優しい鼓動
(37)









 楽しい時間というものは過ぎ去るのが早いという事を雫は初め
 て知る。

 人見知りはまだするが、それでも美咲の明るさとその気さくな
 性格のお陰で少しではあるが話せるようになった。
 もっと沢山話しをしてみたかったが、美咲は仕事と大学に行か
 なくてはならない。
 日本であればまだ後一日はゆっくり出来たのだろうが、美咲
 は現在イタリアに留学中。
 飛行機での移動時間、時差諸々の事を考えるとゆっくりしてい
 られない。

「じゃあね、雫さん。 今度帰って来た時は一緒に出かけましょ。
お土産沢山買って来るから。 またね」

 来た時同様、土曜日の夕方慌ただしく帰って行った。
 勇磨と磨梨花は高校は同じ都内であるためもう一日本家に泊
 まるようだ。
 雫がいるからといって気を遣う事をせず、いつもと変わらぬ生
 活を送る二人。
 かえってその方が嬉しかった。
 家族ではないが、その中に入れて貰っているみたいで。

 和磨と共にサンルームに行けば、そこには磨梨花がおり、本を
 読んでいた。
 雫達に気付くと挨拶をし、お茶の用意をする。
 始め気を遣われているのではと居心地の悪い思いをしたが、
 それは普段と変わらぬ行動で、磨梨花の趣味だと言われた。
 お茶にはかなり力を入れているらしく、帰って来る度現在凝っ
 ている物を飲ませるのだという。

 今は中国茶らしく、茶葉から茶器から一通り揃えたらしい。
 用意をし、目の前で入れて行く。
 一つのお茶を飲むのにこれ程まで手間と時間がかかるとは
 知らなかった。
 磨梨花の手を、まるで魔法を見るかのようにジッと顔を綻ばせ
 ながら見詰める。

「まず、こちらに入れて器で香りを楽しんで。 その後召し上が
れ」

 二つ置かれた器。
 片方には既に茶が注がれている。
 片方は空。
 言われた通り、和磨と共に移し香る。
 スッと爽やかな香りに頭がスッキリする。
 そしてお茶を飲むと口の中に甘さが広がる。
 お茶の持つ甘みが心をホッとさせる。

「甘い・・・・」

 驚き磨梨花を見ると満足そうに微笑んだ。
 静かに笑うその姿は、彼らの母である磨梨子にそっくりだっ
 た。
 優しい磨梨子。
 その彼女に育てられた娘も心優しかった。

「宜しければ、今度ご一緒にいかがですか」

 年下とは思えない落ち着きと気配りに驚きながらも、誘われた
 事が嬉しかった。
 雫としてはこの優しい磨梨花と仲良くなりたい。
 
どうしよう

 隣にいる和磨を見る。

「構わない。 だか俺のいる時だ」

「分かりましたわ」

 二人の間で約束が取り付けられた。
 磨梨花と仲良くする事を許して貰えた。
 嬉しかった。
 「ありがとう」と言いたかったが言葉にならず、でも喜びを伝えた
 くて和磨に触れるか触れないかで手を足下へ持って行く。
 直に触れるのはまだ恥ずかしかった。
 それに気付いた和磨が手を握る。

気付いてくれた・・・・

 ちゃんと和磨に伝わった事が嬉しくて、握られた手を雫もそっと
 握り替えした。
 二人の心がまた近づいた気がした。

「兄さん、少しいいですか」

 間の悪い所にやって来てしまった勇磨。
 二人の仲睦まじげな姿を見て一瞬しまったという顔をしたが、入
 ってしまったからには今更出て行く訳にもいかないと思ったのか
 躊躇しながら和磨の前に進み出た。

 分かるか分からないかくらいの仕種で眉を顰めるが、先を続
 けろと勇磨の話を聞く。
 機嫌が悪くなった事を察したのか、勇磨の顔が強張る。

「また稽古を見て頂きたいんですが・・・」

「ホント無粋ね」

 二人の仲睦ましげな様子を壊した勇磨を磨梨花が非難する。

 言われた方の雫は恥ずかしかった。
 頬を染め俯く。
 勇磨もしまったと思ったようだがその願いを取り下げる事はしな
 かった。
 

「勇磨さん、お願いしても無駄ですよ。 まず私達に勝たなくては」

 言いながら漆原と澤部が入って来た。

「そうそう、君じゃまだまだ無理ね」

 二人の言葉に勇磨が悔しそうに睨み付ける。
 
稽古って?

 彼らを交互に見ると和磨が雫を抱きかかえ立ち上がる。

「少しだけならいいだろう」

「本当ですか!?」

 喜びに満ちたその顔に、勇磨がどれ程までに願っていたのか
 その強さをしる。
 強い兄弟の思いに雫は羨ましいと思った。
 だがその喜びに満ちた顔は次の一言で曇った。
 
「だが相手はしない。 漆原、澤部との手合わせを見るだけだ」

「あの?」

 何の事か全く分からない雫は和磨を見上げる。
 恥ずかしくはあるが、移動する度に抱き上げられるので、彼ら
 の前でだけ段々馴れてきていた。
 
「これから道場へ行く」

 一言だけ言い歩き出す。
 この広い屋敷には厩舎と馬場以外にも、道場がある事に驚い
 た。
 この東京に一体どれだけの広さを持つのだろう。
 
 道場は屋敷と繋がっており、奥ではなく表に近かった。
 中では数名の者が胴衣を着て練習をしていた。
 和磨達の姿を見ると練習を止め、壁へ寄り正座し「お疲れ様で
 す」と声を上げる。
 
「始めろ」

 一段高くなった畳が敷かれたその場所に和磨は雫を抱いたま
 ま座り込む。
 道場の中央でまず漆原と対峙していた。
 武道というものは全くわからないし、今二人が武道をしている
 のかすら分からない。
 だが彼らの動きは美しかった。
 まるで舞を舞っているかのよう。
 特に漆原が。
 
「綺麗・・・・・」

 呟く。
 
「友ちゃんはね、足技が得意なの。 ムエタイでしょ、キックボクシ
ングでしょ。 で、後はカポエラ」

「カポエラ、ですか?」
 
「そ。 カポエラは基本的には格闘技じゃなくて踊り。 音楽に合わ
せて踊るんだけど目にも止まらぬスピードの足技。 でも友ちゃん
は足を鍛えてるから凄い破壊力なのよ」

 見ると確かに受けている勇磨の顔が苦痛に歪んでいる。
 
あんなに綺麗なのに

 ちょっと信じられなかった。
 そんな事を考えているうちに、勇磨の体が後ろへと吹き飛んだ。

「そこまで」

 澤部の声に、呻きながら立ち上がる。
 
「有り難うございました」

 漆原に一礼し、そのまま座り込んでしまった。
 余程の衝撃だったのだろう。
 心配になりどうしようかとオロオロするが、和磨に暫くすれば動け
 るようになると言われ腕の中で大人しくする。
 何か言った方がいいのだろうかと思うが、言葉が出て来ない。
 和磨は無言で立ち上がり道場を後にした。

 夕食時になり、勇磨と顔を合わせたが道場で見た時のような
 悔しい顔ではなかった。
 前向きで、もっと強くなりたいからまた見て欲しいと和磨に言って
 来た。
 強い心を持つ勇磨に、雫は憧れた。

 夕食の時には、主だって勇磨がからかわれていた。
 
「昨日は磨梨子様で、今日は友ちゃん。 二日続けてボロボロだ
ね」

 言われた勇磨は煩いと澤部を睨む。
 勇磨は磨梨花と磨梨子、漆原らに笑われむくれていた。
 今日の漆原に至っては雫もその目で見たから分かるが、磨梨
 子が相手をしたと聞いて驚いた。

 武道とは全く縁などなく、お茶やお花など清楚で淑やかなイメー
 ジしかない。
 顔に出ていたのか、澤部が答えを教えてくれた。

「磨梨子様は合気道の師範の資格を持ってるんだぞ。 昨日もボ
ロ雑巾みたいにけちょんけちょんにされたんだよね」

「そこまでは酷くない。 それに・・・・・、昨日は仕方ない」

 罰の悪そうな顔で雫を見る。
 それはそうだろう、雫の事を見下した態度を取った勇磨に磨梨子
 が怒り、稽古という名のキツイ仕置きをされたのだ。

 一方の雫はそんな事など知る訳もなく、何故見られたもか分から
 ない。
 昨日も今日もそれだけ稽古をつけてもらったのなら、体も相当
 キツイだろうと心配になる。

「今日はゆっくり体を休めてください」

 心から言うと、勇磨は照れくさそうにし「有り難う」とボソリと言っ
 た。

「照れちゃって可愛い〜」

「う、煩い!」

 回りから笑いが起こる。
 賑やかな食卓。
 穏やかに過ぎて行った。

 そしてその日の夜、和磨の部屋では一悶着あった。
 





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