優しい場所

(14)





 ぼんやりではあるが開かれた雫の瞳。
 和磨はその姿を凝視する。

 澄んだ瞳が閉じられてから約四ヶ月。
 どれ程この日を待ち望んだ事か。
 焦がれ続けた純粋で透明なあの瞳を。

「・・・・雫」

 覗き込んだ瞳に和磨の姿は映っているが、雫はその姿を見
 ていない。

目覚めたばかりだからか?

 それにしては様子がおかしい。

「俺が、分からないのか?」

 瞳にも、握りしめる手にも反応がない。
 
何故だ

 困惑する和磨を余所に、一ノ瀬が雫の元へ。
 
「雫さん、聞こえますか」

 和磨とは逆の手を取り脈を取る。
 そして聴診器を当て診察を。

 突然目を開いた雫に皆言葉を失っていた。

奇蹟だ・・・・・

 その場にいた者全てが思った言葉。
 確かに目覚めそうな変化、気配はあった。
 だが希望はあっても確信はなかった。
 突然の目覚めに、信じた事などなかったが神の奇跡を感じた。

 それとは別に和磨の深い愛が雫を目覚めさせたのだと信じて
 疑わなかった。
 何故なら雫が目覚める直前に送られた和磨からのキス。
 それによって起きたとしか思えない。

まるで・・・・、おとぎ、話・・・・

 磨梨子は王子のキスで目覚める『白雪姫』や『眠れる森の美
 女』等の物語を思い出した。
 和磨の雫への深い愛より感じ、その瞳からハラハラと涙を零
 す。
 そんな磨梨子を夫である征爾が、肩を引き寄せ抱きしめる。

 後に控えていた漆原の目尻にも光る物が。

「友・・・・」

 共に来ていた深山がそっと頭を引き寄せた。
 いつもなら、人のいる場所でそんな事をしようものなら拳が飛
 んでいるのだが、この時は大人しく身を任せていた。
 澤部や磨梨子達と共に来ていた幹部達の瞳も僅かに潤んで
 いた。

 そんな彼等に見守られながら診察が続けられる。
 

「雫?」

 ぼんやりと開かれていた瞳がまたゆっくりと閉じられていく。
 和磨は焦った。
 閉じられてしまったら、今度こそ開かれないような気がしたか
 ら。

「駄目だ、雫。 目を閉じるな!」

 体を揺らすことによって、それが刺激となり目を覚ますのでは
 と思い和磨は雫の体を揺すった。
 必死な姿に磨梨子達も心打たれ雫の名を呼び続ける。

「目を開けて! 和磨を一人にしないであげて!」
「戻って下さい!」
「雫ちゃん!」

 雫の元へ駆け寄りそれぞれが思いを込め雫の名を呼ぶ。
 
「静かに!」

 今まで診察に集中していた一ノ瀬の低い声が検査室に響く。
 部屋が静まりかえる。
 
「皆さんの気持ちは分かります。 『戻って来て欲しい』『また目
を閉じたら今度こそ目を開けなくなるのではないか』そう思う気
持ち。 しかし、叫んだからと言って彼が戻って来るとは限りま
せん。 刺激を与えればと思うでしょうが、それがかえって悪い
方に行かないとも限りません。 今この場で見た限りでは、脈、
脳波、心電図共に異常はありませんでした。 取り敢えず今日
は部屋を用意しますから。 一旦このまま入院し、明日朝になっ
てから詳しく検査をしましょう。 今後の事はそれからです」

 一ノ瀬は周りを見回し、落ち着くよう、諭すように語りかけた。
 納得などしたくないが、雫の瞳はまた閉じられてしまった。
 開かれる気配はない。
 仕方なく彼等は諦める。
 体に異常はないと言う一ノ瀬の言葉を信じ、また瞳が開かれ
 る事を信じて今日はこのまま入院する事にした。

 幸いにも特別室が空いていた。
 雫を特別室へと移動し、和磨はそのまま雫と共に泊まる事に
 した。
 磨梨子と征爾は漆原達とは別に他に数名人を残し、今夜は
 一旦屋敷へと戻った。

 ベッドに横たわる雫を見下ろす和磨。
 一瞬でも瞳が開かれた事で希望は見えたが、逆にもう二度と
 開かれないのではという不安にもかられる。

 その苦悩が和磨の背中から見て取れる。

 「大丈夫、もう一度目を開ける」と漆原は言いたかったが、そ
 んな無責任な事を今の和磨にはとても言えない。
 深山、澤部と瞳を交わし、今は二人きりにしようと決めた。
 
「私達は隣りの部屋で待機していますので、何かありましたら
呼んで下さい。 あと、部屋の前にも念のため二人配置してお
きます」

 「失礼します」と背中に声を掛け、部屋を辞した。

 いつもと変わらぬ姿で眠り続ける雫。
 その姿を見ていると、あの時本当に目を開けたのだろうかと
 疑心暗鬼に。
 今まではなかったが、いつの間にか己の心の中に弱さが生ま
 れ、その弱さが、願望が見せた幻だったのではないのかと思
 ってしまう。

何を弱気な

 近い将来、確実に清風会の頂点に立つ自分がこんな弱い心
 では誰もついて来ないし、またその油断が命取りになる。
 そして雫までも、こんどこそ失ってしまうかも知れない。

そんな事はさせない

 もう一度この瞳に己の姿を映し、そして今度こそ心を取り戻し
 てみせると誓った。
 眠る事のないまま、和磨は朝を迎えた。
 
 朝一番で一ノ瀬が雫の病室へと訪れた。
 今日行う雫の検査の予定を告げに。

「眠れなかったのかな?」

 説明が終わった後、そう聞いてきた。
 肯定はしなかったが、一ノ瀬には和磨が眠らずにいたのが分
 かっているようだ。
 悟られるようではまだまだだ。
 
「顔色が悪いとかそういった意味で気付いた訳ではないんだ。
雫君を思う君ならきっと眠る事はないだろうと思ってね。 また
目を覚ますかもしれないと思ったんだろ?」

 そう、確かに一ノ瀬の言う通り。
 もう一度瞼が開かれるのではないかと思うと眠れなかった。
 だが結局開かれる事はなかったが。

「深山君の言う事が本当なら、昼間は目を覚まさない。 覚ます
とすれば夜だ。 だから昼の間に少しでも体を休めておくとい
い。 念のために検査は行うが、結果は多分異常ないだろうか
らね」

 そして全ての検査が終わり、結果は全て異常なし。
 検査をしている間にも昨夜と同じよう目を覚ますことを期待し
 ていたのだが結局雫の瞼は開かれないままだった。
 深山の言う通り、月が関係しているのならまた今夜も目を覚ま
 すのでは。
 口にはしないが心の中で期待する。
 取り敢えず、2、3日入院し様子を見ようという事となった。

 万が一雫が目を覚ましてもいいように、和磨は病室に仕事を
 持ち込みこの日を過ごした。
 一ノ瀬や、深山の言う事は事実ならば昼は目を覚まさないだ
 ろうから一時間程睡眠をとった。
 何かあれば側にいる深山が声を掛ける。
 和磨が寝ている間も、その後も雫の瞳は開かれなかった。

 しかし、夜も更け日付が変わろうとしていた時、昨夜と同じよう
 和磨が「雫」と呼びかけると僅かではあるが瞳が開かれ、そし
 てまた閉じられた。
 次の日も、その次の日も同じよう僅かな時間だけ瞳が開かれ
 そして閉じられた。

 3日経ち、雫の容態も変わりなく、これ以上変化も見られなか
 ったので退院する事となった。

 屋敷に戻ると、雫が回復しているのではと期待して組員達が
 あからさまではないが、眠り続ける姿を見て肩を落としてい
 た。
 だが悪化していなかった事で、安堵しているのも手に取るよう
 に分かった。

 部屋に戻り、変わらず深山と和磨が介護する。
 
今日も目を覚ますだろうか・・・・

 乱れた雫の髪を和磨の大きな手が整える。
 長くはないが病院からの車での移動は体に負担がかかった
 はず。
 もしかしたら、今日はこのまま目を覚まさないのだろうかと思
 ってしまう。

 2日前の和磨ならそんな弱気になっていただろうが、今の和
 磨は雫を信じていた。
 眠り続けているが、その眠りの中で雫は己自身と戦っている
 に違いないと。
 そうでなければ呼びかけてもその瞼は閉じられたままに違い
 ないから。
 
 儚げに見えるが、芯は強い雫。
 弱ければあの家族の中にいたら、とっくに心を壊していたに
 違いない。

 だから和磨は信じた。
 必ず己の腕の中に戻って来るのだと。
 和磨は呼び続ける。
 
・・・・雫
お前の居場所は、俺の腕の中だ





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