優しい場所

(13)





 時は流れ、春から夏へと移り変わり秋が訪れようとしていた。
 後一ヶ月もすれば雫が屋敷にやって来た日が訪れる。

 根気よく、だが愛情込めて雫に話しかけ触れる和磨。
 そんな姿に、皆の心が切なく締め付けられる。
 休みになると磨梨花や勇磨達が部屋に訪れ雫に話しかける。
 変わりない日々が続いているが、雫に小さな変化が起こってい
 た。
 月に一度の割合で指の動きがあり、初め一日だった動きが一
 日、また一日と増えて行く。

 にも拘わらず、二ヶ月に一度の一ノ瀬病院にて行われる検査
 ではそれ以上の変化は確認されない。
 だが指の動きは確実に増えていた。
 今では3日になっている。
 その時は、より熱心に雫に語りかけていた。
 何故なら指の動きが大きくなる気がしたからだ。

・・・聞こえているのか
もし聞こえているなら、早く戻って来い



 そんなある日、深山が毎日つけている雫の介護記録を見て呟
 いた。

「まさか、そんな筈・・・・・」

「どうした」

 深山の言葉を聞きとめた和磨。
 記録を食い入るように見つめる深山を振り返る。

「なにが『まさか』なんだ?」

 同じ部屋に控え、書類に目を通していた漆原が顔を上げ問いた
 だす。
 深く考え込む深山の姿に何かを感じ、和磨は希望の光を感じ
 た。

 いつになるかは分からないが、雫は必ず目覚めると信じてい
 る。
 どんな小さな事でもいい、何か切っ掛けとなればと常に思って
 いる。

「介護記録を見直して気付いたんです・・・・・。 これには日付・
気温・天気そして雫さんの様態を記録しています。 他にも血圧・
心拍数・体温も。 それとは別で何となくつけ始めた事があるんで
す」

 前置きはいいからと、その先を促す。

「月です」

「月? 月がどうした」

 漆原を制止、和磨に向き直る。

「そう、月です。 大分前ですが、屋敷から帰る途中見上げた夜
空に満月が浮かんでいました。 久しぶりに見た月の丸さと明る
さが何となく心に残って。 翌日から月齢も書き始めて。 改めて
ノートを見直してみたら雫さんの指が動いているのが満月の
日・・・・」

 ただの偶然なのではと言うが、偶然にしてはピタリと合いすぎて
 いると深山は言う。
 
「現に今夜は満月です。 それに指も一昨日から動き始めていま
す。 ただの偶然ではない筈」

 深山は言い切った。
 力強い言葉と確信を持っている。
 本当に月が関係しているのか、信じがたいがどんなな小さな事
 でも見過ごすわけにはいかない。

「・・・・・今、少し構わないか」

 一ノ瀬に連絡を入れ、夜も遅く時間外になるがどうしても確認し
 たい事があるから今夜雫の検査をして欲しいと告げた。
 一ノ瀬は嫌がる事なく、準備しておくから23時に来いと言った。

「・・・・すまない、宜しく頼む」

 和磨が電話をしている間に、漆原は車の用意をしに部屋を後に
 する。
 はやる気持ちを抑え、車の用意が調うのを待つ。

「漆原に聞いたのだけど、こんな時間から行くの?」

 夕食の時、和磨のここ最近の様子に何か違和感を感じたらしい
 磨梨子が寝る前に部屋を訪れた。
 丁度雫の支度をしている最中だった為、違和感に確信を得たよ
 うだ。
 
「確かめたい事がある」

 強い眼差しの和磨に、「私も行くわ」と有無を言わせず、部屋に
 一旦戻り征爾にもその事を告げ支度をし、共に病院へと向かっ
 た。
 半年以上眠り続ける雫。
 指に多少の動きはあるが、それ以上の変化はない。
 あの日、雫の側にいればこんな事にはならなかったのにと磨梨
 子はずっと後悔していた。

 そして今日、和磨の瞳に希望の光が見られた。
 その姿に今晩、何かが起こりそうな気がした。
 居ても立ってもいられず磨梨子は征爾と側近を連れ一ノ瀬に向
 かった。
 そして検査が始まる。

 脳波を調べるため器具が雫の頭に取り付けられる。
 そして検査開始。

「これは・・・・・」

 一ノ瀬と技師が驚きの声を漏らす。
 今までとは明らかに違う彼等の反応に、和磨達は思わず詰め
 寄った。

「どうした、何が」

 モニターと、送り出される用紙を食い入るように見る一ノ瀬。

「指が!」

 磨梨子の声に一ノ瀬の視線が指へと移される。
 そして言う通り、雫の指が僅かに動き始めていた。
 和磨と深山の二人は指が動くのを見ていたが、それ以外は見る
 のは初めて。
 驚愕の眼差しで雫を見つめた。

「・・・信じられません。 本当に指が動いているとは・・・」

 この半年以上、何も変化がなかったのに突然脳波に変化が現
 れた。
 同時に指の動きも確認された。
 目は閉じているのだが、この波形は起きている時のものと同じ
 状態。
 
「・・・・彼に何が起こっている?」

 一ノ瀬の言葉に和磨は深山の言葉を伝えた。

「月と関係している? 月の魔力? そんな馬鹿な・・・・」

 視線を和磨から雫へと移す。
 月の満ち欠けによって変化は現れる等、そんな馬鹿な事なん
 て。
 そんな事を思いながらも、事実雫の脳には変化が起こってい
 る。
 
「もしそうであるなら・・・・・。 和磨さん、私が合図を出します。
合図があったら雫さんに話しかけて下さい」

 いいですねと念を押され、一ノ瀬から合図が送られるのを待つ。

「今です!」

 合図が出された。
 和磨は頷き雫に向かって話しかけた。

「雫、いつまで寝ている。 早く目を覚ませ」

 するとモニターの波形が大きく動いた。
 同時に指の動きも大きくなる。

「まだです。 もっと強く!」

 一ノ瀬の言葉を信じて、和磨はより強く雫に話しかけた。
 
「やはり・・・・・。 しかし、こんな事が・・・・・」

 呼びかけは一ノ瀬に合図によって止められた。
 そしてモニターから吐き出された用紙を和磨達に見せた。

 和磨が話しかけた時、僅かではあるが波形が変わっていた。
 一ノ瀬が言うにはこの変化の時、確実に雫は和磨の声に反応
 しているという事だった。
 声の強さ、一部の言葉に反応していると。

上手くやれば目覚めるのでは

 ここにいる誰もがそう思った。
 それぞれの目に強い光が宿る。

 だが時間は限られている。
 今日この日を逃せば、また次の満月が訪れるのを待つしかな
 い。
 それに次の満月が来たとして、今日のような反応があるとは
 限らない。
 
この一瞬に懸ける!

 時計を見ると、針は後30分で日付が変わる事を示していた。
 一ノ瀬と和磨が視線を合わせ頷く。

 短く過酷な戦い。
 征爾達は側で和磨と一ノ瀬を見守る。
 そして祈った。

 波形を見ながら一ノ瀬が合図を送る。
 そして和磨が強く語りかける。
 彼等が集中し始めてから既に20分が過ぎている。
 語りかければ指は動くがやはり変わりはない。
 
やはり駄目なのか

 聞こえているはずなのに戻って来ない雫。
 そんな姿を見ていると『意図的に戻って来ないのでは』という思
 いにかられた。

 それはそうだろう。
 家族から疎まれ売られたのだ。
 そして最後には兄にナイフで刺されたのだから。
 生きている事を家族によって否定され、存在そのものを消され
 ようとしたのだから。

戻りたくないと思っても仕方ないかもしれない

 そう考えると磨梨子達の目に落胆の陰が。

 残り10分このまま続ける事も出来るが、和磨は敢えてそれを
 しなかった。
 20分という短い時間ではあるが、呼びかける度に雫は反応し
 た。
 この数ヶ月間、3日若しくは2日の間に指が動いていたが、今日
 のように何度も動きはなかった。
 指ではあるが急激に動かされた事で雫の体には負担がかかっ
 ている筈。
 今日無理した事で、今後に悪い影響が出るとなれば本末転
 倒。
 残念ではあるが、呼びかけを中断する事にした。
 和磨の言葉に、一ノ瀬も磨梨子達も反対はしなかった。
 和磨の心が痛いほど分かるから。

だが最後にもう一度・・・・・・

 一ノ瀬からの合図を受け、和磨は最後に一言耳元で囁いた。
 「愛してる」と。

 そして今の気持ちを込め少し乾いた唇に口づけを落とした。
 最後に目元に口づける。

「遅くまで付き合わせてすまなかった」

 就寝前にも拘わらず自宅から来てくれた一ノ瀬と技師に頭を
 下げる。
 
「ありがとう」

 雫を心配し、自分に付き合ってくれた家族、部下、幹部達に対し
 ても頭を下げた。
 どんな時も決して頭など下げる事なく、弱音を見せた事もない
 和磨が雫のためだけには何の迷いもなく頭を下げる。

 人間味のなかった和磨に心を与え愛を教えた雫。
 一日も早く目覚めて欲しいとは思う。
 だが急いでも仕方ない。
 皆、無理せずゆっくり、温かく見守っていく事にした。
 
「さあ、帰ろう。 俺達の家へ」

 長く伸びた髪。
 少し乱れた前髪をそっと指で払い整える。
 
!?

 和磨の動きが中途半端に止まる。
 大きく見開かれた瞳に皆の目が集まる。

「和磨?」

 磨梨子の問いかけにも反応はない。
 ただ雫を驚愕の眼差しで見ていた。

信じられない・・・・

 震える雫の睫。
 瞼の下で眼球が動いているのが分かる。
 
開け! 俺を見ろ!

 和磨は雫の手を取り強く握りしめ、心の中で叫んだ。
 その叫びが聞こえたのか、日付が変わると同時に睫を震わ
 せながら雫の瞼がゆっくりと開かれた。





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