優しい場所

(16)





 連絡を入れてから10分もしないうち、表事務所から一ノ瀬が
 到着したと連絡が入る。
 毎年、元旦当日に年始の挨拶に訪れているが、いつもはもっと
 早い時間に訪れていた。

 だが今年は予想外の大雪に見舞われ、いつもより遅い時間
 の到着となったのだろう。
 遅れたからといって、征爾達が一ノ瀬に文句を言う事はないし
 追い返す事などあり得ない。

 それに今日は満月。
 雫が目覚める日。
 一ノ瀬には雫の様子も見て貰うつもりでいた。
 挨拶に訪れるには遅い時間でも、征爾達にとっては丁度いい
 時間と言える。
 瞼が開かれる時間には早いが、食事を出し世間話をして時間
 を潰せばいいだけのこと。
 
 一ノ瀬は榎本が出迎え案内している。
 少し経てばこちらに到着するだろう。
 ほんの少し前まで暴れていた雫だったが、今は少し落ち着いて
 いるようだ。
 だがその顔は疲れ切っており、顔にはうっすら汗が浮かんでい
 る。
 乾いたタオルで和磨が優しく汗を拭っていた。

 本来、一ノ瀬を案内するのは漆原の役目であったが、雫が痙
 攣を起こした時、漆原達は外におりその時の状況を目にして
 いない。
 室内に入った時、状況を目にし把握したようだが、初めからそ
 の場にいて見ていたわけではない。
 その為、初めからその場にいた榎本が代わりに案内役となり
 ここに来るまでの間に状況を説明しているだろう。

 足音が近づいて来たので、漆原がタイミングを見計らいドアを
 開ける。
 榎本と共に一ノ瀬が入ってきた。
 直ぐさま往診バッグを開け、聴診器を取り出す。
 応急処置をしていた深山が場所を譲り、診察を始めた。

 深山は一ノ瀬の介助をしながら到着するまでの間、一ノ瀬の
 甥の指示に従い処置した内容を報告していた。
 実際には差ほど時間は掛かっていないのだが、和磨達にはと
 ても長く感じられていた。

 診察が終わり「異常ない」との言葉に一同安堵する。
 そしてこの部屋に来るまでの間に、榎本から聞いた事と症状を
 照らし合わせ話しはじめた。

「まだ確証が得られた訳ではではありませんが・・・。恐らく外か
ら入ってきた彼等の言葉に反応したのだと思われます」

 まさかとは思っていたが、一ノ瀬の口から出た言葉に漆原達
 は己の軽率さに悔やんでいた。
 眠ったまま何も反応を示さなかった雫。
 その為配慮を怠ってしまった。

自分達は何と言った?

 ふざけていたとはいえ『殺す』『始末する』『消す』と言わなかっ
 たか?
 雫には聞こえないだろうからと、軽々しく口に出してしまわなか
 ったか?
 いくら澤部に対して腹が立っていたとしても、決して口にしてい
 い言葉ではなかったはず。
 澤部に至っても、漆原煽ってしまった自覚がある。

 取り返しのつかない事をしてしまった。
 余りにも愚かな自分達。
 もし、今回の事で雫に万が一の事があれば。
 今度こそ、二度とその瞼が開かれなくなってしまったら。

あれ程雫さんを守ると誓っておきながら、なんて事を・・・・

すまない、雫ちゃん・・・・

 漆原と澤部は悲痛な面持ちでベッドの上でに眠る雫を見た。
 如何なる処分下されても、漆原達は素直にそれを受け入れる
 つもりでいた。

「申し訳ありません」

「どんな処分でも受けます」

「二人を諫めなくてはならなかったのに・・・・。 雫さんを介護す
る立場でもあったのに。 私の責任です」

 3人それぞれが覚悟を決め和磨の前に並び頭を下げた。
 
 今は落ち着きを取り戻した雫。
 少しだけ疲れた顔をしているが、一ノ瀬は問題はないと言って
 いる。

 今ここで3人を処分するのは簡単だ。
 だが彼等はこれまで雫に愛情を与え続けてきた。
 人間不信であった雫を怯えさせないよう、細心の注意をはらい
 接していた。
 そして雫が和磨達にとって如何に必要な人物であるかを訴え
 ていた。
 寂しげなその顔に、心に笑顔を取り戻そうと努力していた。
 より快適に暮らせるように整えていた。

 その甲斐あって、初めはぎこちない笑顔だったが、今では回数
 はまだそれ程多くはないが、心から笑えるようになっていた。
 和磨だけではこれ程早く笑みを取り戻す事はできなかったは
 ず。
 雫は特にこの二人には心を許していた。
 磨梨子達にも心を許し始めてはいたが、この二人ほどではな
 い。
 深山とは顔を合わせてはいないが、和磨とはまた違った意味
 で冷酷な漆原の心に入り込み、今では恋人として側にいる。
 そんな深山はあっという間に、雫の心の扉を開けさせ側にいる
 事を許してしまうだろう。

 そんな彼等を、今は眠っているが、雫が目を覚まし何らかの弾
 みで処罰されたと聞けば、心優しい雫は心を痛めるはず。
 優しい顔を曇らせなくない。
 悲しい顔もさせたくないし、見たくもない。

 それに和磨は期待していた。
 今回の事が切っ掛けになるのではないかと。
 それが良い方向に向かうか、悪い方向に向かうかは全く分か
 らない。
 ただ何らかの刺激にはなったはず。

「お前達に処罰を与えるつもりはない。 今日は下がれ」

 処罰がないと聞き、漆原達は目を見開く。
 そして下げていた頭を上げ和磨を凝視した。
 征爾は和磨の言葉に目を細め見る。

 和磨は変わった。
 雫と出会い側に置くようになり、人を思いやる心が芽生え始め
 た。
 冷酷で誰からも恐れられているが、その存在には誰もが一目
 おき従っている。
 だがそれだけでは巨大な清風会を纏める事は出来ないと征爾
 は思っていた。

 恐怖だけでの支配には、いつか人は反乱を起こす。
 だからこそ和磨には思いやる心を知って欲しいと願っていた。
 一部の、いや、たった一人でもいい。
 思いやるという心を知って欲しかった。
 それが身に付いた時、より人は和磨に惚れ込み忠誠を誓うは
 ずだろう。

 征爾が願っていた事が、気遣う心が雫と出会った事で生まれ
 たのだ。
 だからこそ、今回和磨は漆原達を罰する事なく明日も変わりな
 くここに来る事を、和磨に仕える事を許したのだ。
 和磨がより大きくなった事を感じ、征爾は満足していた。

 この結果に美咲や勇磨は信じられないようなものを見る目で
 和磨を見た。
 漆原や澤部は事実上和磨の片腕ではあるが、だからといって
 特別扱いして来た訳ではない。
 側近に対しても、失敗や意に添わない事をすれば、和磨はそ
 れなりの罰を与えていた。
 ただ他の側近に比べ二人共、今までそれらがなかったため処
 罰を与えられた事なく側にいた。
 
 今回の事は非はなくとも、半身である雫が彼等の言葉により
 一時苦しんだのは事実。
 大きくはなくとも、何らかの罰が与えられるのではと思ってい
 た。
 なのに和磨は彼等の発言を許し、処罰する事もしないと言う。
 和磨がこんなにも変わっていた事に驚愕を隠せないでいた。

 最愛の者を手に入れた事で、和磨がこれ程まで変わるとは。
 それまでにも和磨の変化は目の前で見ていたが、今回に限っ
 ては今までと変わりなく罰せられるだろうと思っていたのに。

「「「ありがとうございます」」」

 これからも和磨と、そして雫に仕える事を許された3人は深く頭
 を下げた。
 そして雫には黙礼し、そのまま部屋を後にした。
 
 皆が再度願う。
 雫の一日も早い目覚めを。

 漆原達が部屋を出た後、一ノ瀬だけが残り磨梨子達も直ぐ部
 屋から出て行く。
 先程の雫の痙攣を目の当たりにした事で、和磨も精神的に疲
 れているだろうと思ったから。
 表情、態度には表れていないがそう感じた。
 自分達がここにいては気が休まらないだろうからと。
 それに何かあっても一ノ瀬が残り、側にいるから安心できる。
 
 皆が部屋から出て行った事で、部屋が途端静かになる。
 和磨は元から口数が少ない。
 和磨の心情が分かるのか一ノ瀬も特に口は閉じたままだ。
 静かに時だけが過ぎていく。
 
 そして雫が目覚める時間が来る。
 多少時間にズレはあるが、昨夜までは時間がくると瞼が開い
 ていた。
 だが今日に限って時間が訪れても瞼は開かれない。

やはり痙攣のせいか・・・・

 折角瞼が開かれるようになったのに。
 悪い方向に影響してしまったのだろうか。
 日付が変わるまで一ノ瀬もいたのだが、その日は結局開か
 れる事なく終わった。



「お早うございます、和磨さん。 昨夜は申し訳ありませんでし
た」

 いつもと変わりない時間に漆原と深山が部屋を訪れる。
 今日はそこに澤部も加わっていた。

「私達は改めて、神崎和磨、あなたに忠誠を誓います」

 真剣な顔で見つめる彼等に、和磨は軽く見ただけで、言葉は発
 せず、昨夜の事にも一切触れずいつもと変わりなくシャワー室
 へ。
 その姿に、3人は新ためて和磨に受け入れられた事を察し、頭
 を下げた。
 和磨がシャワーを浴びている間、それぞれが動き始めた。
 漆原は部屋で食事をする和磨のために支度を。
 澤部はカーテンを開ける。
 日の光が部屋の中を明るく照らす。

「うわ、眩しっ! 北海道生まれの雫ちゃんには、見慣れた風景
かもしれないがマジで綺麗だぞ」

「お早うございます、雫さん。 気分はどうですか? 今朝は雪も
止んで綺麗な青空ですよ。 今澤部も言いましたが、庭も雪が反
射して眩しいですがキラキラ輝いてとても綺麗ですよ」

 声をかけて布団の間から雫の手を取り脈をとっていると、昨
 夜そのまま屋敷に泊まっていた一ノ瀬が部屋に入ってくる。

「お早う。 今朝の様子はどうかな」

 手を取ったまま深山が一ノ瀬に振り返る。

「お早うございます、先生。 今朝も変わりない・・・・・!」

 一ノ瀬に挨拶し、視線を雫に戻すと深山は固まった。
 そんな深山の姿に皆の視線が集中する。

「仁?」

「深山君?」

「おい」

 声を掛けられた事で、深山は我に返り勢いよく振り返る。
 振り返った深山の瞳は大きく見開かれていた。

「雫さんが・・・・・」

 その言葉に急いで皆が駆け寄る。
 そして雫を見て彼等も大きく息を呑んだ。

「どうした」

 丁度シャワーを終えた和磨が、バスローブ姿で部屋に入ってく
 る。
 雫の側で固まる3人の姿に異変を感じ急ぎ彼等の元へ。
 ベッドで眠る雫を見て和磨も息を呑む。

「・・・・雫」

 今までは夜にしか開かれなかった瞼。
 その瞼が今開かれている。
 そして何の反応もなかったその瞳。
 焦点が定まっていないが、瞬きをしながら視線は宙を彷徨って
 いた。





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