優しい場所

(20)





 薄暗くなった部屋の中、窓から入る月明かりに照らされた雫の
 顔を見つめる和磨がいた。
 日付は既に変わっており、枕元に置かれたデジタル時計の文
 字は1時15分を表示していた。
 
 つい先程まで国分がいたが、これ以上遅くなると明日の診療に
 差し障るだろうからと、必要な事だけを話して榎本に送らせた。

 初めて国分の診察を受けた雫。
 治療を始める前、和磨達の心中を察したのか、国分は治療の
 リスクを正直に話し、だが自分を信じろと言ってきた。
 必ず戻ると言い切った国分。
 和磨を騙すとか気休めで言ったのであればその場で容赦なく
 始末していただろう。
 だが、話しかける言葉、瞳は何処までも真剣で必ず戻って来る
 と国分自身が信じていた。

 だからこそ、和磨は言葉をリスクを受けいれ、命に危険が及ば
 ないのであれば目を瞑る事にした。

 そして治療を始めると国分の言った通り、雫の顔が苦痛に歪
 み始めた。
 雫にとっては思い出したくもない事を国分が話し出したからだ
 ろう。
 今、雫の意識は闇の中にある。
 辛い、悲しい事を思い出さないよう真っ暗な闇の中を漂ってい
 るはず。

 下手をすればこの治療によって、二度と戻ってこないくらいの
 深い闇に落ちて行くかもしれない。
 だからこそ、国分は必死に語りかけていた。
 一人ではない、必要とされていた事、愛されていた事を思い出
 せと。
 そして雫自身、『愛した人がいた事を思い出せ』と強く語りかけ
 た。

 その最中、視線で和磨に雫の手を取り語りかけろと言ってき
 た。
 迷うことなく手を取り、強く『戻ってこい』と心の中で叫んだ。
 声が、思いが届いたのか、その後雫の苦痛に歪んでいた顔が
 少しずつ穏やかになり、そして眠りについた。
 治療を終えた後、国分は和磨に謝罪してきた。

『卑怯な方法をとって申し訳なかったと』

 確かに語りかけた内容は、雫にとって残酷なもの。
 追い詰めるものだった。
 だがそれは既に起こった事であり、変えられない事実。
 生きている限り記憶に残り続けるもの。
 年月が経てば少しは風化するだろうが、無くす事は出来ない。
 傷を負い、いつまでも心から血を流すより、強く受け止めて向き
 合う方がいい。

 だからこそ和磨は国分を止めなかった。
 それに雫は強い。
 あれだけ残酷な仕打ちをされてきたのにも拘わらず、家族を
 信じ続けてきたのだから。
 きっと乗り越えられる筈と和磨は思っていた。
 
 国分も言っていた通り、雫は一人ではない。
 和磨が側にいるのだ。
 
「構わないと言った」

 和磨の言葉に、国分は目を見張る。
 全面的に自分が受け入れられたのだと感じたからだろう。
 いくら和磨が任せるとは言っても、己の大切な者を苦しめたの
 だ。
 多少の非難は覚悟していたのだろう。

「ありがとうございます」

 和磨に、そして国分を無理に止めようとせず見守っていた漆原
 達に頭を下げた。
 そして国分は今後の治療について話し始めた。

「反応はいいと思います。 このまま暫く治療を続け反応を見て
いきたいと思っていますがいいでしょうか」

「構わない」

 暫くの間毎日治療を行うとなれば国分にも負担がかかる。
 それでなくとも国分の診療所には毎日大勢の患者がやって来
 るのだから。
 診療が終わった後、雫の治療をするために毎日往復約一時間
 かけ通うのは無理だろう。

「漆原」

 後に控えていた漆原を呼ぶと「直ぐ手配します」と言って部屋を
 出て行った。
 こういう事には敏感で行動も早い。
 和磨が何を言いたいのか直ぐ分かったようだ。

「もう遅い、榎本に送らせる」

 榎本を見ると、一旦和磨に頭を下げ「では先生」と国分を促し
 部屋を出て行った。
 その後、澤部も準備があるからと部屋から出て行った。
 
 残った深山は暫くの間雫の容態に特に変わりがない事を確認
 した後、部屋から出て行った。
 部屋の明かりを消し、和磨はシャワーを浴びに浴室へ。
 少し熱めのお湯が上から和磨の体を流れていく。
 明日から数日、少し慌ただしくなるだろう。
 予定も色々入ってはいるが、漆原が上手く調整するはず。

全てはこれから・・・・

 何かが動き始める。
 そんな予感がしていた。
 少し体が温まったところでシャワー室を出る。
 大きめの窓の外には少し欠けた月がその姿を現していた。
 肌に伝う雫を拭い、そっと雫の脇へと体を潜り込ませた。
 いつもはすぐ側にある別のベッドで眠る和磨だが、何故かこ
 の日は雫の隣りで眠りたかった。
 この体温が伝わるよう、悪夢に捕らわれ苦しまないよう側にい
 るのだと伝えたかった。

一人にはしない

 雫の目元にキスを落とし、和磨は眠りについた。
 


「お早うございます、和磨さん」

 声と共に深山と漆原が部屋に入ってくる。
 深山はいつも通り雫に声をかけ体温を測ったり血圧を測り
 始めた。
 
「昨夜の件ですが、急ぎ手配をしています。 夕方には全て終え
移動可能となります」

 漆原の報告に「全て終わり次第移動する。 準備しておけ」と
 短く指示し、深山に雫を任せ食堂へと足を運ぶ。
 食堂へ入ると既に征爾と磨梨子は食事を終えコーヒーを飲ん
 で寛いでいた。

「おはよう和磨、珍しいはね」

 ここ暫く和磨は雫のいる部屋で朝食を摂っていたので、朝両親
 と顔を合わせるのは久しぶりだった。
 挨拶もそこそこに用件を切り出す。

「暫くの間、杉並に移動する」

 余りにも短く言葉も足りないが、征爾達には和磨が何を言いた
 いのか分かったようだ。
 
「必要な物、足りない物があれば言いなさい。 他にも人手が
欲しいなら連れて行くといい」

 磨梨子も征爾の意見に賛成なのか、頷いている。
 雫を和磨の伴侶と認めた時点で、家族として、息子として受け
 入れていた。
 そして血を分けた子供達より、傷ついていた雫を一番気に懸け
 ていた。

 今の状態の雫を別な家に移し介護する事に不安はあるが、雫
 の状態は伴侶である和磨が一番把握している。
 直接な手助けは出来なくて歯がゆくあるが、出来る限りの事を
 したいと考えていた。

「暫くの間、榎本達を借りる」

 国分の送迎を榎本にさせるために。
 漆原や澤部に頼むのが一番なのだが、彼等には別な仕事を
 頼んでいた。
 だからといって送迎が出来ない訳ではないが、片手間になっ
 て万が一の事があってはならない。
 和磨にとって二人は両腕であり、国分は雫が目覚める鍵。
 どれも無くせない者。

 他の者でもいいのだろうが、初対面の者より、一度でも顔を
 会わせた者の方が国分の気持ちも楽だろう。
 
「勿論よ。 お願いね、榎本」

 静かに食堂に控えていた榎本に磨梨子が声を掛けると静か
 に榎本が頭を下げた。
 
「一ノ瀬、国分、共に車で2、3分のマンションだ」

 和磨の後を引き継ぎ漆原が詳しい場所の説明をする。
 用意されたのは和磨の愛人の一人がいたマンションの部屋。
 雫を伴侶に決めた時点で愛人達とは手を切っていた。
 それぞれに手切れ金、店、マンションを与え。

 その切った愛人の内の一人のマンションが、丁度一ノ瀬病院と
 国分の診療所の中間に。
 漆原はすぐ元愛人に連絡を取り、現在住んでいる場所より、よ
 り便が良く広いマンションを用意し部屋を空けさせた。
 それから業者を入れ、急ぎリフォームし今日の午後には家具
 の搬入も終わり移動出来ると報告があった。

「そう。 それだけ近ければかえってここにいるより安心ね。 時
々は顔を見に行っても構わないのかしら?」

 本家は征爾の屋敷であるから磨梨子も自由に雫の部屋に出
 入り出来るが、離れるとなるとその場所は和磨が主となる。
 いくら息子であるとしても、主の許可なく部屋に入る事は出来
 ない。
 その線引きは親子であってもはっきりしていた。

「構わない。 深山に連絡をしてくれ」

 普段和磨がいなくとも深山は必ず雫の側にいる。
 和磨がいない時は深山がその部屋に主となり、決定権を与え
 ていた。
 他の者なら許さないが、深山の仕事ぶり性格など全てを見た
 上で大丈夫だと判断し任せているのだ。
 伝え終えた和磨は漆原達を引き連れ食堂を後にした。

 そして漆原の手配通り夕方には全ての作業が終わり、和磨
 は雫を連れ杉並区にあるマンションに移った。

 久しぶりの車での移動だったが、雫の様態も特に変わりなく顔
 色も良かった。





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