優しい鼓動
(41)









何だろう・・・・・

 ここ最近馬場に出ると、悪寒と突き刺すような視線を感じる。
 特に今日は悪意を感じる。
 回りを見回しても馬場には雫一人。
 柵の外には漆原と、つい最近雫の側に着く事になった新井が
 いるだけ。
 馬場を取り囲むフェンスの外にも人影は見あたらない。
 それに彼らとは全く違う方向からその視線を感じるのだ。
 それにこの視線は昔よく自分に向けられていた物と同じ。
 憎悪の視線。

怖い・・・・・

 ファレスの上で体が震え出す。
 己の上にいる雫の変化をいち早く察知したファレスが立ち止
 まり、少し顔を動かし振り返る。

雫さん?

 突然止まったファレスと、その上にいる雫の様子がおかしい
 事に馬場の外にいた二人も気付く。
 通常なら入る事などしないし、入ると馬達にも刺激を与える
 ためしないのだが、今はそんな事など言っていられない。
 それにファレスも漆原達が入って来る事を許しているようだ。
 刺激しないよう、かつ急ぎ雫の元へ行く。
 
 馬上の雫の顔は青ざめ、体も小刻みに震えていた。

一体なにがあった

 兎に角こんな状態の雫を馬の乗せたままでは危険。
 一刻も早く下ろさなければならない。
 漆原が手綱を持ち、馬場の外へとファレスを誘導する。
 踏み台を用意しファレスの横につけ新井が雫を抱き上げ下ろ
 した。
 平地に立つ状態でなら漆原でも十分雫を抱き上げる事は出
 来るのだが、ファレスから下ろすには身長も腕力も新井には
 劣る。
 ここに和磨がいれば新井が触れる事もなかったのだが。
 今それを思っても仕方ない。
 雫は大人しく新井に下ろされ、腕の中で震え小さくなっている。

しかし、何故突然・・・・

 何かあるのかと回りを見回すが何もないし、誰もいない。
 だがこの場所で何かがあった事は確か。
 
「急げ」

 雫を抱いたままの新井を急かす。
 回りを気にしながら、本家事務所に連絡を入れ、至急屋敷
 の見回りを指示した。
 そしてそのまま和磨へと連絡を入れる。

『直ぐ戻る』

 一言だけ言い通話が切れた。
 30分もしない内に戻って来るだろう。
 怯える雫をサンルームへと。
 新井がそっとソファーへ下ろす。
 一番気に入っている場所に連れて来ても震えが収まらない。
 少しでも気持ちが落ち着くようにと、雫が好む紅茶を入れて
 差し出しても気づかない。
 どんどん殻に籠もって行く雫に漆原達は為す術もない。

和磨さん、早く戻って下さい!

 今は和磨だけが頼りだ。

怖い・・・・・

 ただそれだけが雫の心に中に渦巻いていた。
 向けられる憎悪。
 雫の存在を否定する視線。
 兄、仁志と同じもの。
 幸せすぎて忘れていた。

 久しぶりに向けられた視線に雫の心が耐えられなくなってい
 た。

ごめんなさい・・・・
ごめんなさい
生まれて来てごめんなさい

 どうして自分は生きているのだろう。
 幸せになる資格などないのに何故ここにいるのだろう。
 一度は逃げてしまったが、ホントは逃げてはいけなかったの
 だ。
 家族に言われた通り、我慢して宗之の元へ行くか、嫌なら
 死んでしまえば良かったのだ。
 
そうだ、いらないと言われた時に死んでしまえばよかったん
だ・・・
今からでも遅くないかな?
許してくれるかな?

 短いが今まで幸せでいた分だけ、その向けられた憎悪に絶え
 られず心が壊れかけていた。
 暗い笑みを浮かべた雫に、漆原の背筋が寒くなる。

 すると慌ただしい足音と共に和磨が現れた。
 その後ろには澤部の姿も。
 普通でない雫の姿を見て、顔を顰めた。

「友之、何があった」

 いつも軽口を叩く澤部だが、この時ばかりは顔も口調も真剣
 だ。

「分からない、いつも通り馬場でファレスに乗っていただけなの
に・・・・・」

 首を振り、顎に手をかけ漆原は必死でその時の状況を思い出
 し原因を探り出そうとした。

「雫」

 和磨の呼びかけにも反応がない。
 「ごめんなさい」と呟き涙を零す雫を和磨が抱きしめ強く言う。

「俺を見ろ。 お前の目の前にいるこの俺を」

 反応を示さない雫。
 目が虚ろだ。
 今まで向けられていた温かい瞳が失われてしまうのではと和
 磨の中で始めて焦りが。
 
そんな事は許さない

「この俺の伴侶になると誓っただろう。 身も心もこの俺に捧げ
ると。 ならば、この俺の事だけを考えろ」
 
 言って雫の顔を己に向かせ、唇を奪う。
 荒々しく蹂躙する和磨。
 目の前にいるのも拘わらず、自分を見ようともしない雫に怒り
 をぶつける。

俺を見ろ
 
 優しく、力強い鼓動が聞こえる。
 そして荒々しい思いが流れ込んで来る。

『この俺の伴侶になると誓っただろう。 身も心もこの俺に捧げ
るとならば、この俺の事だけを考えろ』

俺?

 それは一体誰だったか。
 しかしその言葉には覚えがある。
 その言葉が自分の口からごく最近出た事も知っている。

あれは誰に言った言葉・・・・・?

 この情熱は知っている。
 身元も分からない自分を無条件で受け入れてくれた人。
 無表情で余り感情を顔に出す事はないけれど、その人から優
 しさを感じた。
 
 彼だけではない。
 彼の回りにいる人達からも沢山の優しさを貰った。
 
それは・・・いつ?
・・・・それは・・・今!

 虚ろだった瞳が正気に戻る。
 目の前には力強い和磨の瞳が。
 包み込むフレグランスの香りと、抱きしめる腕が和磨の物であ
 る事で怯えていた心が落ち着いて来た。

「ん・・・・・・ふ・・ぅ・・・・」

 胸元で組んでいた手を解き、ゆっくりと和磨の背中へと回す。
 すると荒々しかった口づけが少しだけ穏やかなものへと変わ
 る。

和磨、さん・・・・

 この一ヶ月で教えられた和磨とのキス。
 まだかなり抵抗はあるが、おずおずと和磨の舌に絡ませた。
 きつく吸われ深くなる。
 飲み込むことの出来ない唾液が零れ、顎を伝う。

「・・・んぁ・・・・・ん・・・」

 二人の抱擁に、そして雫が正気に戻った事に、その場にい
 た漆原達は安堵した。





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