優しい場所

(19)





 和磨と国分を乗せた車が街中を移動して行く。
 窓から入る街の明かりが和磨の顔を照らす。

 国分が支度をしている間に深山の携帯に連絡を入れ、まず雫
 の様子を聞き、今から一ノ瀬に紹介された心療内科医の国分を
 連れて戻ると告げる。

「裏から入る、支度をしておけ」

 国分は一ノ瀬から患者を紹介されても、その相手がまさか極道
 であるとまでは聞かされていないはず。
 短い時間ではあるが彼の人柄を見て、相手により態度を変える
 ような人物ではないと分かるが和磨のいる神崎本家は見るから
 に堅気の屋敷とは違う作り。

 パッと見武家屋敷に見えなくもないが、入り口には幾つもの防
 犯カメラが門設置されており、入って直ぐ脇には小さな詰め所ら
 しき物があり、中には強面の男3人目を光らせている。
 他にもドーベルマンが5匹いて近づく者を威嚇している。
 普段は門は閉ざされている為分からないが、中に入れば一目
 瞭然。
 
 これから雫の診察を行う国分を無闇に怖がらせるのは得策で
 はない。
 この先も付き合っていくとなると、いずれは和磨達の正体はば
 れるだろうが今敢えて言う事でもない。
 正体が分かった時点で、国分が辞めたいと言うのであれば引き
 留める事もしない。

 一ノ瀬に言わせると信頼も出来、和磨達が極道であったとして
 も態度は変わることはないだろうと言っていたが。
 
 隣りに座る国分の気配を窺うと緊張しているのが伝わってくる。
 
どうなるか

 診察を行う事で雫がどう変わるか。
 全く反応はないか、それとも新たな変化が起こるか。
 結果によって今後の行動が変わってくる。

「着きました」

 思っていた以上に道がすいていたようだ。
 30分で着く予定が20分で屋敷へ到着した。
 車はゆっくり裏門から屋敷へと入って行く。

 車が止まると外で待機していた榎本が後部座席のドアを開け
 る。
 表から入れば、事務所に詰めている者達が揃って和磨達を出
 迎えるのだが、ここは裏。
 門には警備の者が立っているが、中は限られた者しか入る事
 が出来ない。
 当然出迎える者も少なくなる。
 
「お帰りなさいませ」

 頭を下げる榎本に車から降りた和磨は変わりなかったか聞く。
 
「はい、変わりありません。 こちらの方が先生ですね。 初めま
して榎本と申します」

 和磨に続いて車から降りた国分に丁寧に頭を下げる。
 雫の主治医となり、これから大きな変化をもたらすであろう、神
 崎家にとっては大切な人物だから。
 自分より年上の榎本に敬語で丁寧に頭を下げられ国分は本気
 で慌てていた。

「止めてください。 頭を上げてください」

「榎本」

 和磨の声に榎本は頭を上げ屋敷へと歩き出す。
 和磨は国分を促しその後に続く。 
 二人の遣り取りに戸惑っているのが感じられる。
 上司と部下、主人と使用人の関係にしては余りにも異質に感じ
 られたのだろう。
 だがそれには触れず大人しく後に続き屋敷の中へと入って行
 く。

 外は寒さが厳しかったが屋敷の中は適度な温度となっており
 冷えた体を温めてくれた。
 長い廊下を歩いて行き、雫の眠る部屋へと到着する。
 
「様子は」

 榎本が開けたドアを入りまず最初に深山に雫の様子を確認す
 る。
 変化がないのは分かっていても和磨は聞かずにはいられなか
 った。

「変わりありません。 20分前から目を覚ましています」

 ベッド脇にある椅子から立ち、和磨に場所を譲る。
 部屋に備え付けられている洗面台で手を洗い、うがいをして外
 からの汚れを落とし眠る雫の髪を梳き額にキスを落とす。
 雫に関して、和磨は常に細心の注意をはらっている。
 健康であれば害はなくても、体力の低下している雫には僅かな
 雑菌も命取りになる。

「そうか・・・・・」

 丁度目を覚ます時間帯であるため、雫の瞼は開かれており視
 線は僅かに宙を彷徨っている。

「先生」

 和磨が国分を呼ぶ。
 
「これは・・・・・」

 目を覚ましている雫を見て、国分の眉間に僅かに皺が寄る。
 そして暫く無言で雫の様子を見ている。

「雫だ。 今は目を覚ましているが、この状態は長くは続かない。
後10分もしないうちに眠る」

 右手で雫の髪、頬を撫でながら左腕にある時計を見て瞳を眇
 める。
 ここ暫くの目覚めの時間は30分。
 既に目覚めて20分経っている。
 今日残された時間は後10分足らずだ。

「出来るか?」

 国分に視線を向けると、今まで雫を見ていた国分がベッド脇か
 ら離れ、洗面台に向かい手を洗い始める。

「私の治療でこの方に意識が戻るかはまだ分かりません。 です
が今見た限りでは瞳の奥に僅かですが感情が見られる・・・・」

 少し悩んで国分が和磨に雫の名前を呼んで欲しいと言う。
 言われた通り、和磨は雫の名前を呼ぶ。
 
「もっと呼んでください」

 雫の名前を繰り返し呼ぶ。
 目を覚ませと願いを混め何度も。

「・・・ありがとうございます」

 雫の顔を真剣に見ていた国分が和磨に視線を向ける。
 雫を初めて見た時には難しい顔をしていたが、今は顔に笑み
 が浮かんでいる。

期待していいのか
 
「正直、見た時には難しいと思いました。 彼の意識が何処にあ
るのかが全く分かりませんでしたから。 しかしあなたが名前を
呼ぶたび、彼の瞳が僅かに揺れました」

 和磨の、そして周りにいる漆原達の顔を見回す。

「期待出来ると思います」

 言ってそこで言葉を一旦切る。
 少し言いづらそうな顔をしたが、国分は正直に話し始めた。

「しかし、治療する事により彼の思い出したくない事に触れてし
まうと思います」

 言った事で部屋の中に殺気がこもる。
 和磨以外、漆原の殺気が国分に向けられる。
 向けられた国分に至っては顔色が悪くなっている。
 それはそうだろう。
 和磨の側近である二人は本来は冷酷非道な性格。
 場合により誰よりも残酷な人間になれるのだ。
 特に澤部に至っては、普段は陽気でふざけた姿なだけにギャッ
 プが激しい。
 今の澤部はその陽気さが消えているのだから。
 
 勿論、軽い気持ちで言ったのであれば和磨も容赦しないのだ
 が、国分は真剣に正直にリスクも話した。
 殺気を向けられたにも拘わらず訂正する事なく、青ざめながら
 も和磨に向き合っているのだ。
 
「澤部」

 その一言で部屋の中から殺気が消える。
 続けろと言うと、少し頷き国分は話し始めた。

「何事にもリスクは付きまといます。 特に、ここまで殻に籠もっ
ていると・・・。 しかし、彼にはあなた方という希望があります。
僅かではあっても、彼にとってはとても大切な出来事で思い出。
決して忘れる事のない大切な宝物です。 それがある限り彼は必
ず戻って来る。 だから皆さん、私と一緒に彼を呼び戻しましょう。
私を信じて、協力してください」

 最後は必ず戻ると言った国分。
 その顔を見ると慰めで言っているのではないという事が分か
 る。
 偽りなく真剣に、戻ると信じている顔だ。
 そこまで言うのなら任せてみよう。
 この瞳は信じてもいいと思える。

「いいだろう。 命が危険にさらされなければ多少の事は目を瞑
る」

「和磨さん!」

 誰よりも大切に思っているのに、何故そんな事を言うのだと漆
 原が非難する。

「黙れ」

 鋭い視線と言葉で漆原を黙らせる。
 強い言葉と視線に、和磨の覚悟を感じたのだろう。
 何も言わず、強く手を握りしめた。

 和磨は可能性にかけた。
 真綿で包んで大切にしたいと思うのも確か。
 だが国分の言う通り、今のままでは雫は殻に籠もったままでこ
 の手に戻って来ないというのも分かりきっている。
 あの悪夢をもう一度思い出すのは辛い事だろう。
 だが、雫には和磨が側にいる事を、何よりも一番大切に思って
 いるという事を知らせたいし、分からせたい。
 
俺を信じて戻って来い

「時間が惜しい」

 時計を見るとあれから5分も経ってしまった。
 残り僅か。
 国分は胸ポケットからボールペンを取り出し、雫の目の前に翳
 した。

「私の呼びかけだけでは彼の意識が向かないので、こちらに意
識が向くまで一緒に名前を呼んでください。 その後は私に任せ
てください。 異変があれば直ぐ中止します。 私を信じて」

 和磨にそう言い、国分は雫の名前を呼び始めた。
 そして和磨も国分に言われた通り名前を呼んだ。

「雫」
「雫さん」

 繰り返し呼んでいると雫の視線がゆっくりと和磨に向けられる。
 雫と和磨の間には国分のボールペンが。
 呼びかけと共に翳したペンをゆっくりと左右へ動かしていく。
 暫くすると視線が揺れ始めた。
 意識はペンへと移り始めていた。

 視線で和磨に合図を送り、国分がゆっくりとした口調で雫に語り
 かけ雫の意識へと入り込んで行く。

 今雫は暗闇の中にいる。
 今まで辛いことが多かったが、本当に辛い事だけだったのか、
 楽しいと思う事幸せだと思う事はなかったのか。
 大切な人達に出会わなかったのかと問いかける。

「思い出してください。 あなたを思う大切な人達の事を。 あなた
が大切だと思う人達の事を。 彼等が辛かった日々の事を消して
くれます。 幸せで温かい日々を与えてくれます。 だからこの声
を聞いてください」

 何度も何度も問いかける。
 和磨達の声が思いが届けと語りかける。
 本当であれば既に30分経っているので瞼が閉じてしまってい
 る筈なのだが、この日は国分が語りかけているせいか雫の瞼
 は開かれたまま。

 そして国分が語りかけてから既に15分が経とうとしている。
 何も変化もない雫。
 やはりこのまま変化は起こらないのだろうか。
 そんな時国分が語りかける内容を変えた。

「あなたは両親に、家族に愛されたかった。 でも、それは叶わ
なかった・・・・」

 家族の事を話し始めた途端、雫の顔が悲しみと苦痛で歪む。
 語りかけてから初めての変化。
 内容に和磨達が反応するが、止める事はなかった。

こんなやり方でしかお前の意識を戻せないとはな・・・・

 全てを国分に任せ託したのだから和磨はそれを信じる。

「家族の中で常に孤独で、寂しかった・・・・」

 瞳には涙が浮かび、顔を歪めながら弱々しくではあるが、首が
 左右に揺れ始める。
 唇が震え、弱々しい空気が漏れる。
 痛々しい雫の姿に黙って見ていた漆原が止めようと一歩前に
 足を踏み出したのだが澤部に止められた。
 鋭い目つきで見るも、澤部は静かに首を左右に振るだけ。
 深山を見ると、やはり澤部と同じよう黙って見ていろと視線が言
 っていた。

「確かに寂しかった・・・・。 でも思い出してください。 あなたは
一人ではなかった筈。 あなたを守り、愛してくれた人がいる事
を。 あなた自身愛した人がいた事を。 肌で、手でその人の思い
を感じて・・・・・」

 国分は空いている手で雫の手を握り、隣りにいる和磨に視線で
 その手を握れと言ってきた。
 和磨はその手を受け取り、両手で優しく包み込む。

側にいる・・・・
誰よりもお前を愛している
だから、戻って来い!

「感じる筈です。 あなたを強く愛する人の心を。 あなたが愛した
人の事を。 忘れないで。 皆が貴方の目覚めを待っているという
事を。 優しい思いをくれた筈です。 あなたに、優しい場所をくれ
た人がいる事を・・・・・」

 和磨の温もりを感じたのか、それとも国分の声が届いたのか、
 今まで悲しみに歪んでいた顔が徐々に落ち着いたものへと変
 わって行った。

「今は眠ってください。 ゆっくり眠って。 夢の中で愛する人を思
い出して・・・・・」

 ボールペンを雫の前から下ろし雫の顔に手を翳す。
 ゆっくりと手を離すと瞼は閉じられ、顔が少し疲れた感じではあ
 るが穏やかな寝顔となっていた。
 頬には少しだけ赤みがさしていた。





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