優しい場所

(8)





 翌日、漆原は一人の男を伴い神崎へとやって来た。
 本来であれば通される事のない本家奥。
 そこに男は通され、座敷で和磨と対面していた。
 年下ではあるが、和磨は雇い主。
 男は正座し、畳に頭がつく程深々と頭を下げ挨拶をした。

「ご無沙汰してます」



 男の名前は深山仁。
 年は漆原、澤部達と同じ30歳。
 先日まで一ノ瀬病院で理学療法士として勤務していた。
 深山は調理師免許も持ち、他にも介護、作業療法士の資格ま
 で取得している。

 学生時代アメフトと柔道をしていた為か、肩幅も広くガッシリとし
 た体格の持ち主だ。
 身長は和磨より少し低いが、それでも180cmを軽く越えてい
 る。
 精悍な顔立ち。
 目元が柔らかい為か人好きする顔。
 外見同様、性格も温厚な男である。
 そんな男だが、実は漆原の恋人でもあり清風会の組員でもあ
 る。
 漆原が清風会の門を叩いた時別れたらしいが、深山はそれを
 納得せず復縁する機会を狙っていたようだ。
  
 元々深山は漆原と同じ大学の法学部にいたが、一年で突然退
 学した。
 そして調理師になると言い専門学校へと通い始め、卒業と同時
 に調理師免許を取り、銀座の有名和食店で働いていた。
 だが漆原が事故に遭った事で僅か半年で店を辞め、理学療法
 士の学校へと通い始めた。
 漆原の怪我が長期のリハビリが必要な程酷いものだった為。
 
 一般人であった深山だが、漆原が怪我をした事で側にいたいか
 らと清風会の門を叩いた。
 組員になれば側にいられると思い。
 本当は漆原が和磨の元に来た時、一緒にと思っていたがはね
 除けられたと。
 その漆原は入院中。
 動けないうち、邪魔されないうちにと神崎へとやって来た。

 その時和磨もその場におり、深山が征爾に向かって「友之を愛
 しているので組員にして下さい」と馬鹿正直に言っていたのを
 聞いていた。
 巫山戯ているのかと思ったが、本人は真剣な顔をしていた。

 この理由には流石の征爾もどうしたものかと思っていた所、や
 はりその場に居た磨梨子が「そんな理由も偶にはいいんじゃな
 いかしら」と言った為、深山はその場で征爾から杯を受ける事
 になった。
 
 漆原の事故は和磨に熱を上げる加奈子の思い込み、逆恨みに
 よって起こった事。
 漆原が組員であればまた違っただろうが、現段階ではまだ一般
 人。
 お詫びの印として、また二人が恋人同士に戻れるようにと磨梨
 子が取りはからった。

 杯を受けたにも拘わらず、深山は特例組員として一般人と変わ
 りない生活を送れるよう取りはからわれた。
 だから組員だと知る者は殆どいない。

 自分が入院している間に組員になった深山に激怒した漆原だ
 が、抜けさせる事も破門にして貰う訳にもいかず諦めたらしい。
 そして、これで何の問題もなくなったのだからと深山に詰め寄ら
 れ復縁し、今では共に生活しているようだ。
 


「こんにちは、和磨さん。 お久しぶりですね」

 和磨の前に来ると大抵の者は緊張し、その冷酷な瞳に怖じ気
 づくのだが、頭を上げた深山は表情変える事なく爽やかな笑み
 を浮かべ挨拶してきた。
 漆原や澤部とは違った意味で度胸が据わっている。
 それは清風会に一人で乗り込んで来た時点でも分かっていた
 事。

 今まで人の事など気にした事にない和磨だが、雫と出会ってか
 らは段々人に意識を向けるようになっていた。
 深山と顔を会わせるのは今日を入れ2回目だが、この男になら
 ば雫を任せてもいいと思えた。
 深山の目には恋人である漆原しか見えていない。

 仕事熱心で実直な男。
 勤め先の院長である一ノ瀬からも高い評価を受けている。

 昔から狩野の介護をしていたので、それ程戸惑う事はなかっ
 た。
 だが今まで一ノ瀬病院にあるリハビリテーション病棟で働いてい
 た深山との違いは大きい。

 リハビリと言えば骨折など整形外科系と思われがちだが、実は
 そうではない。
 脳血管障害・心臓疾患・神経難病・麻痺・高次脳機能障害など
 多岐にわたる。
 始めは漆原の為に、しかし今は自分の為、何より患者の役にた
 てるようにと勉強し、リハビリの講習会があれば積極的に参加
 していた。

 漆原の為に理学療法士となった深山。
 理学療法士は患者の起居・立位・歩行等の主に日常生活上の
 移動面を中心とした訓練を行う。

 学校に通いながら深山は一ノ瀬でアルバイトし漆原のリハビリ
 を手伝った。
 だが卒業する前に漆原は退院し復帰した。
 しかし卒業間近、漆原の手に後遺症が出た。

 理学療法士が駄目な訳ではない。

 それとは別に、作業療法士は病気やケガ等で日常生活の動作
 が障害した患者の、これらの症状に対して、食事・更衣・整容な
 ど、身の回りの動作の訓練を行う。
 だから深山は卒業し直ぐ漆原の為、新たに作業療法士の資格
 を取得する為学校に通い始めた。
 
 学校は4年と長く、前回の時と同じよう通っている間に良くなっ
 てしまうかもしれないがそれでも構わないからと学校に通い、作
 業療法士の資格も取得した。
 そして卒業後、アルバイト先でもあった一ノ瀬病院にそのまま就
 職した。

 漆原は今でこそ手に後遺症はないが、2年前までは時々箸を落
 としたりしていたのを和磨も覚えている。
 深山の献身的な支えが漆原の手を治したと和磨は思っている。
 
 生活の全てを漆原中心で考えている男。
 この男になら安心して雫を委ねられる。
 
「・・・・どの位になるか分からないが、雫を頼む」

 感情の伺えない淡々とした話し方だが、和磨の言葉には強い
 願いが込められている。

「自分の出来る限りの事をさせて頂きます」

 そして和磨の後ろに控える漆原に優しい眼差しを向ける。
 
「ここにいれば、友の顔も見られるね。 一緒に住んでるのに最
近忙しくて会えないから寂しかったよ」

 和磨がいるにも拘わらず素直な思いを告げる深山。
 年上ではあるがその純粋な心に思わず口角が上がる。
 言われた漆原は顔を真っ赤にし狼狽える。
 
「煩い! 私の事はどうでもいいからしっかり雫さんのお世話を
しろよ。 何かあったら、仁でも容赦はしないから。 覚えておけ」

 照れ隠しなのか、漆原は深山を怒鳴りつけ立ち上がり部屋を出
 る。
 入り口で立ち止まり背中を向けたまま「雫さんの元へ案内する
 から来い!」と怒鳴りサッサと歩き始めた。
 その後を和磨と深山が追う。

 雫の眠る部屋の前へ着き漆原がドアを開ける。
 先に和磨が中へ入り、その後に深山、漆原が続く。
 部屋に入ると、室内には冬の柔らかい日差しが降りそそいでい
 た。
 ベッドの上には若葉色のシーツに包まれた雫が。
 多少窶れてはいるが穏やかな顔で眠っている。
 和磨は雫の元へ行き、そっと頭を撫で深山を振り返る。

「雫だ」

 和磨の紹介に深山は雫の元へ近づく。

「・・・綺麗な人ですね。 それにとても優しそうだ」

 そう雫は優しい。
 優しいが故、今まで辛い目に合ってきた。
 和磨の元で漸く解放され幸せになる筈だったのに・・・・
 ジッと雫の顔を見つめていると深山が静かに話しかけて来た。

「介護するにあたり、先に言わせて頂きます。 俺が彼に触れる
のはあくまでもリハビリ、介護の為。 だからといって、物のよう
に扱うなんて事は絶対にありません、誠心誠意つくします。 それ
を見て、どうか誤解だけはしないでください。 俺には大切な恋人
がいるという事を」

 言って今度は後ろに立ち漆原を振り返る。

「友にも誤解して欲しくない。 目の前にどんな人間が現れても
俺が愛しているのはお前だけだ」

 真剣な深山の言葉に、和磨は目を眇める。
 言われた漆原は目を見開き深山を見つめる。

「・・・・仁」

 見つめ合う二人。
 そんな二人を見ながら和磨は思う。
 あのまま、雫が刺されていなければ自分達も穏やかな日常で瞳
 を交わしていただろう。
 あの柔らかで優しい光を含んだ瞳を一日も早く見られる日が来
 るのを祈ろう。
 今は言葉は交わせなくとも深山のように雫に話しかけよう
 いつかは届き、目を覚ます切っ掛けになればいい。

「その言葉、確かに受け取った。 全面的に任せよう」

 深山が和磨に受け入れられた瞬間だ。



 毎日、朝から晩まで雫と共に過ごしたいとは思っているが、東部
 銀行を破綻させ、稲村からも仕事が回って来る為、処理などに
 追われその時間が取れない。

 それにどこから話が漏れたのか、東部銀行の破綻が意図的な
 もので、それに和磨が拘わっていると聞いた警察が一部動いて
 いると情報が入ってきていた。
 今すぐに何かが起こ訳ではないようだが、早いうちに片を付けて
 おこうと動いていた。

 明日から新しい年が始まる。
 本当なら年内に片づけたかったが日が少なすぎる。
 しかし今日はいつもより早く仕事を終え、屋敷へと戻る。

 その途中車内からの景色に和磨の住むマンションが目に入る。

暫く戻っていないな

 雫と出会う前まで、一人都内にあるマンションで暮らしていた。
 高校に入学すると同時に神崎から離れ、生活してきた場所だ。

 あの日何故か突然カイザーに乗りたくなり3年ぶりに屋敷へと
 足を向け馬場にいた。
 今でこそカイザー達はこの東京の神崎の屋敷にいるが、それ
 以前は軽井沢の別荘にいた。
 休みになると休養を兼ねカイザーに乗りに行っていたのだ。
 直ぐ乗りたいと思う時近くにいないのは不便だからと、東京の
 神崎の屋敷に今年になり連れてきたのだが。
 そのお陰で雫と出会い、そのまま本家で暮らし始めた。

 雫と出会ってまだ二ヶ月だが、マンションでの生活が遙か遠い
 昔のように感じられた。
 このままあの部屋に帰らなくても何も問題はない。
 必要な物、重要な物も特に置いていないから。

 雫が目を覚ました時、一緒に暮らすのもいいかと思ったが、和
 磨の住むマンションは体の弱い雫にはキツイだろう。
 周りに緑はなく、近くには大きな幹線道路がある。
 車通りが激しく、その為排気ガスも多い。
 気管支の弱い雫には最悪な環境。
 このマンションには思い出もなければ未練もない。

処分するか

 その前に一度部屋に戻っておこうと、秘書の一人で運転してい
 る菅野にマンションへ向かうように指示した。
 そびえ立つ高級マンション。
 エントランスに車を着け和磨は降りる。

「直ぐ戻る」

 車をエントランス脇にある送迎専用の駐車場に止めるよう指示
 しマンションへ入ろうと足を踏み出した時、後ろから切羽詰まっ
 た声が。

「和磨さん、待って!」

 和磨を呼び止める若い男の声が聞こえた。





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