優しい場所

(10)





「・・・・何をしに来た」

 腕にしがみつく由良を見下ろす。
 付き添いがいるとはいえ、雫の事を思うと一刻も早く屋敷に戻
 らなくてはと思っていたのを邪魔され、和磨はいつになく苛立っ
 ていた。 

「ひっ・・・・」
 
 それまで怒り心頭であった由良だが、冷酷な瞳、体から発せら
 れる怒気に気付き、恐怖に短い悲鳴を上げ和磨の腕から離れ
 た。
 体を震わせ和磨を仰ぎ見る。
 こんな恐ろしい和磨を見るのは始めてだった。



 これまでにも由良は何度も会社に訪れ受付で騒ぎを起こし、時
 にはマンションにまで押しかけ警備員に取り押さえられ放り出
 されていた。
 その騒ぎは和磨の耳にも入ったが、特に問題にはしないでい
 た。

 少しして、とある週刊誌から由良が和磨の私生活について、暴
 露するからそれを買って欲しいと乗り込んで来たと連絡が入っ
 た。
 確かに、ただの普通の大会社社長であれば、男の愛人がいた
 となれば大スキャンダルになる。
 だが和磨の場合、普通のセレブではない。

 和磨の経営する剣警備保障は、ここ数年この業界で抜きに出
 た。
 賢護の甥ではあるが、それとは別に和磨は清風会を継ぐ者。
 記事を持ち込まれた出版社も、それを知り、また和磨の本当の
 恐ろしさを知っているため、由良が来ても直ぐに追い返したと。

 由良など和磨にしてみればどうでもいい存在。
 漆原にはこれ以上騒ぎを起こさないよう、もしまた何かした場合
 これからの生活の保障がない事を匂わせるよう指示しておい
 た。
 だがそんな脅しも由良には効かなかったようだ。

「社長!」

 菅野が和磨に駆け寄る。
 同時に、マンションの警備員が由良の姿を認め表へ出てきた。
 一瞬顔を強張らせた由良だが、漸く和磨に会えたのだからと
 逃げる事なくその場に留まっていた。

「ここには来るなと言った筈だ。 姿を現したら警察に通報すると
言ったのが理解出来なかったのか。 ほら来い!」

 以前由良を取り押さえた警備員が、威嚇する。
 身長、体格、共に勝っているが、それでも由良は引かず、その
 場に現れた警備員達を睨み付け捕まれた腕を振り払う。

「離してよ。 あんた達には関係ない事でしょ! 僕は和磨さんに
用があって来たんだから。 部外者は黙っててよ!」

 毛並みのいい猫が毛を逆立て威嚇しているようにしか見えな
 い。
 これが愛おしい者であれば、微笑ましくも感じるのであろうが
 何の興味もない者がしても目障りでしかない。

 部屋に戻ろうと思ったが、由良の出現に戻るのは止め本家に
 戻るため菅野に車を用意するよう和磨は指示した。

「まだ話は終わってない!」

 肝心な事を何も話せないまま、和磨がこの場から去ろうとして
 いる事に気付いた由良は、以前新聞社に暴露しようとした事
 を叫び出す。

「このまま僕と会わないって言うなら、別れるっていうならこの事
世間にばらしてやる! この間は駄目だったけど、出版社はいく
らだってあるんだから」

 元は綺麗な顔だが、今の顔は醜く歪んでいた。
 一時期でもこんな男を愛人にしていた事を叱責する。
 冷酷な瞳が由良にぶつかる。
 それを受け一瞬体が震えた。

やれるものならやればいい

 この男の一人や二人くらいどうとでも始末出来る。
 最終通告を突きつけようとした時、和磨とは別の声が。

「あなたは、本当に愚かですね」

 声がした方を見ると、そこには和磨とは別に帰ったはずの漆原
 がエントランスから姿を現した。
 その姿を見て、和磨の迫力に怯えていた由良の中で怒りへと
 変換される。

「なんで。 どうしてあんたが和磨さんのマンションから出てくる
のさ!」

「・・・何故? 当然でしょう。 私はこのマンションに住んでいるん
です。 あなたにとやかく言われる筋合いはありません」

 冷ややかな声で由良の側に近づく。
 今までとは違う漆原の気配に、由良は思わず後ずさる。

なに、こいつ・・・・・

 まるで別人のような、和磨と漆原の姿に困惑する。
 
「言ったはずです。 二度と和磨さんの前に姿を現すなと。 さも
なくばあなたの今後の生活は保障しないとも」

「う、煩い!」

 怯えながらも漆原に怒鳴りつける。
 これ以上彼等に拘わってはいけないと本能が伝えているのだ
 が、どうしても和磨とは別れたくないため必死にその場に留ま
 っている。

「まさか、一緒に住んでいるの・・・・。 本命がこの男で僕が遊び
だったとか? 冗談じゃない! この僕が本命じゃないなんて、そ
んな事あり得ない!」

 和磨の愛人だったとしても、その中では和磨に一番愛されてい
 るのだと思っていただけに、漆原の次だという事が由良の中で
 は耐えられない程の屈辱となったらしい。

 漆原に飛びかかる。
 その行動に、その場にいた警備員が取り押さえようとしたのだ
 が漆原が押し止めた。

 そして右手がフワリと上がった次の瞬間、由良の体は吹き飛
 ばされていた。

「ぅぅ・・・・・」

 衝撃が大きかったのか、倒れたまま呻く由良。
 静かに漆原が近寄り由良を見下ろす。
 口の中が切れたのか、端から血が。
 
「どこまでも頭の悪いお子様ですね。 私が忠告した時そのまま
消えていれば、まだまともな生活を送る事が出来たでしょうに・・・」

 感情のこもらない冷たい声。
 誰かを殴った事はあっても、殴られた事などなかった由良には
 衝撃的な出来事。
 こんな華奢な体からあんなに強い力が出るとは。

「よくも僕の顔をっ!」

 愚かな由良。
 その場から逃げれば良かったのに、まだ漆原を睨み付けた。

「若、どうなさいました」
 
 第三者の声が入り込む。
 その場にいた者の目が声をかけて来た者へと移る。

「ひぃ!」

 男の姿を認め、由良が悲鳴を上げる。
 暗闇の中から現れた男。
 髪を後ろに撫でつけ、顔には眼鏡を掛けている。
 190cmを越える和磨よりは低いが、それでも180cmは越え
 ているだろう。
 鍛えられた体は黒いスーツを身に纏っても隠す事は出来ない。
 鋭い眼光と、その男の後ろに控える二人の男がその筋の者で
 ある事を現していた。
 
「小野寺か」

 小野寺と呼ばれた男。
 清風会の二次団体、黒聖会組長小野寺剣龍。
 和磨、漆原同様このマンションの一室に居住していた。
 
 このマンションンには、彼等の他にも澤部など、清風会に拘わり
 あいのある者ばかりが住んでいる。
 当然、警備員、フロントにいる者も清風会と繋がりがある。
 但し、彼等は組員ではなく準構成員と呼ばれる者だ。

「こんな場所でどうしました。 もめ事ですか?」

 蹲る由良を一瞥する。
 すると由良は見た目にも分かるべく肩を大きく跳ね上げた。
 蒼白になりながらも、何故彼等がこれ程まで親しげに話している
 のかは気になるらしい。

「こんばんは、小野寺さん。 お帰りなさいませ」

 漆原が小野寺に向かって丁寧に頭を下げる。
 その姿に目を細め和磨に視線を向け直す。

「相変わらず、若の所は躾が出来ている」
 
 自分より年下の男に、見下したような言葉を言われてもに怒る
 事なく、漆原は静かに佇んでいた。
 小野寺の登場に、和磨は丁度良い厄介払いが出来ると考え
 た。
 小野寺が束ねる黒聖会は主に売春を斡旋している。
 本来は違法なのだが、多くの政財界の者が会員となり、警察関
 係者までも利用しているためお目こぼしを受けている。
 会員の中には様々な趣向を持つ者がおり、由良のようにプラ
 イドの高い者を屈服させるのが趣味の者もいる。
 
丁度いい
 
「この男、小野寺の所で働かせてやれ」

 由良を見ることなく、指示を与える。
 その声には何の感情もこもっていない。
 僅かな間でも愛人だったとしても、今の和磨には必要のない人
 間。
 寧ろ、雫の元へ急ぎ帰ろうとするのを止める邪魔な存在でしか
 ない。

 この愚かな男はこのまま帰したとしても、またやって来る恐れも
 ある。
 雫が目覚めた後にでも現れたら。

 心も体も二度と傷つけないと誓った。
 目覚める前にどんな小さな不安材料も取り払っておくべきだ。
 このプライドばかり高い由良。
 二度とその姿を現さないように。

「な、に・・・・。 働かせるって、どういう事。 若って・・・・・」

 朧気ながらも和磨の本当の姿に気付き始めたようだ。
 震えながら、僅かな希望に縋るように、漆原を見上げる。
 
「昔は堂々と言えたのですが、今は暴対法が改正され厳しくなりま
したからね。 でもまあ、あなたにはもう関係ない事」

 妖艶な笑みを浮かべる漆原にこの場から逃げようとするが、小
 野寺の後ろに控えていた男達に直ぐ取り押さえられた。

「清風会。 ご存じですか?」

 世間を知らなくとも、その名前は聞いたことがあったのだろう。
 日本の裏社会の頂点に立つ名前。
 その名前を聞き、蒼白な顔が紙のように真っ白になり、ブルブル
 と震え始めた。
 両脇を支えられていなければ、その場に崩れていただろう。

「あなたは、和磨さんの事をただのセレブだと勘違いしていたよう
ですが。 大きな間違いです。 和磨さんは、現清風会総帥、神崎
征爾氏のご子息であり、次期清風会を担う者。 あなたはその和
磨さんの不興を買った。 これがどういう事か分かりますか」

 由良の耳にその言葉が入っているのかは解らないが、漆原は
 淡々と言葉を紡ぐ。

「あなたはこれから、この小野寺さんの経営する店で働いて貰う
事になります。 あなたにはピッタリな職場でしょう」

 由良の元に近づき、指で顔を上げる。
 その仕草に僅かに正気に戻ったようだ。
 
「みせ、って・・・・・」

「その綺麗な顔と体を活かせる職場です。 お得意さまをその体で
満足させてあげてください。 あなたなら一日でNo1になるでしょう
ね」

 漆原の言葉に、その店がどういったものなのかが想像ついた。
 今まで何人もの男と寝て来たが、それは由良が厳選した者だ
 け。
 だが漆原の言葉は違う。
 商売として、誰とも分からぬ大勢の男達に抱かせられるという
 意味だ。

「あなたは無駄にプライドが高いようですから、お客さまにしっかり
躾て頂きましょう。 大人しく従順になれば早くお店から出られる
かもしれませんよ」

「い・・・・、いや・・・・。 助け、て・・・・」

 漆原に縋ろうとするが阻まれる。
 切られた時、素直にそのまま消えていれば。
 
「だからあなたは愚かなんです。 言ったはず。 拘わるなと。 今
後の生活も保障しないとも。 その忠告を聞かなかったあなた自身
のせい・・・・」

 顎から指を離す。
 そして一言。

「さようなら」

 漆原が言い終わると共に、由良は男達に引きずられ車の中へと
 押し込められる。
 叫びたくとも、口元を手で押さえられている為にそれも叶わな
 い。

「後は任せた」

 和磨に言われ、小野寺は頭を軽く下げそのまま車へと戻って行
 った。
 そして車は走り出す。
 途端その場が静まりかえる。
 
「持ち場に戻れ」

 和磨の言葉に、警備員が持ち場へと戻って行く。
 一度部屋に戻ろうとした和磨だが、余計な所で時間をとってしま
 ったので、そのまま菅野に車を用意させる。

「漆原」

 車に乗り込もうとした時、一言名前を呼ばれる。
 だがその一言で和磨が何を言いたいのか察知した。

「分かりました。 必要な物は後ほど屋敷へとお送りします。 その
他の物は処分させて頂きます」

「任せる」

 言って今度こそ車へと乗り込む。
 静かに車が動き出す。

早く屋敷へ
 
 何かあれば、和磨の携帯に直接深山から連絡が入る事になっ
 ている。
 なくとも、雫の様態を知る為定期的に連絡を入れている。
 今日も雫に変化はなかった。
 気長に待とう、そうは思っても今日みたいな日には雫の声が聞
 きたいと思ってしまう。

この俺が、何を気弱な・・・・

 静かに瞼を閉じる。
 兎に角待とう。
 そう決めたのだ。
 一瞬の油断で雫がこの手から奪われそうになった。

その油断を、己のこの弱さを、雫が戻って来るまでの間なくしてみ
せる

 笑顔の雫を思い浮かべる和磨だった。





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