優しい場所

(23)





 雫の意識が戻ったと聞き、本家からは磨梨子が、寮に入って
 いた勇磨達も病院へと駆けつけた。
 征爾は現在海外から訪れた客人との会合で来ていないが、終
 わり次第病院に訪れるとの事だった。

 一旦目覚めた雫だが、体力が低下していたため、雫は磨梨子
 達が到着する前に眠ってしまった。

 目の前の和磨に、安堵した顔をしていたが、声が出ない事、体
 が思うように動かない事に戸惑い不安に陥っていた。
 だが、和磨が「心配するな、今は眠れ」と静かに告げ、労る手
 つきで優しく髪を撫でているうちに安心したのか、眠りについ
 た。

 少し前までは、雫が瞳を閉じた時点で二度と目を覚まさないの
 ではという不安にかられていたが、今は雫が目を覚ますと確信
 しているので、眠りについても差程心配はない。
 
 本来、心の強い雫。
 夢の世界から戻った今、二度とその場所に戻る事はないはず。
 もし万が一戻るような素振りを見せたなら、和磨は全身でそれ
 を止めるだろう。

雫のいない世界など、何の意味もない

 今はゆっくり眠って、一日も早く回復して欲しいと願っている。
 あの柔らかい声で名前を呼んで欲しい。
 優しい笑みを見せて欲しい。

「和磨、本当に雫さんは・・・・」

「兄さん・・・」

 眠る雫の姿に不安を隠せない磨梨子と勇磨。
 そんな彼等を安心させるように、病室にいた一ノ瀬が説明す
 る。
 
「精神的にも肉体的にも疲れは見られますが、特に問題はあり
ません。 先程目覚めた時も、今までとは違い、意識もはっきりと
していました。 もう大丈夫」

 その言葉に、磨梨子は涙を流す。
 
「良かった。 本当に良かった・・・・」

 雫が刺された事に磨梨子は大きく責任を感じていた。
 和磨は一言も攻める言葉を言わなかった。
 征爾も「間が悪かった」としか言わなかった。
 例えタイミングが悪かったとしても、もっと気を付けていれば皆
 がこんなにも辛く悲しい思いをしなかったはず。

 このまま目が覚めなかったらと思うと、磨梨子は自身が許せな
 かった。
 しかし、奇跡は起きた。
 雫が目覚めたのだから。
 今度は確実な目覚めだと言う。
 
 今まで不幸であった雫。
 これからは愛情を込め、誰よりも幸せにしてやりたい。
 和磨と共に幸せになって欲しいと願う。
 
「どの位で退院出来る」

 和磨は目覚めた雫を一刻も早く手元に置きたいと願っていた。
 だが今直ぐにという訳にはいかないのも分かっている。
 体に異常がないか検査しないと、安心出来ない。
 
「そうだね。 検査は一日で終わるとしても、退院はまだ先になる
かな」

 一日で終わると聞き安心した反面、一日で検査が終わるのに
 何故直ぐ退院出来ないのか。 
 一ノ瀬の言葉に和磨は眉間に皺を寄せる。
 理由があるのだろうが、納得出来ないでいた。
 そんな和磨の様子に一ノ瀬は苦笑する。
 今まで誰に対しても無関心で、人を気遣う事のなかった和磨が
 これ程までに一人の人間に対して執着するのだから。
 
 愛を知ることなく人生を終えるのではないかと思っていた。
 だが、そんな心配をよそに和磨は最高の宝を、雫という存在を
 見つけ手に入れた。
 特殊な環境にいるだけに、幸せになって欲しいと願っていたと
 ころに雫が現れた。
 本当に良かったと思っていたのに・・・・
 
 雫が刺され、そのまま眠り続けた後常に側にいて献身的に介
 護していた和磨。
 誰よりも雫の目覚めを心待ちにしていただけに今回、雫が正気
 に戻った事を喜んでいる。
 側に置きたいという気持ちは痛い程分かるが、この先生活して
 いくにはこのままという訳にはいかない。

「和磨君。 意識がない時であれば仕方ないが、雫君は今意識を
取り戻した。 体に何か障害があるのなら今のままでも仕方ない
が、雫君は体は正常なんだよ。 目覚めたのであればこのまま寝
たきりという訳にはいかない。 この後リハビリを開始して一日も
早く元の生活に戻してやらなくてはならないんだ。 自分の手で
何かを作りだし、自分の足で歩ける楽しさをもう一度あじあわせ
てやりたいとは思わないか?」
 
 リハビリという言葉に和磨の心が冷静さを取り戻す。
 そう、雫は正気を取り戻したのだ。
 僅か一瞬ではあったが、意識を取り戻した雫。
 その時、己の体が自由に動かない事に訝しみ、もどかしく思っ
 ていた。
 次に目を覚ました時、己の体の現状を知れば愕然となるはず。
 介護される日々を送れば、心優しい雫は居たたまれなくなるだ
 ろう。
 リハビリは雫の心身共に必要な物。

 リハビリを始めたとしても、今の状況から見てもそう簡単に回
 復出来るはずもない。
 リハビリの入院期間は決められており、日数が来たら退院とな
 るが、目覚めた雫を手放す気はない。
 
「それは自宅でも可能か」

 真剣な表情に、和磨の本気が窺える。
 今の和磨には何を言っても無駄だろう。
 それに一ノ瀬自身、和磨の願いを叶えてやりたいと思ってい
 た。

「元々、深山君は理学療法士だけでなく作業療法士の資格も持
っている。 問題はないだろう。 しかし、リハビリするにあたって
必要な器具もある。 それさえあれば自宅でのリハビリは何も問
題はない」

「漆原、深山に必要な物を聞いて急いで手配しろ」

「分かりました」

 考える事なく和磨は漆原に指示を与える。
 漆原も疑問に思う事なく、和磨の指示に従う。
 必要な物を手に入れるべく、深山と共に病室を後にした。
 これで問題は一つ解決した。
 後は何日で器具が揃うかだ。
 一日でも早いほうがいい。
 漆原が手配するのだから、遅くとも明後日には必要な物は揃っ
 ているだろう。
 後は環境だ。

 神崎本家は広く、開いている部屋は沢山あるが、そこでリハビ
 リとなるときっと雫は気を遣うはず。
 磨梨子達と打ち解けたとはいっても、和磨や漆原達と比べると
 まだ遠慮が見て取れたから。
 誰に気兼ねなくリハビリに打ち込めるようにするには、また別な
 環境を作ってやる方がいいはず。

「澤部」

 控えていた澤部を呼び、マンションではなく手頃な一軒家を探
 すよう指示を出す。
 景色のいいマンションより、緑に囲まれた一軒家の方がこれか
 ら始まる辛いリハビリの慰めになるだろうと考えて。

 しかし、和磨と澤部の遣り取りを聞いていた磨梨子が待ったを
 かけた。

「折角目が覚めたのに、離れて暮らすなんて嫌よ。 あなたにと
って大切な人であるように、雫さんは私にとっても大切な子。 息
子同然。 同じ建物内で人目が気になるというのなら、離れを造
ればいいわ。 それなら雫さんも誰に気兼ねする事なくリハビリ
に励む事が出来るでしょ。 庭の一つや二つ壊しても征爾さんは
何も文句は言いません。 屋敷から離れるのは駄目」

 いつもは和磨のやる事に反対しない磨梨子だが、この時は反
 対だと言い切った。
 磨梨子は雫の事を気に入っていたし、神崎の屋敷内にいれば
 身の安全は確か。
 仕事が忙しくても必ず屋敷に戻るようにはするが、どうしても戻
 る事が出来ない事もあるかもしれない。
 そうなった時、磨梨子や征爾達が側にいれば和磨自身安心出
 来る。
 離れを造っていいというならば、遠慮なく造らせて貰おう。

「直ぐ手配しろ」
 
 離れを請け負うのは清風会系列の建築会社となる。
 だが、神崎本家は清風会の本部でもあるため、同系とはいっ
 ても屋敷内に入る人間は慎重に選ばなくてはならない。
 
 現在シマを巡っての争い、その他にも大きな抗争などはないが
 万が一の事を考えて、本人やその周りの環境に黒い物がない
 かをはっきりさせる必要がある。
 早くても2日後となるだろう。

 その間に屋敷奥をリフォームさせる事にする。
 これは屋敷内に詰める組員に元大工が数名いるので問題は
 ない。

 寝ているとはいえ、これ以上部屋にいるのは良くないだろうか
 らと、磨梨子達はまた来ると行って帰って行った。

 そしてその日の夜遅く、会合を終えた征爾が側近である光聖
 会組長槇、と若頭である須藤、黒聖会組長小野寺剣龍を伴っ
 て訪れた。

 運が良い事に彼等は目を覚ました雫と会う事が出来た。
 以前とは違い、はっきりとした光を瞳に持つ姿に彼等は驚か
 された。
 寝たままで、満足に声を出す事も出来ない事に恐縮する姿は
 あまりにも切なく、彼等は直ぐ病室を後にした。

 そして翌日目を覚ました雫に、少しは落ち着き自分の状況も把
 握出来ただろうと、一ノ瀬が現状を説明する。

 あれから一年以上の月日が経った事。
 寝たきりでいたために筋肉が衰え体が動かない事。
 他にも声を出すことが出来ないという事を。
 だが、それらはリハビリする事により全て元に戻るという事を雫
 に説明した。
 その事実が衝撃だったのか、雫は暫くの間呆然となっていた。
 
 少し早すぎたかと思ったが、聡明な雫にいつまでも隠しておく
 事は出来ないし、元々心が強い雫なら現状を受け入れられる
 だろうと思ったから、一ノ瀬は正直に話すことにしたのだ。

 暫くすると、雫は隣りに立つ和磨を見た。
 瞳が本当なのかと問いかけている。
 
「本当だ。 これからのリハビリは辛いものになる。 出来るか」

 雫なら出来るだろうと思っているが、和磨は問いかけるように
 言った。

 ジッと和磨を見つめ、首は動かす事が出来ないので、ゆっくり瞬
 きをする事で「出来る」という意志を伝えて来た。
 
強い

 他の者ならパニックを起こすだろうが、雫はパニックを起こさな
 かった。
 通常なら受け入れがたい事実でも、雫はこの短時間で受け入
 れ自分の中で消化した。
 
 優しくて強い雫。
 だからこそ和磨には雫が必要であった。
 雫がいるから人の心が僅かであるが取り戻せる。

「深山」

 部屋の入り口に控えていた深山を呼び寄せる。

「雫、深山だ。 お前の身の回りの世話とリハビリを手伝う」

 深山が雫の側に来てベッド脇にしゃがみ込む。
 雫と視線を同じ高さにして、警戒されないよう優しい笑みを浮
 かべた。

「起きてからは、初めまして。 深山仁と言います。 あなたが目
を覚ますのを楽しみにしていました。 これからは一緒に無理を
せず頑張りましょう」

 柔らかい口調と、笑顔に安心したのか、人見知りが激しい雫に
 は珍しく怯えなかった。
 まだ起きている事に慣れないのか、ゆっくり息を吐くと瞼を閉じ
 てまた眠りへ落ちていった。
 その際、和磨に微笑んだのを彼等は見逃さなかった。

 見たいと思い続けていた雫の微笑み。
 この微笑み一つで和磨の心が温かくなる。
 今度こそこの笑顔を無くさないようにしなくては。

二度と奪われないよう

 和磨はそう思った。





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