優しい鼓動
(49)









「久しぶりですね」

 宗之は一歩足を踏み入れる。
 そして雫は後ずさる。

「探しましたよ。 随分・・・・」

 数ヶ月の間で頬が痩け面差しが変わっていた。
 笑ってはいるがその目は雫を射すくめる。
 恐ろしさに声も出ず、ただ後ずさる。

「どうしたんですか。 久しぶりに会ったのに喜んでくれないん
ですか?」

 尚も後ずさろうとしていた雫を腕を掴む。

「痛っ!」

 余りの強さに顔が歪む。
 
「少し太りました? 顔もふっくらとして、以前より健康そうだ
それに益々綺麗になった・・・・」

 ウットリと呟き、雫の頬を撫でる。
 しかし赤く腫れた頬と血の滲む肌を見て顔を顰める。

「加奈子さん、困りますね」

不愉快と言わんばかりの口調。

「私の和磨さんを誑かしたんだから当然よ。 逆にこの位で
終わらせた私に感謝してほしいくらいだわ」

 だが加奈子はそれ以上に不機嫌そうな声で宗之に言い返
 した。
 一方の撫でられた雫は、まるで蛇にでも撫でられたようで
 ゾッとた。
 少しでも離れようとと藻掻くが宗之は離さず、腰に腕を回し
 雫を腕の中に抱きしめる。

「いやっ!」

 身をよじり抵抗するがビクともしない。
 
「あなただけなの、他はどうしたのよ」

 イライラとしている加奈子の声に、感動の再開をしている所
 を邪魔され、ムッとなる宗之。
 だが余計な事を言えばヒステリーを起こすであろうから言わ
 ず加奈子には当たり障りない返事をした。
 
「一緒に来ましたから。 もう来ると思いますよ」

 雫の髪に顔を埋める。

「どうして・・・・・」

「なんですか?」

「どうして君がここに・・・・・」

 見つかる事などないと思っていた。
 東京に来た事は分かったとしても、これだけの大都会なの
 に。

「ああ、その事ですか。 簡単です。 俺達はあなたを探し、そ
して彼女はあたなの事を調べていた。 互いがあなたの事で
結びつき連絡を取っていたんです」

 互いが一人の事に関して調べれば、最終的に繋がって当
 然。
 
「さあ、雫さん北海道に戻りますよ」

「いや・・・」

 いい思い出が一つもない故郷になど戻りたくない。
 戻れば宗之との生活が待っている。
 それに黙って黙って逃げ出した自分を家族が許すわけが
 ない。
 どんな顔をして会えばいいのか。
 もう憎しみの言葉など聞きたくない。
 腕の中で戻る事を拒む雫に、宗之は優しく話しかける。

「逃げ出した事は不愉快で腹立たしい事ですが、あなたが大
人しく戻って俺の物になるなら許してあげますよ」

 許して欲しくなどない。
 和磨には婚約者がいて裏切られてしまったが、身も心も和
 磨に捧げた。
 この先二度と会う事がなくとも、和磨以外に触れたくないし
 触れて欲しくない。
 嫌だと首を振る。

 何に対して嫌なのかは分からないが、拒む雫に苛立つ宗
 之。
 だが怒鳴ることはしない。

「家族の事が心配ですか?」

 体が大きく跳ねる。

「大丈夫です。 あなたが俺と戻ってくれるなら彼等も許して
くれますから。 随分心配されてましたよ。 彼等も一緒に東
京に出て来ているんです。 ここまで一緒に来ましたからも
うすぐここに来ると思いますよ」

 今まで顔を背けていた雫だったが、宗之の言葉に抵抗を止
 め顔を見上げる。

「嘘・・・・・」

「何がですか?」

「僕の事なんて心配する筈がない。 黙っていなくなったのに
許してくれる筈がないよ。 東京になんて絶対に来ない・・・」

 言い終わると同時に扉が開き、懐かしい家族が姿を現した。
 
「雫・・・・・」

「お父さん・・・、お母さん・・・、兄さん・・・・・」

 宗之の腕の中で雫は突然現れた家族に驚き、目を見開く。
 本当に東京に来ていたなんて、信じられなかった。
 たった二ヶ月だが、彼等は窶れていた。
 父に髪は白く染まり、美しかった母も皺が増えていた。
 その原因が自分である事は明白。
 
「久しぶりだな」

 疲れ切った声に罪悪感を感じ、彼等から顔を背ける。

「雫帰りましょ。 黙って出て行った事は許すから帰って来て」

 哀願し、雫を責める言葉を口にする母に耳を塞ぎたくなる。
 心配などしていなかった。
 彼等は出て行った雫を責めている。
 何故出て行ったのかその理由も、雫の苦悩すら分かってく
 れていない。
 そんな所へなど帰りたくもない。

「父さんも母さんも、そんな言い方をしたら雫は帰ってこない
よ。 ・・・・元気だったか?」

 一番雫を嫌っていた次男仁志が目を細め、懐かしそうに。
 今まで見た事もない優しい顔と言葉に雫は目を見張る。
 だがそんな笑顔には騙されない。
 優しい顔をして、彼等は以前自分の事を宗之に差し出した
 のだ。
 家族の登場に宗之の腕が弱まり、雫は抜け出す。

「兄さん・・・・」

 仁志は微笑んだまま、ゆっくりと雫の元へと近づいて来る。
 後ずさる雫。

「すまなかったな。 お前を追いつめた俺達を許してくれ。 他
に方法がなかったんだ」

 目の前で立ち止まり、雫の頬に手を当て見下ろす。
 そして雫を優しく腕の中でへ抱きしめた。
 片方の手で優しく髪を撫でる仁志に、雫の体は固まったま
 ま。
 
「でも、見つかってよかったよ」

 耳元で囁く。

「見つかって・・・・・」

 熱の籠もった囁き。
 優しい包容ではなく、逃げられないよう強い力で抱きしめら
 れる。
 
なに?

「きゃ――――――――!」

 加奈子の悲鳴と共に雫の腹部が熱くなった。

「・・・・えっ? っ・・・・!?」

 今度は痛みが雫を襲う。

「何やってんだ!」

 宗之の怒鳴る声。
 仁志が吹き飛ぶ。
 痛みが襲った場所を見ると腹部から何かが出ている。
 よく見るとそれは刺さっていた。
 別な場所からはどす黒く温かい物が流れていた。
 触ると赤かい。
 鉄の匂い。
 理解する間もなく雫は床に倒れ込んだ。

「雫さん!?」

「いや――――、何、何なの!?」

 雫の家族は何が起こったのか分からないようで呆然と佇ん
 でいた。
 加奈子は目の前で起こった出来事に恐怖で叫ぶ。
 危害を加えろと命令してきたが、今まで一度もその現場に
 立ち会った事がない為、その光景は加奈子には衝撃的だっ
 たようだ。

 宗之に吹き飛ばされた仁志は立ち上がり床に倒れ込んだ
 雫に近づき、まだ危害を加えようとしていた。
 それを宗之が羽交い締め止める。

「早く、誰か人を!」

「離せ! こいつさえいなければ俺達は家族仲良く暮らせた
んだ! こいつが逃げ出したから牧場は潰れたんだ! こん
な奴死ねばいいんだよ!」

 床の上で彼等の遣り取りを見詰める雫。
 仁志に刺された事を知った。
 呪いを吐くような仁志を見て思わず笑いが込み上げてきた。

本当に、殺したいって、思ってたんだ・・・・・

 そこまでは嫌われていないだろうと思いこんでいた自分が
 愚かでおかしかった。
 
バンッ!

「いました!」

「雫さん!? くそっ、遅かったか!」

「急いで医者を! おいストレッチャー持って来い!」

「きさま!」

 ドアを開ける大きな音と共に、大勢の人間がなだれ込んで
 来た。
 怒鳴り声と何かを殴る音。
 目を開けると見知らぬ若い男がしっかりしろと叫んでいる。

「浅井!」

「申し訳ありません、少し遅かったようです」

 榎本と新井の姿が見え、運ばれて来たストレッチャーに乗
 せられた。
 途中「雫さん!?」と磨梨子の声が聞こえた気がした。
 大量の血液が流れたせいで、雫の顔が白くなっていく。
 そして意識も遠くなって行く。

体が・・・・寒い・・・・・

「雫!」

かずま・・・さん?

 聞こえて来た愛しい声に、目を開けようとするが叶わない。
 手を握られているようだが、自信がない。

「死ぬ事は許さない! お前・・・れ・・・侶だ。 置いて行く事
は許さない! か・・・戻・・・来い。 お・・・・・を愛している!」

 愛していると言ってくれたのだろうか。 
 本当であれば嬉しい。
 もし違ったとしても、雫は和磨の事を愛している。

ああ・・・・そうだ・・・・、和磨さんに、伝えていない・・・・

 今度会えたら愛していると伝えようと思っていた。
 でももう体が動かない。
 最後に聞こえた言葉は幻聴かもしれない。
 だがそれでも『愛している』という言葉を聞く事が出来た。

「愛している、雫! 必ずこの腕に戻って来い!」

 今度はハッキリと聞こえた。
 そして唇に暖かな温もりが。
 最後の力を振り絞りうっすらとだけ瞳が開く。
 泣き出しそうな和磨の顔。

かずまさん・・・・

 目に焼き付け瞳を閉じる。
 一ノ瀬は民間ではあるが独自にERを置いている。
 刺された場所から一番近い為、そちらに運ばれる。
 処置室がそのままオペ室へと早変わり。
 ガラスの壁一枚隔て、雫の緊急オペが始まる。
 雫がいなくなったと連絡を受けた一ノ瀬。
 己の職員が拘わっていると聞かされ、他の医師に任せて大
 丈夫な所までオペをし、急ぎ探しに出た。
 そこでストレッチャーに乗った雫達に出くわした。
 一刻が争う状態だと判断。
 院長である責任と和磨が見つけた唯一の者を助けるが為
 に全力を尽くす。

「急げ。 輸血の用意!」

「出来てます」

しぬ・・・の・・・かな・・・・

「先生! 血圧下がってます」

 雫の体に取り付けられたモニターの波形が乱れる。
 幸せだった。
 たった二ヶ月だったが、和磨達と出会って一生分の幸せを
 貰った気がする。
 貰ってばかりで返す事が出来なかったのが、ただ心残りだ
 った。
 和磨や漆原、澤部達の顔が、そして楽しかった二ヶ月が走
 馬燈のようにすぎていく。

「雫死ぬな!」

 ガラス越しに和磨が叫ぶ。
 漆原が、澤部がその場にいた者が『死ぬな』と祈り見守る。

「先生!」

「急げ!」

幸せ、でした・・・・・。 
・かずま・・さん・・あい・・・し・・・て、ま・し・・た・・・・・・・

ピィ―――――――――
 
 繋いでいた波形が消えた。

「雫―――!」

 和磨の絶叫がERに響き渡った。





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