優しい鼓動
(48)









頭が痛い・・・・

 それだけではなく、吐き気もする。
 体に沈んでいた意識が、ゆっくりと浮き上がってくる。
 重い瞼をゆっくり開けると、真っ白な見慣れぬ天井が。
 薄暗く、壁一面の棚には大きな袋が整理され並べられている。
 何かの倉庫のようだ。
 
・・・・ここは

 磨梨子と一ノ瀬病院に検査に来た事は覚えている。
 そして案内され、検査室に入った所までも覚えている。
 その時検査台に上り、仰向けになった時に見た天井は今と違
 っていたはず。
 それに今寝ているのは、病院の待合室に置かれているような
 長椅子のソファー。

じゃあ、ここは・・・・?

 意識がなくなる前の事を必死で思い出す。

 あの時は、目を瞑ってくれと言われその指示に従った。
 と同時に口を鼻を布で覆われ、目を開けると検査員だった男が
 酷く嫌な笑みを浮かべて雫の鼻と口を塞いでいた。

 はっと我に返り、起きあがろうとするが体がいう事を聞かない。

どうして?

 不自由な体をゆっくりと起こしていく。
 すると始めて耳にする声が。

「漸く起きたの?」

 声をした方向に顔を向けるとブランド物のスーツを身につけた
 華やかだが、キツイ顔をした女が雫を睨み付けていた。
 憎悪に満ちた顔。

 これだけの容姿を持っていれば一度でも会えば覚えている。
 しかし全く記憶にない。
 だが女は雫を知っているようだ。
 そして憎しみを抱いている。

どうして・・・・・

 ぶつけられる憎みに震えながら女を見詰める。

「薬の量間違えたんじゃないの? あれから何分経ってると思っ
てるのよ! それに遅いじゃない。 いつまで私を待たせるの!」

 女は雫を見詰めながらヒステリックに側にいた男を罵倒した。
 男は雫に薬を嗅がせた検査員であった。

「すみません、加奈子さん。 こいつ薬が効きやすいみたいで」

 男は加奈子と呼ばれた女に向かって、必死に言い訳をしてい
 た。

「そんな事どうでもいいわよ。 いつになったら来るのよ。 こんな
に時間がかかっては折角攫って来たのに気付かれてしまうでし
ょ!」

攫った?
 
 加奈子の言葉に自分が薬を使われ、意識を失ったのだと分か
 った。
 だが、なぜそうまでして、この二人は自分を攫ったのだろうか。

一体なんの為に?

 会った事もないこの二人に、攫われた意味が全く分からない。

「あの・・・・」

 意を決して話しかけると加奈子がギッと睨み付けた。
 その形相が余りにも恐ろしかった。
 起きあがった雫に近づく。

パンッ!

 大きな音と共に痛みが。
 殴られた頬が熱を持ち、みるみる赤くなる。
 それだけではない。
 加奈子のネイルアートされた爪が頬を傷つけ、白い肌に血が滲
 む。 

「あなた一体どういうつもりなの。 神崎家に上がり込んで。 どう
やって和磨さんや小父様、小母様に取り入ったの」

「取り入った・・・・」

 余りの言いように呆然となる。
 加奈子が和磨達の知り合いなのだとは分かったが、なぜ罵倒
 されるのかが分からない。

「そうよ! 私は和磨さんの婚約者なのよ! それをのこのこと後
から男の癖に入り込んで来て。 大人しそうな顔して随分な事
するのね」

「!」

 一瞬息が止まる。
 和磨の婚約者と聞いて雫は頭の中が真っ白になるくらい、ショッ
 クを受けた。

聞いてない・・・・
そんな・・・・・、和磨さんに、婚約者・・・・・?

 椅子から滑り落ち、その場にしゃがみ込んでしまう。
 
「和磨さんも和磨さんだわ。 男にしては多少見られる顔をしてい
るけど、この私がいながらこんな男に手を出すなんて。 ・・・違う
わね。 和磨さんから手を出す筈ないわ・・・・・。 あなたが誑かし
たのね。 どうやったの。 体を使ったの?」

 和磨の婚約者というだけで、傷ついているのに、追い打ちを掛
 けるよう次々と悪意ある言葉をぶつけられる。

「そんな顔をして、余程手だれているのね。 何人くらい誑かし
たのかしら? この淫売!」

「あっ・・・・」

 加奈子に突き飛ばされる。
 しゃがみ込んでいたからそれ程ではないが、床に叩き付けられ
 る。
 
「家族にも捨てられた癖に図々しいのよ。 早く消えなさいよ!」

「!?」

 ヒステリックに叫んだ加奈子の言葉に、体が大きく震える。
 なぜこの人が知っているのだろう。
 家族に捨てられた事など、誰にも話していないのに。
 この人は一体どこまで知っているのだろう。
 もしや、和磨も、和磨以外もその事を知っているのだろうか。
 だからあんなに優しかったのか?

『同情』

 その言葉が頭の中を占める。
 そうなのかも知れない。
 そう思えば納得も出来る。
 彼等はとても優しい人達だから。
 それに和磨とは体を繋げたが、好きだとか、愛していると言わ
 れた訳でもない。

そうか・・・・、そうなんだ・・・

「ふっ・・・・・」

 ポロポロと涙が零れる。
 
「漸く分かったようね」

 勝ち誇った加奈子の声に、ノロノロと立ち上がる。
 勘違いしていた。
 側にいていいと言われていただけなのに。
 伴侶と言われたが、実は愛人の間違いだったのか・・・・

 和磨に婚約者がいたのであれば、返さなくてはならない。
 そして彼女には目障りであろう自分は消えなくては。
 
「ごめんなさい・・・・・」

 傷ついている加奈子にはそんな言葉では足りないだろう。
 だが、そんなありふれた言葉しか出て来ない。
 それだけ言い、打ちのめされた体を引きずり部屋から出て行こ
 うとする。

「待ちなさい」

 大事な婚約者を一時でも取られたなら一刻も早く消えて欲しい
 筈にも拘わらず、加奈子は雫を呼び止めた。
 背を向けたままの雫にまだ用は済んでいないと。
 これ以上自分がここにいて何があるのだろう。
 そう思った時、目の前の扉が開かれた。
 俯いていた雫には顔は見えなかった。
 だが・・・・

「こんにちは、雫さん」

 数ヶ月前まで常に耳にしていた声。
 体が恐怖に震える。
 まさかと思い、顔をゆっくりと上げる。

「ひっ・・・・!」

 最も会いたくなかった人物、稲村宗之が立っていた。





 
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