優しい場所

(7)





 今日雫は退院する。

 一ヶ月と言われていたが、予定より早く退院する事が出来た。
 というのも、今では自発的に呼吸も可能となり、刺された二カ所
 の腹の傷も塞がったから。
 抜糸されたその場所は赤い線として残っているだけ。
 一ノ瀬の弟が丁寧に縫合したお陰だろう。
 これには一ノ瀬も驚いていた。
 
 ベッドに横たわるその姿は、眠っているようにしか見えない。
 今にも目を覚まし、優しい瞳を向けてくるのではないかと思わ
 ず期待してしまいたくなる。
 この状態ならば退院しても大丈夫だと一ノ瀬は判断した。
 その為、今日退院となった。

 奇しくもその日はクリスマス・イブだった。
 神崎家にとっては、何よりも嬉しいクリスマスプレゼントとなっ
 た。

 明け方から降り始めた雪。
 都内で、年内、しかも12月24日にに雪が降るのは20年ぶ
 り。
 こんな雪の降る、足下悪い中退院しなくともと一ノ瀬には言わ
 れたが、一日でも早く雫を連れて帰りたかった。

この日をどれだけ待ち望んだか・・・・

 眠り続ける雫の顔を見下ろす。

 街は一面銀世界。
 雪が様々な音を吸収する。
 とても静かだ。

 雪が降っていたが幸いこの日は休日であった為、道路に車は
 あまり見られない。
 流石に国道に出れば車が走っているが、それでもいつもより
 は少ない。

 運転は澤部が。
 いつも以上に慎重であった。
 だがいくら澤部が気を付けていても、回りから事故を貰う可能
 性があるの為、雫が乗る車の前後には神崎の車がガードをし
 ている。
 それにここ最近、清風会の一部に不穏な動きが見られる為、
 漆原達はより神経を使っている。



 雫が生き返った事は、宗之が国内を出たその日に屋敷内、清
 風会に連なる組へと伝えられた。
 それまでの間は追って連絡をいれるとの和磨、征爾の言葉が
 あった為大半の者は大人しくそれらを待っていた。
 中には何の説明もないことに、槇や榎本、澤部達に不満をぶ
 つけ怒鳴りちらす者もいたが、彼等の電話越しの迫力に大人
 しく引き下がった。

 雫が生き返った事には殆どの者が信じず、何の冗談かと憤り
 本気で怒りを露わにしていた。
 だが和磨、磨梨子らが毎日一ノ瀬病院を訪れ、雫のいる特別
 室のドアには神崎からの選りすぐりの者数名がつき、院内でも
 ちょっとした噂になっていた為、本当の事だと彼等は知る。
 面会は叶わないが、見舞いの品を雫へと贈った。

 雫の死、そして生還と神崎本家は慌ただしくなった事で、この
 隙にトップに成り代わろうと企む者も現れ始めていた。

 清風会は巨大な組織。
 心から忠誠も誓う者もいれば、己の組を潰されないが為仕方
 なく従っている者もいる。
 やり方が温いと征爾達を臆病者扱いする者も。
 いつかその頂点に立とうと狙う者もいた。
 常に何処かに隙がないかと様子を窺い時を待つ。

 そしてそのチャンスが巡って来た。
 今ならばつけいる隙があると。
 幾つかの組が手を組み、征爾達を消そうと動き始めていた。

 だが彼等はまだ知らない。
 その隙が作られたものだという事に。
 雫が死に、蘇った事で確かに屋敷内は慌ただしくはなっている
 が崩される事など決してあり得ない。
 この事により、神崎に不満を持つ組が動き出す事など前もって
 送り込んでいた者により報告されていた。

 その組には既に別の人間をつけ見張らせている。
 だが征爾達は直ぐには動かない。
 この際、全ての不穏分子を炙り出し取り除こうと決めていたか
 ら。

 但し、例外はある。
 雫を狙おうとした者達だけはその場で排除した。
 殺すつもりか、それとも誘拐しようとしたのか、雫の部屋が襲
 撃された。
 一般病棟とは離れていた為他の入院患者達には気付かれな
 かったが、退院するまでの間、3度程神崎の者とぶつかった。
 選りすぐりの者であった為、襲撃して来た者達はあっさり返り
 討ちにあい捉えられ、属していた組は早々に取りつぶされてい
 った。



 普段より時間をかけ、雫は神崎の屋敷へと戻る。
 襲撃にも構えていたが、それもなく無事屋敷へ到着した。

 正門を潜ると、雪が降っているにも拘わらず、屋敷に詰めてい
 た組員全員が表に並びその帰りを待っていた。
 その中には、この悪天候の中にも拘わらず数名の組長、幹部
 達の姿も見られた。

 先に助手席から降りた漆原が傘を翳し、後部座席のドアを開
 ける。
 開かれたドアから和磨が雫を抱きかかえ降りる。
 寒くないよう、その体は温かな毛布にくるまれていた。

「「お帰りなさいまし!」」

 二人の姿に出迎えた組員達がいっせいに頭を下げる。
 死んだ筈の雫が戻って来た。
 生きていると槇から伝えられてはいたが、半信半疑だった。
 目にするまでは信じられなかったが、目の前に、和磨に抱きか
 かえられ雫はその姿を現した。
 物言わぬ、魂をなくした体となり戻って来た一ヶ月前とは明ら
 かに違う姿で。

 紙のように真っ白であったその顔は、今は色づいている。
 血が通い、確かに生きているという事がはっきりと分かる。
 瞼は閉じられているが、雫は確かに戻って来た。
 頭を下げている為、和磨達には分からないが涙を流す者もい
 た。
 
 屋敷に入ると上がり框で征爾と磨梨子、三人の兄弟、剣夫
 妻が彼等を出迎えた。

「出迎えありがとうございます」

 和磨は出迎えてくれた彼等に軽く頭を下げた。

「無事で何より。 良く戻った・・・・・」

 征爾も和磨同様あまり表情を変える事はないのだが、この日
 ばかりは無事の帰宅を喜び、その腕に眠る雫に話しかける。
 本当によく戻ってくれたと雫に話しかけた。

 退院する日は前もって知らされており、勇磨、磨梨花は既に
 学校が冬休みに入っていた為、屋敷へと戻って来ていた。
 イタリアに留学中の美咲もこの日の為だけに一時帰国した。

 予定より早めの退院となったが、屋敷の改装も既に終了して
 いた。
 廊下、各部屋の入り口は広げられベッドがそのまま移動出来
 るようになっていた。
 
 腕の中にいる雫を見下ろすと少し顔色が悪い気がする。

「痩せたわね・・・・・」

 美咲がポツリと呟く。
 初めて会った時もほっそりとしていたが、今はそれ以上に痩
 せていた。
 長期入院後の始めての移動。
 いつもより倍時間をかけ屋敷に戻って来たのだ。
 眠ってはいるがその体には相当な負担となった筈。
 急ぎ部屋に行き、雫をベッドに寝かせる。
 同行して来た一ノ瀬と看護士一名の手により診察がおこなわ
 れる。
 
「多少疲れがみられるようですが、特に問題はないようですね。
念のため今夜一晩私達が詰めましょう」

 一ノ瀬の言葉にその場にいた一同安心する。
 それに一晩とはいえ、一ノ瀬が屋敷にいれば心強い。
 診察を終えた一ノ瀬達を漆原が用意した部屋へ案内する。
 
「・・・・本当に奇蹟よね」

 響子がボソリと漏らす。
 それはその場にいる誰もが思った事。
 華奢な体が更に細くなり、肌もより白さを増し存在感を薄くし
 ていた。
 ふと目を逸らすと、次の瞬間消えてしまっているのではないか
 と、そんな気がしてしまう。
 それ程までに儚い存在となっていた。

「奇蹟でも何でも構わない。 雫が生きていれば・・・・・」

 普段滅多に漏らすことのない和磨の本心が零れていた。
 その様子から、今この瞬間が和磨にとって掛け替えのない幸
 福な時間なのだと教えられた。

 だがそれは回りから見ると悲しくてならない。
 この場にいる者は、心から愛する者を失った事などない。
 常に側におり、彼等を支えてくれている。
 この半身がいるからこそ、どんな事が起こっても、耐え乗り越え
 られてきたと言っても過言ではない。
 生きてはいるが、和磨の半身は奪われたも同然。
 下手な言葉は掛けられない。

「・・・・悪いが暫く二人にしてくれ」

 和磨の言葉に征爾達は部屋を後にした。
 
 漸く自分の元へと戻って来た雫。
 毎日仕事に行く前、後そして合間にと、雫の顔を見に病院に足
 を運んだ。
 雫の担当の看護士は一ノ瀬自ら信頼の置ける者を選んだ。
 加奈子はいなくなったが、雫がまた狙われないとは限らない。
 あの時、加奈子に手を貸したレントゲン技師はやはり浅井の手
 によって処分された。
 手を貸さなければ今もまだ一ノ瀬で働いていただろう。
 家族も平和に暮らしていただろう。
 たった一度の過ちが人生を壊すという事を知っていれば、あん
 な愚かな行動には出なかったのだろうが、今更言っても既に処
 分は下された後だ。

 もう二度と、誰にも奪わせない。
 この手から雫を奪う者は死神でも許さない。

雫、お前は何を夢見ている・・・・

 眠る雫に心の中で問いかけた。

 眠り続ける雫の部屋にはクリスマスツリーが静かに飾られて
 いる。
 美咲達が用意した物だ。
 屋敷に来て間もない頃、誕生日、クリスマスも祝った事がない
 と言っていた。
 そんな雫の為に、今年は派手にクリスマスを祝おうと澤部達が
 色々準備をしていたようだ。
 眠る雫に見る事は出来ないが、綺麗に飾り付けられていた。
 ツリーの足下にはリボンが掛けられた箱や袋、その他にも大
 きな馬のヌイグルミが置かれていた。
 雫へのプレゼントのようだ。

皆、お前が目覚めるのを待っている
お前は一人などではない・・・・・

 だから早く目を覚ませと、和磨は眠る雫の手を握りしめた。
 雫の退院を見届けた美咲は翌日イタリアへと戻って行った。
 
 眠り続ける雫を和磨が介護する。
 どんなに忙しくとも和磨は手を抜く事なく雫を介護した。
 磨梨子が手伝うと言ったが、磨梨子も狩野を見なくてはならな
 い。
 毎日ではないが、負担なのは確かだ。
 それでなくとも磨梨子自身忙しい身。
 
 和磨は毎日一人雫の世話をした。
 その姿に、回りで見ている者達の方が心配になる。
 確かに和磨は丈夫ではあるが、続けるには限界がある。
 警備会社の他にも会社はあるし、その他にも不穏な動きをす
 る者に目を光らせている。
 組に関しては征爾や槇、榎本達が中心となり動いてはいるが
 それでも動かない訳にはいかない。

 正月となれば、各組の者が新年の挨拶にやって来る。
 杯は交わしてはいないが、和磨は神崎家の長男で次期総帥。
 勇磨がまだ高校生な為、会社を譲る事は出来ないがそろそろ
 限界が来ている。
 次期総帥とはいえ、杯を交わしていない和磨に不満を持つ者
 がいるのも事実なのだから。
 
 そんな和磨を見ていた漆原。
 見ていられなくなり遂に切り出した。

「差し出がましい事とは重々承知しています。 ですがこれ以上
見ていられません。 一人で雫さんの介護は無理です。 他の
誰かに触れさせたくないという気持ちは分かりますが、お願い
ですから介護士をつけてください。 このままでは和磨さんが倒
れてしまいます。 雫さんが目を覚まされた時、和磨さんが倒れ
てしまっていたら本末転倒。 どれ程悲しまれる事か」
 
 漆原の必死の訴えに、和磨は仕事の手を止めその顔を見つ
 めた。
 信じられるのは自分と後一人、幼なじみでもある久我山貴章
 だけだった。
 昔は親兄弟でさえ信じられなかった。
 今は心身共に成長し、人の本質が見られるようになってきて
 いた為側に漆原や澤部を置くようになった。
 だが肝心な所でまだ人を信用出来ない部分があるのも事実。

 漆原の言う事は分かる。
 その言葉が心からのものだという事も。
 何よりも漆原には人見知りである雫が心を許し懐いていた。
 
「・・・・・・・」

「大切な雫さんに下手な介護士を付けたくない気持ちは、私も
同じです。 和磨さんの眼鏡に適うかどうかは分かりませんが
一人だけ心当たりがあります。 真面目で誠実で充分信頼が
おけます」

 真剣な眼差し。
 漆原が雫を、和磨を心から心配しているのが分かる。
 これから益々忙しくなる事は目に見えている。
 不穏分子の炙り出しがそろそろ終わろうとしていたからだ。
 これから大がかりな処分が始まるだろう。
 そうなれば期間は短くとも、雫の元に帰る時間も不規則とな
 る。

 漆原の言う心当たりは和磨もよく知っている男。
 その男ならば、確かにおかしな事にならないだろう。

 何故ならその男、深山仁は漆原の恋人だから。
 つきあい始めて10数年。
 仁は漆原しか見ていなかった。

「仕事はどうした」

「タイミングがいい事に、昨日付で職場を退職し現在無職です」

 ニヤリと笑う漆原に、既に準備が整えられていたのだと知り
 和磨は目を細める。
 
「明日から連れてこい」

 和磨の一言に漆原は頭を下げた。
 その場で仁に連絡を入れる。
 こうして雫の介護士が決定した。





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