優しい場所

(18)





「初めまして、国分柊一です」

 名刺を和磨に手を差し出しす。
 和磨を初め、残り二人も飛び抜けた容姿の持ち主であるため
 目の前にいる国分が霞んで見えるが、実際は国分もそれなり
 に綺麗な容姿をしていた。
 国分自身から発せられる柔らかい雰囲気、浮かべる優しげな
 笑みが魅力を補っている。
 何故か安心してしまう、そんな笑み。
 だからこそ、ここに人が集まって来るのかもしれない。

「神崎和磨だ」

 和磨は差し出された名刺を受け取り、勧められたソファーに腰
 を下ろす。
 その後に漆原と澤部が立ち控える。
 

 一度は心肺停止状態に陥ったが、奇跡的に蘇った雫。
 植物人間としてこのまま一生を終えるのかと誰もが悲観してい
 たが奇跡は続いた。
 短くはあるが、意識を取り戻し瞼が開かれたのだ。
 だが残念な事にその意識の中に自我はなかった。

 友達に裏切られ、家族からも疎まれ最後には存在を否定され
 た雫。
 それが心に大きなダメージを与えていて、目覚めを拒絶してい
 るのだろう。

 だが雫を傷つけた家族達はもういない。
 まだ生きてはいるが、二度と表に出て来る事はない。
 二度と顔を会わせる事もないのに、傷つけられる事を恐れ閉
 ざしているようだ。

もうお前を傷つける者はいないのに
二度と、誰にもお前を傷つけさせない
例え、それが俺自身であったとしても

 人との関わりを恐れ、心を閉ざしているのだと一ノ瀬も気付い
 ているようで和磨に催眠療法を試してみないかと言ってきた。
 自我がないのに、そんな事がはたして出来るのか。

 しかし、何もしないよりはいいだろうと、一ノ瀬が信頼を置いて
 いる催眠療法士に会う事にした。
 
 一ノ瀬の紹介とはいえ、和磨は相手の事を何も知らない。
 大切な伴侶である雫を任せる事になるのだからと、和磨は独
 自で相手の事を調べた。
 
 国分柊一、36歳。
 都内に幾つもの不動産を所有している国分恒一・裕子夫妻の
 長男として誕生。
 
 国分家は家賃収入だけでも相当なもので、恒一が働かずとも
 優雅な生活を送る事が出来ていた。

 だが中学の時、両親を事故で亡くす。
 叔母が一人いたのだが強欲で金に汚く、国分の父とは昔から
 折り合いが悪かった。
 決定的になったのは国分がまだ物心つかない頃、祖父が亡く
 なり遺産相続で揉めてからは絶縁状態となっていた。

 しかし国分の両親が事故で亡くなったと知り、今まで一度も姿
 を現さなかった叔母が突然の現れ、保護者に名乗り出た。
 幼い国分でも明らかに財産狙いであると分かる態度。
 叔母の申し出をキッパリ断り、一ノ瀬に身元保証人と財産管理
 人になって貰う。
 高校、大学は両親から受け継いだ不動産の家賃収入や両親
 の保険金があったのでそれらで進学する事が出来た。

 大学在学中に交際していた女性との間に子供が出来入籍。
 1男をもうける。
 卒業後、一ノ瀬の誘いで一ノ瀬病院の心療内科で2年程勤務
 していたが、より詳しく心理学を学びたいと妻、子供と共にアメ
 リカへ渡りN・Yにある学研究所に入所、心理学を学ぶ。

 しかし今から6年前、N・Yで起きたテロに最愛の妻と息子が巻
 き込まれ唯一の家族を亡くし、心に大きな傷を負い国分は研究
 所を辞める。
 そして事故を知った一ノ瀬がアメリカへ飛び、彼と共に日本に
 帰国したのだが、戻って直ぐ姿を隠し行方不明となっていた。
 
 漆原の調べたところ、行方不明になっていた間だが、長野の
 人里離れた山の中でひっそり暮らしていたらしい。

 そして今から一年前、突然一ノ瀬の元を訪れる。
 まだ完全には立ち直れてはいないようだが、妻達を失った頃に
 比べると顔つきは良くなっていた。
 長野での生活が何か変化をもたらしたようだ。
 そして一ノ瀬病院から差程離れていない、国分が所有している
 ビルの一室を改装し『国分心療内科』を開業。

 心に傷を負ったまま、他の者の心の傷を癒せるのか。
 一ノ瀬の心配を余所に『国分心療内科』には多くの患者が訪れ
 心の痛みを、悩みを取り除いていった。
 誰もが国分に信頼を置く。
 『国分心療内科』は口コミで広がり、今では半年先まで予約が
 埋まる程となっていた。

 どんなに調べても国分には黒い部分が出て来ない。
 真面目に誠実に生きてきた。
 だが、雫とは違った意味で悲しい過去を持つ男。
 誰よりも心の痛みを知っている。
 この男になら雫を任せても大丈夫だろう。
 迷うことなく依頼する事にした。

 だがその前に一度会い、本当に書類に書かれたような人物な
 のかそれを己の目で確かめるべく、今日和磨はこの診療所に
 訪れた。
 
「一ノ瀬先生からお話は伺っています。 本来なら予約が半年先
まで埋まっているのでお断りするのですが、先生には多大なご恩
がありますので、私でお手伝い出来るのであればと思い今回お
受けさせて頂くことにしました」

 国分は目を逸らすことなく言う。
 目の前にいる和磨の視線は一般人であればとても正面から
 受ける事の出来ないほど鋭く暗いもの。
 清風会に関係のない者、会社などではそれなりに威力は抑え
 てはあるものの、皆からは畏怖されていた。

 今は雫に拘わる事だけに和磨は素の状態。
 これで怯えたり、挙動不審になるようであれば国分とはこれま
 でだ。

 しかし国分は和磨から瞳を逸らすことなく、ただ黙って瞳を合
 わせている。
 少しだけ瞳が揺れ、悲しげな顔に。
 和磨の傷を己の心の痛みと感じたのか。
 そんな国分を見て和磨が口を開く。

「今回のケースが難しいという事は聞いている。 だが俺はどん
な僅か可能性だとしてもそれにかけてみたいと思っている。 必
要な物はこちらで全て用意しよう。 漆原」 
 
「はい」

 用意していた封筒を国分へと渡す。

「まず最初にこちらをお読みください」

 中身は雫が屋敷に来た時に調べた報告書。
 この時点で国分に雫を任せる事に決めた。
 信頼出来ないようであれば、封筒は渡さずこのまま帰る事にし
 ていたのだ。
 いくら一ノ瀬の紹介であっても、和磨が少しでも信頼出来ない
 者であればその時点で話は終わる。

 そこで初めて用意されたお茶を飲む。
 冷めてはいるがたいした問題ではない。

 誰一人として口を開かない静かな部屋の中、紙を捲る音が静
 かに響く。
 暫くすると報告書を読んでいる国分の目から涙が零れ始め
 た。
 和磨はそんな国分を見て僅かに目を細め見る。
 
 読み終えた国分は報告書を封筒の中へ戻して漆原へ返し、ジ
 ャケットのポケットからハンカチを取り出し涙を拭く。

「失礼しました・・・・」

 言って気持ちを落ち着けるかのように、すっかり冷めてしまった
 お茶を飲む。
 そして大きく深呼吸してから口を開いた。

「今回のケースは本当に難しい・・・・」

 それは和磨達にも覚悟は出来ている。

「この方にはまだお会いしていませんが、一ノ瀬先生から聞いた
状態と照らし合わせて見てもこの方自身、目覚めるのを拒絶して
いるのはほぼ間違いないと思われます」

 雫自身が拒んでいるとなるとやはり無理なのか。
 和磨達と出会い笑みを取り戻して来ていたが、やはり時間が
 短すぎた。
 心を虐待された時があまりにも長すぎた。

「くそっ!」

 後に控えていた澤部にも同じ事を考えたのだろう。
 言葉にやりきれなさが窺えた。
 漆原も己の手を強く握りしめている。
 しかし国分の瞳は諦めていなかった。

「いえ、まだ望みはあります」

「どういう事だ」

 国分の言葉に和磨が目を眇める。
 冷やかしでいったのであれば容赦はしないとその瞳が語って
 いた。
 射抜くような視線を向けられるが、逸らすことなく正面から受け
 止めている。

「一ノ瀬先生からこれまでの、症状、経過を聞きました。 その中
にはこれからおこなう治療に対して大きなヒントも」

「ヒント?」

 漆原から漏れた言葉に国分が頷く。

「そうです、ヒントです」

 言って和磨達を見渡す。

「月の満ち欠けに反応しているという部分です」

 今まで雫に何か変化が起こった時、その日は満月だった。
 満月合わせて前後5日に変化が起こっていた。
 国分もこの事に注目しているようだ。

「つい先日の満月の時にも、この患者に変化があったと一ノ瀬
先生から窺いました。 私もこの事は注目すべきであると思って
います。 ただ残念なのは今月の満月が過ぎてしまった事です」

 満月から既に2日経ってしまっている。
 一ノ瀬から紹介され、国分の調査に時間を取られてしまった。
 一番変化が起こりやすい日は今日までだ。
 今日が過ぎたからと言って直ぐ反応がなくなる訳ではないだろ
 うが確率は半分となるだろう。
 和磨は行動を起こす事にした。
 後にいる漆原に視線を向けると、漆原には直ぐ分かったらしく
 軽く頷いた。

「国分先生。 お疲れの所申し訳ありませんが、これから私達と
共に来て頂けませんか。 満月は過ぎてしまいましたが、変化が
起こるのは満月の前後合わせて5日。 今月は今日までです。
私達はこのチャンスを逃したくない。 少し離れてはいますが今
の時間帯であればここからこの患者のいる屋敷まで30分も掛
かりませんから。 診察が終わりましたら、私が責任を持ってこ
ちらまでお送り致しますので」

 一日も早く雫に目覚めて貰いたい。
 和磨の為に。
 真剣な眼差しで国分に訴える。
 和磨も国分に対して屋敷に来て欲しいと言う。
 実際頭は下げていないが、和磨が『来て欲しい』と言った時点
 で頭を下げたも同然。
 今まで誰に対しても言った事のない言葉なだけに漆原達も驚
 いている。
 それだけ和磨に対し、雫は特別な人間なのだ。
 雫だけが和磨を動かすことが出来る。

「直ぐ支度をします」

 失礼と声を掛け国分が部屋を出て行く。
 これで少しだけ希望が見えて来た。





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