優しい場所

(6)





 検査の結果、現段階では異常はみられなかった。

 雫が運ばれ1週間が経ったが呼吸、心拍共に安定していた。
 頭部CTやMRIなどもおこなわれたが、心配されていた脳にも
 異常は見られなかった。
 だがそれは検査結果なだけであり、実際の所は分からない。
 雫は一度死んだのだから。
 
 脈、呼吸が完全になくなり瞳孔反応もなかった。
 一ノ瀬だけでなく、それは一ノ瀬の弟である医師も確認してい
 る。
 だが雫は生き返った。

 今だ目覚めてはいないが、モニターが雫が生きているという事
 を現している。
 呼吸が止まってから10時間近く経っての生還。
 命は助かったとしても、その間酸素が脳に行っていなかったの
 だ。
 検査で異常はなくても、この先どうなるかは誰にも分からない。

 このまま目を覚まさない確率が一番大きい。
 万が一目を覚ましたとしても何も認識出来ないだろう。

どちらが良かったのか・・・・・

 一ノ瀬は心の中で思わずそんな事を思う。
 生き返った事で、和磨の魂は救われたのかもしれない。
 だがこの姿のままの雫を見続けるのは、相当な苦痛となるに
 違いない。
 それは今も神崎家奥で眠り続けている狩野の事でよく分かっ
 ている筈。

彼は、神崎家の一員といってもいい男だった・・・・

「傷の具合も徐々にではありますが、回復しています。 生きて
いる証拠です」

 一ノ瀬は振り返りそこにいる和磨達を見渡す。

「一ヶ月もあれば傷は良くなるでしょう」

 その言葉に磨梨子達の顔が明るくなる。

「問題はその後の事です。 先程もお話した通り目覚める確率
はとても低いでしょう。 看護するにしても・・・・・・」

「何も問題はない」

 一ノ瀬の言葉を和磨は遮る。
 言いたい事は分かっている。
 狩野の事だと。
 介護しなくてはならない人間が一人増えるのだから相当な負
 担になると言いたいのだろう。

 確かに眠り続ける人間の介護は大変だ。
 狩野は眠っているが、ちゃんと生きている。
 自分で物は食べられないが、毎日流動食をとりそして排泄も
 ある。
 体も綺麗に拭いてやり、床ずれが出来ないよう体を動かしたり
 目が覚めた時筋肉が衰えないようにと手足も動かしてやらなく
 てはならない。
 それがどれだけ大変で重労働な事か。

 現在狩野に関しては神崎と槇が選んだ介護士が付けられて
 いるが、24時間という訳ではない。
 いない時には狩野の親友である槇が忙しい時間をぬい、介護
 士の変わりを行っている。
 槇だけではなく、磨梨子も和磨も介護している。
 それがどれだけ大変な事か身をもって和磨達は知っている。

「雫もここにいるより、神崎に戻った方がいいだろう。 ここは寂
しすぎる・・・・・。 一人増えようが二人増えようが俺は構わな
い。 俺は雫を側においておきたい・・・・・・」

 和磨の決意は固かった。
 磨梨子達を見ると、やはりそれで構わないと頷いた。
 雫の腹の傷が良くなり次第、神崎家に連れ帰る事になった。

 屋敷に戻った和磨達は雫を迎え入れる為の準備に取りかか
 る。
 眠り続ける雫の体の負担にならないベッドを取り寄せたり、屋
 敷内を改装させる。
 期限は約一ヶ月。
 時間は充分ある。

 目覚めるかどうかは分からないが、雫は戻って来た。
 失われたと思った者がこの腕の中に戻って来のた。
 今はそれだけで充分だ。



 雫の命が奪われる一つの原因となった稲村宗之。
 本来であれば屋代親子や篠原加奈子達同様その身で罪を償
 わせる予定であった。

 父親である稲村代議士の到着を待ち、処分をする為雫の元を
 離れようとした時、雫に変化が起こった。
 その為、処分は一時中断となりそのまま二人は屋敷内に閉じ
 こめたままになっていた。

 3日後、雫の様態が一旦安定した事で漸く二人の処分を行う
 事にした。
 屋敷内の者には、まだ雫が生き返った事は伝えていない。
 勿論集まった各組の組長、幹部にも。
 だがこのまま何も言わない訳にはいかない。
 彼等は雫が一旦死んだ事を知っているのだから。
 通夜も葬式も何もしないというのは余りにも不自然。

 だが彼等にそれを伝えるのは後だ。
 今は稲村親子の処分が先。
 雫が蘇った事を伝えれば、屋敷内は当然騒がしくなる。
 そうなればいくら稲村親子を閉じこめていたとしても、どこから
 かそれが漏れ彼等に知られてしまう可能性がある。
 特に息子宗之に知られる事だけは避けたい。

 和磨が漆原達を伴い、稲村親子を閉じこめている部屋へと向
 かう。
 部屋の前で番をしていた澤部が和磨に頭を下げる。
 監禁していた部屋は稲村達にしてみれば、殺風景で居心地が
 悪いだろうが、部屋の中は暖房がつけられ温かくされておりベ
 ッドも備え付けられている。
 先に処分した屋代家、加奈子達に比べれば断然扱いがいい。

 中に入るとたった3日だが二人共酷く窶れていた。
 特に宗之の目は虚ろで生気がなかった。

 閉じこめられた初日、代議士の方は煩く喚いていたようだが
 和磨が東部銀行頭取である篠原と、義父であり同じ代議士で
 ある森に下した処分を聞かされると多少大人しくはなった。
 それにここ神崎は清風会総本部。
 神崎は剣グループとも強い繋がりがある。
 トドメを刺したのは藤之宮大吉の存在。
 大吉に見放されるという事は、政界から抹殺されるに等しい。
 可愛いと甘やかした結果、政治生命を絶たれる事になってしま
 った。
 
「単刀直入に言う。 東京、北海道、長野にある土地、建物全て
を渡して貰おう。 他にも持っている株も。 それで全てを流して
やろう」

 和磨の言葉に、今まで項垂れていた稲村が顔を上げる。
 篠原達の処分を先に聞いていた為、自分達もそれと同じか、そ
 れ以上の事をされるのだとばかり思っていたので、それだけで
 いいのかと逆に驚いた。

 今言われた物を取られるのは、稲村にとって大きな損失とな
 る。
 だがそれらを取られても、他の県にも土地建物はいくつか残っ
 ている。
 残った物を処分すれば、生活水準は今までよりは断然下がる
 がやっていけない事はない。
 生きていれば、同じ物は手に入らなくとも手にする事は可能だ。
 
「私はこのまま・・・・・」

「続けて構わない。 だがこれから先、神崎、剣の為に尽くして貰
う。 勿論、後継者である長男、一族全員で」

 このまま議員が続けられる、そして後継者である長男宗近も
 何の処分もないと聞けば頷くしかない。
 何度も何度も頷いた。

「但し・・・・」

 その声に、稲村の動きが止まる。
 和磨の視線の先にある宗之の存在に気付き蒼白になる。
 今回の事件の原因ともなった息子。
 愚かだが、稲村にとっては宝だった。
 助けたいと思っていた。

 視線を向けられた宗之は、俯いたまま。
 その目には何も映っていなかった。
 雫が目の前で刺された事が、相当大きな衝撃となっているよう
 だ。
 2度刺され、あれだけ出血していたのだ、当然死んだと思って
 いるだろう。

「この男は国内から出せ。 二度と日本の地を踏ませるな」

 稲村の目が大きく見開かれる。
 命が奪われる事はなくとも、それ相応の仕置きがあるだろうと
 思っていた。
 だが命を奪われる事なく、宗之は五体満足で国外追放ですむ。
 喜ばずにはいられない。

「ありがとうございます、ありがとうございます」

 稲村は土下座し何度も何度も頭を下げた。
 その処分に対し、いままで俯いていた宗之がノロノロと顔を上
 げる。

「・・・・どうして、殺さない」

「宗之!」

 温情を台無しにする息子の発言に稲村が怒鳴りつける。
 虚ろな宗之を見下ろす和磨。
 
 殺しても構わないと思う。
 だがそれでは簡単過ぎる。
 宗之は生きてその罪の重さを知るべきだ。

 気付いていなかったようだが、宗之は最初から雫の事を愛し
 ていた。
 同じ雫という人間を愛しているからこそ分かるその思い。
 目の前から消えた事で、その思いに気付いたのだろう。
 だから雫が兄に刺された時、あれ程まで必死になり雫の事を
 守った。
 
 雫が助からなければ、また違った処分を下しただろう。
 だが雫はその命を取り戻した。
 それに免じ、守ろうとした事に対して今回はこれ程まで軽い処
 分で済ませる事にしたのだ。

 日本にいれば雫が生きている事を知るかもしれない。
 今はまだ目覚めないが、目覚め街を歩けばその姿を目にする
 かも知れない。
 そうならない為にも、宗之は国内から出すべきだと判断した。
 
 屋代家族も、宗之と同じよう、少しでも助けようという態度が見
 られたら違った処分となっていただろうが、彼等はそれをしな
 かった。
 生き返ったという事もそうだが、そこが今回の処分の違いだ。
 和磨は何も言わず部屋を後にした。

 それから3日後、稲村に着けていた者から連絡が入った。
 神崎家から解放された稲村親子はその足で一度北海道の自
 宅へと戻った。
 自分の為、そして息子の身の安全の為稲村は整理を始めた。
 言われた株や物件は、神崎から回された者により名義やら何
 やら全て変更された。

 宗之に関しては、稲村の知人がイギリスにいるとの事だった為
 そちらで預かる事になったようだ。
 簡単に荷物を纏め、秘書の一人を同行させイギリスへと旅だっ
 た。

これで全てが終わった・・・・・

 様態が安定した雫は現在特別室へと移されている。
 ベッドの脇に置かれた椅子に座り、和磨は雫の手を取った。
 今はまだ眠り続けても構わない。
 少しの間雫には休養が必要だ。

何も考えず眠るといい
だが休息したら必ず戻って来い

 握りしめた手に、そっとキスを落とした。





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