屋敷を建てる事にしたと。
 
 清風会本部内に建てられるのだから、当然身内で、その中か
 ら人が厳選された。
 設計には深山が立ち会い、意見を言い、雫がリハビリするのに
 そして、安全でより快適な生活がおくれるようにと。

 和磨は和磨で、自室の改装を急ぎ行うように指示を出す。
 磨梨子の指示で、離れが急ぎ建てられる事になったが、どんな
 に急いでも出来上がるまでには最低二ヶ月はかかる。
 その間、雫は元の自分の部屋での静養となるのだが、和磨と
 の部屋は別のまま。

 今までは雫の部屋に仕事を持ち込み、処理していたが、それは
 雫が眠っていたから。
 勿論月に数日目を覚ます事はあったが、覚醒していない状態。
 人の気配、話し声が刺激になるかもという理由で和磨はその
 部屋で仕事をしていた。

 しかしこれからは違う。
 起きている時間より、寝ている時間は多いだろうが、雫は己を
 取り戻した。
 部屋に人の出入りがあり、話し声がすれば、いくら眠っている
 とはいえ、穏やかな眠りにはならないだろう。

 一日も早い回復を願う和磨には、雫の快方を邪魔する事など
 絶対に出来ない。
 だからといって、雫の姿が目に届かないのは我慢ならない。
 時には目を覚ますこともある。
 そんな時、直ぐにでも側に行けるようにしたかった。

 優しい穏やかな瞳に、己の姿を映し、そして自分はここにいる
 のだと、雫に知って欲しかった。
 だから和磨は己の部屋の壁の一部を取り壊し、そこに強化ガ
 ラスを入れる事にした。

 部屋は分かれているが、ガラス越しに雫の姿を見る事が出来
 る。
 目覚めの気配を感じれば、直ぐに雫の元へ行ける。
 和磨の部屋に人が出入りしても、雫の部屋は煩くならない。
 全ては雫の、強いては己のため。

 雫だけがいればいい。
 戻ってきた最愛の者。
 二度と奪われない為にも、側で見ている必要がある。
 
漸くこの手に・・・・

 車の窓から見えてきた一ノ瀬病院を強く見詰めた。



 雫が奇跡的に目覚めてから一週間。
 一ノ瀬病院に検査や様子見という事で入院していたが、特に
 問題もない事と、和磨の強い希望により今日から神崎の屋敷
 へと戻る事となった。
 急がせた、和磨の部屋の改装が昨日で終わったからだ。

 病室に入ると一ノ瀬、深山が揃って和磨達を迎える。
 雫は眠っていた。

「調子はどうだ」

 雫に目を向けながら、どちらともなく問いかけると、一ノ瀬が何
 も問題はないと答えた。
 
「和磨さんが、来る少し前までは起きていたんですが、タイミング
悪かったですね」

 雫も会いたがっていたらしい。
 視線が和磨を捜していたと、深山が言う。

 和磨も起きている時に来られなかった事を残念に思うが、今
 日からは違う。
 側にいるから、起きた時には直ぐ側に行く事が出来る。
 この日をどれ程待った事か。

「車の用意は調っています。 いつでも大丈夫です」

 和磨の後に控えていた漆原が、一ノ瀬に告げる。
 
「行きましょうか」

 雫をストレッチャーに移し移動する。
 そのまま車に乗せ、一ノ瀬も共に車へ乗り込んだ。
 念のため付き添う事にしたようだ。

 車が動き出す。
 雫達の乗った車の前後を、神崎の車で固め。
 通勤時間帯は避けての移動だが、平日な為道路は混んでい
 た。
 そして何事もなく、無事雫を乗せた車は神崎本家の門を潜り抜
 ける。

 入り口には、屋敷に詰めていた組員が整列し和磨達を迎える。
 その他にも、清風会幹部、雫の退院を聞きつけた二次団体で
 はあるが、特に和磨に忠誠を誓う日垣、光聖会、黒聖会等の
 組長と幹部の姿も見られた。

 漆原、澤部、一ノ瀬が先に車を降りる。
 榎本が後部座席のドアを開けると、雫を腕に抱いた和磨が姿
 を現した。

 漆原が屋敷に着く前に、雫は眠っているので静かに出迎える
 ようにと連絡を入れていたので、出迎えの声は掛けられなかっ
 たが、和磨の姿を見ると、彼等は一斉に頭を下げた。

 腕の中にいる雫は、命を取り留め戻って来た時を同じように目
 が閉じたまま。
 それから一年以上経っても意識は取り戻す事はなかった。

 そして、今回意識を取り戻したと連絡が入り、今こうして戻って
 来たのだが、瞳を閉じたままの姿を見ると、本当に雫は意識を
 取り戻したのだろうかと疑心暗鬼になる。

 そんな彼等の前を和磨がゆっくり歩いていると、腕の中で眠っ
 ている筈の雫が僅かに身動ぐ。
 立ち止まり雫を見下ろすと、睫が震えた。
 目が覚めたようだ。

「雫」

 突然立ち止まった和磨。
 雫に呼びかける姿に、その場にいた者の期待が高まる。
 時間にして僅か一分だが、彼等には途轍もなく長く感じられ
 た。
 
 ゆっくり、本当にゆっくりだが、雫の瞼が開き始める。
 夏と違い、春の日差しは柔らかいのだが、雫には眩しいのか
 なかなか瞼が開かれない。
 和磨が体の向きを変え、雫の顔に日が当たらないよう、己の体
 で日陰を作る。

 少しだけ眩しさが取れたのか、またゆっくりと瞼が開かれて行
 く。
 眠りから覚めたばかりのその瞳は、ぼんやりと和磨の顔を映し
 出していた。
 和磨は雫の意識がはっきりするまで、静かにその場に立ち止
 まったまま。

 一分、また一分と時間が過ぎて行く。
 長すぎる沈黙だが、誰も文句を言う者はいなかった。
 
 虚ろだった瞳が、しっかり和磨の姿を捉えた。
 和磨がフッと笑う。
 穏やかで優しい笑みに、それを見た組員達が目を見張る。
 
「分かるか?」

 和磨の問いかけに雫が瞬きで返事を返す。

「戻って来たぞ」

 そう、雫は戻ってきた。
 もう何処にも行かせない。
 雫が戻るのは、己の元だけ。
 二度と、どんな形であっても、離れる事は許さない。

 位置を変え、雫の目に屋敷が映るようにする。
 屋敷は大きすぎて全てを映す事は出来ないが、瞳には屋敷玄
 関があり、その奥の上がり框には征爾達の姿が見えた。

 か細い息が漏れ、ゆっくり瞬きをする。
 声にはならないが、「ただいま」と言っている気がした。
 以前とは明らかに違う姿。
 雫の顔を見る事が出来た組員の一部では涙を流し、歯を食い
 しばって声を出さないようにしていた。

 声には出さず、皆「お帰りなさい」と雫の帰宅を頭を下げ喜ん
 だ。

 新しい生活が始まる。
 今の雫。
 話す事、体を動かす事も出来ない。
 元の生活が送れるようになるのは何時になるのか分からな
 い。
 体が回復していけば、ままならない体をもどかしく思うだろう。
 人から手を差し伸べられた事がほとんどなく、甘える事を知ら
 ない雫にとって、誰かの手を借りなくてはならない事を心苦し
 く思うはず。

 肉体的、精神的にも辛い日々が続くはず。
 些細なことも見逃す事なく、雫を支えていこうと和磨は誓う。
 急がず、ゆっくり進んで行けばいい。

 真綿に包むが如く、今まで以上に大切に。
 それが出来るのは自分だけ。

その瞳に俺だけを映せ

 しっかりとした意識を持ち、己を見詰める雫の体を気遣いなが
 ら、そっと腕に力を込めた。





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