優しい場所

(21)





「ここは・・・・・」

 仕事が終わった国分。
 迎えに来た榎本の車に乗り、着いたのは昨日とは違うマンシ
 ョン。
 診療所から程近いが、不安を感じていた。
 だが、部屋に入り雫がいたので驚いていた。
 それもその筈。
 昨夜帰る時には何も聞かされていなかったのだから。

 和磨達は何も言わなかったが、その意志に気付いたのか、国
 分が「ありがとうございます」と頭を下げた。
 この日は雫の家族の事には特に触れず、雫が好きだという馬
 の話、他にも漆原達から聞いた神崎家での話を聞かせてい
 た。
 
 国分の診療が始まってから約2週間。
 月は殆ど欠けてしまったが、意外にも治療は順調に進んでい
 た。
 人に対して反応はいまいちだが、動物、特に馬や花などに意
 識が向くようになっていた。
 起きている時間も大分長くなった。
 誰もが回復に向かっていると思っていた。

 いつもなら国分の迎えは榎本に任せているのだが、その日は
 和磨が国分を迎えに行くことにした。
 診療所の扉には診療終了の札が。
 ノブを回すと鍵が掛かっていなかったので、中へ入って行く。
 受付に電気はついているが人影はない。
 構わず奥に入って行くと話し声が聞こえてきた。

「いつまで通われるつもりですか!」

 国分とは違う男の怒鳴り声。
 診療所で働く助手の声。
 漆原達の年齢より一つ上の33歳。
 背は高いが体格がいいというわけではない。
 繊細というよりは神経質っぽく、和磨達の事を見下した目で見
 ていた。
 だが目を合わすと直ぐに逸らせ恐怖で体を震わせる。
 澤部はその男を見て『カマキリに似てる』と言い笑っていた。

北村、とか言っていたな・・・・

「いつまでって、勿論患者さんが良くなるまでです」

 今度は聞き慣れた国分の声だ。
 和磨達は声を掛ける事なく気配を殺し会話に聞き入る。
 
「良くなるまでって・・・・。 いつになるか分からないじゃないで
すか。 それでなくても毎日予約患者さんがぎっしりで疲れてい
るのに、こんな調子で毎日通われていたら先生が先に倒れて
しまいます。 私は先生が心配なんです」

 その声には妙に熱がこもっている。
 
「こんな事は言いたくはありませんが、その患者意識がないそう
じゃないですか。 それに、あの榎本とかいう男やくざなんです
よ! それも国内最大の暴力団清風会の!」

 北村は和磨達がやくざである事を知ったらしい。
 誰かから聞かされたのか、それとも自分で調べたのか。
 だから見下した態度を取るのだろう。
 社会のクズだという。
 
「先生が今通われているあのマンションの患者は男で、その清
風会組長の息子の愛人だそうじゃないですか。 やくざなんて
社会のクズです! そんな男の愛人なんてろくなもんじゃ。 や
くざなんかと拘わって・・・。 その患者だって治るか治らないか
分からないのに。 もしかしたら治らないのが分かっていて態と
先生に診察させているとか。 それをネタにして先生の事を脅
そうとしているのかもしれないんですよ!」

 雫を悪し様に言われ、和磨の気配が変わる。
 自分達の事なら何を言われても構わないが、純粋でどこもまで
 も真っ白な心の持ち主である雫を侮辱した北村は許せない。
 和磨達の間に殺気がこもる。

「北村君!失礼な事を言ってはいけない。 例え神崎さん達がや
くざであったとしても、それは私には関係ない事、それに雫さんは
そんな人ではありません」

 諭すように柔らかく国分が言う。
 国分は和磨達の正体を知っても差別や軽蔑をする事なく、擁
 護した。
 殺気が少しだけ薄らぐ。

「そんな人じゃないって・・・・。 話したこともない、意識のない人
間ですよ。 何が分かるんですか!」

 非難の声を上げる北村。

「どんな人であっても、私にとっては大切な患者。 助けを求めて
来た人。 それを相手がやくざだからと差別するのはどうかと」

「何を言ってるんですか!? 差別も何も、やくざはやくざです。
今は大人しくしているかもしれませんが、いつどんな事で本性を
現すか。 脅されてからじゃ遅いんですよ」

「・・・・北村君」

「っ!」

 静かな口調に、叫んでいた北村が何かを感じ取ったのか静か
 になる。

「確かに君が言う通りかもしれません・・・・」

「だったら!」

「でも、彼等を見ているととてもそんな酷い人達には見えませ
ん」

「それがやくざの手なんですよ!」

「君は見てないから・・・・・。 彼は、神崎さんは、雫さんをそんな
道具のように扱う人ではありません。 本当に目覚めて欲しいと
、ただ純粋にその日を待ち望んでいるんです。 それに・・・・」

 急に黙った国分に北村がその先を促す。

「私が彼の所に通いたいと思っているんです。 彼等は、やくざ
なのかもしれない・・・・。 でも、私達も同じ人間です。 誰かを
愛し愛され。 なまじ私達より純粋なのかもしれない・・・・」

 人間は醜い。
 国分がカウンセリングをしていると、中には自分のエゴばかり
 を突き付け正当化する人間がいる。
 それに比べると和磨達はただ純粋に、雫に目覚めて欲しいと
 願っている事が伝わってくる。
 
「男とか女とか関係ない。 愛する者を取り戻したいと願い続け
る彼等の心はとても美しい。 私は雫さんが羨ましい。 愛する
人が側にいる神崎さんが羨ましい・・・」

 国分自身、愛する者を失っただけに、和磨の気持ちが良く分
 かっている。
 もう一度この手に取り戻したいという気持ちを。
 国分の家族は既にこの世にはいないが、雫はまだ生きてい
 る。
 自我がないので、生きてはいるが人形と変わりない。
 しかし、確かにこの世に、目の前にいるのだ。
 己の手に取り戻したい、声を笑顔を取り戻したいと願って何が
 悪い。

 やくざだから願っては駄目なのか。
 ふざけるなと言いたい。
 しかし和磨達を軽蔑している北村に言っても無駄な事。
 国分さえ分かって協力してくれればそれでいいと思った。

 これ以上彼等の話を聞いているのは無駄であり、雫の治療が
 遅れてしまう。
 漆原に視線を送る。
 
「お話中申し訳ありません。 そろそろ宜しいでしょうか」

 話を打ち切る為、北村には牽制の意味をこめ漆原が少し大き
 めな声で話しかけ開かれているドアの中に入っていく。
 その後に和磨達も続き入って行くと、北村の顔は蒼白となり思
 いきり動揺していた。
 一方の国分は顔を赤らめていた。
 恥ずかしい事を聞かれたと思っているのだろう。

 彼等の話の内容を追及する事はせず、いつもと変わりない態
 度で接する。

「支度は出来ているのか」

 和磨の言葉に、国分は我に返り慌てて鞄を持つ。

「お待たせして申し訳ありません。 もう出られます。 北村君、後
お願いします」

 いまだ蒼白のままの北村に声をかけ部屋を出て行く。
 和磨達も続くが、部屋を出る時チラリと北村を見ると憎悪の眼
 差しで和磨を見ていた。

 特に気にする事はないと思うが、念のため榎本に注意するよう
 言いつけた。
 その後も、和磨達に直接何かを言ったり行動を起こす事はな
 かったのだが、憎悪をぶつけてきた。

 
 
 治療が進むと共に、欠けていた月が次第に姿を取り戻してい
 く。
 そして雫にも変化が起きていく。
 国分が花、動物などを見せると意識が向くようになっていたが
 今では国分が話しかけなくても、鳥の囀りが聞こえると自然と
 意識が向くようになっていた。
 他にも窓から入る日差しが眩しかったりすると、僅かに目を細
 めたり。
 部屋が7階であるので景色は空しか見えないが、ベッドの背も
 たれを上げ、窓の外を見せる時、今までは深山が支えていな
 くてはならなかったが、短い時間であれば支えなくても大丈夫
 になっていた。

 急速に快方へと向かって行く雫。
 後数日で今年に入って3度目の満月が訪れる。
 その時にはどうなっているのだろう。

少しは俺を見てくれるのか?

 もう少し温かくなったらマンション近くにある公園に雫を連れて
 行くのも良いかもしれない。
 桜が咲くにはまだ早いが、大きな池がありその周りには沢山の
 桜の木が植えてある。
 神崎の庭に比べると劣るだろうが、それでも美しいだろう。

 取り敢えず二日後には一ノ瀬で検診がある。
 体には特に問題はないだろう。
 今度の検診には国分も付き添うと言っている。
 国分の診療も同時に行われる予定だ。

その時どんな変化が起こるか・・・・・

 眠る雫を見下ろした。



 検診当日。
 寒さが暫く続いていたのだがその日は天気も良く、暖かな日と
 なっていた。
 国分とは一ノ瀬で待ち合わせ。
 予約は11時。
 一ノ瀬とは目と鼻の先の場所にあるので急ぐ事もないのだが
 少し早めに行き、敷地内の庭を散歩する事にした。
 寒くはないが、念のため雫を暖かな毛布でくるみ車へと。
 
 一ノ瀬に着くと待ち合わせ時間にはまだ早いのに国分は既に
 到着していた。
 
「診察前に挨拶をしに。 神崎さん達こそ早いですね」

 和磨の腕の中にいる雫を覗き込む。

「おはようございます、雫さん」

 話しかけられ雫の視線が国分へと向く。
 依然瞳に光は戻っていないが、取り敢えず意識は向けられる
 ようになっていた。

「いいですね、大分良い方向に向かっています」

 揃って歩き始めた。
 その後から榎本と澤部がついて来る。
 漆原は一ノ瀬の元へ検査の確認をしに行っているためここに
 はいない。

 特に何を話す訳でもなく、並んでゆっくり庭を歩く。
 穏やかな空気が彼等を取り巻いていた。

「先生!」

 穏やかな空気を突然壊す声。
 見ると助手の北村が立っていた。
 変わらぬ憎悪の眼差し。
 だがこの日はいつもと違っていた。

 整髪料で綺麗に整えられていた髪は今は櫛も入れていないの
 か乱れており、来ているシャツもアイロンが掛かっていないの
 か皺だらけ。
 少しでも皺になれば顔を顰める程神経質だった筈なのに。
 今の姿は荒みきっており、全身からどす黒さが漂い、目が異様
 にギラついていた。
 狂気を孕んだ北村に和磨が目を眇める。

 ゆっくり近づいてくる北村。
 後に控えていた澤部達が和磨の前に出る。

「先生、私は言いましたよね・・・・。 こんな奴らに近づかないで
くださいって・・・・」

「北村君・・・」

 国分にも北村の狂気が分かったようだ。
 すっかり変わってしまった北村の姿に国分の顔が悲しげに歪
 んだ。

「どうしてここに? 暫く休むんじゃ・・・・」

 どうやら北村は長期休暇を取っていたらしい。
 なのに何故ここに。

「どうして私の言う事を聞いてくれないんですか。 あなたには私
がいればいいんです。 何故こんな奴らを受け入れて私を受け
入れてはくれないんですか。 あなたがどんなに、この男の事を
見ても、この男は他の男の物なんですよ。 先生の物にはならな
いのが分からないんですか」

 榎本の背にいる国分に薄ら笑いを浮かべながら北村が言う。

「何度も言いましたが、あなたは誤解しています。 雫さんの事を
とても大切にする姿に好感を持ってはいますが、神崎さんに大し
て恋愛感情は持っていません。 それに私はまだ妻を愛していま
す。 ですからあなたの好意を受け入れる事は出来ないんです」

 二人の会話から北村が国分に好意を持っており打ち明けたの
 だがそれを受け入れて貰えなかったらしい。
 受け入れて貰えなかったのは、和磨の事が好きだからと思いこ
 んでいるいるようだ。
 どこをどう見たらそんな勘違いを起こすのか。
 既に狂った目をしている北村に何を言っても無駄。
 
くだらない

 口に出して言った訳ではないのだが、気配が北村には伝わっ
 たようだ。
 国分に向けられていた視線が和磨に向けられる。
 
「貴様さえいなければ!」

 激しい憎悪を和磨にぶつけてくる。
 だが和磨は何の感情も湧いてこない。
 だが、腕の中にいた雫が突然動いた事で意識が逸れた。

「雫?」

 見下ろすと顔が苦しげに歪められている。
 和磨の声に澤部達の意識も一瞬逸らされた。

「貴様など、社会のクズだ! お前さえいなければ! 死ね!」

 急に暴れ出した雫に気を取られながら、北村を見ると手にナイ
 フを持って和磨へ飛びかかって来た。

「北村君、止めなさい!!」
 
「死ね死ね死ね死ねー!」

 雫の体が大きく跳ね上がる。
 北村は和磨へ辿り着く前に、澤部と榎本に取り押さえられた。

「放せー!」

 騒ぎを聞きつけたのか、警備員や職員、他にも野次馬達が集
 まって来る。
 その中には漆原と一ノ瀬の姿も。

 北村の事は澤部達に任せ、腕の中で暴れる雫を見ると目を大
 きく見開き顔面蒼白に。
 声は出ていないが、何か叫んでいるようだ。

「お前なんか、クズだ! 消えろ、消えてしまえー!」

 警備員と澤部達の手によって連れて行かれる北村が叫ぶ。
 その言葉に、雫の目からは涙が溢れ、口からひゅうと息が漏
 れた途端意識を失った。

「雫? どうした」

 声を掛けても、体を揺すっても全く反応を示さない。
 手を顔に翳し呼吸を確認するが、息が掛からない。
 
「雫、目を覚ませ・・・。 雫?」

 雫の命が失われた時の感覚が和磨の中に蘇り体が震えた。
 腕に中にある体を強く抱きしめ天を仰ぐ。

また、お前を失うのか!

「雫―――――――!」





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