優しい鼓動
(35)









 皆が側にいて、爽やかな午後の日差しの中、ふと初めて
 体を繋いだ時の事を思い出してしまった。
 今思い出すような事ではないのに。
 赤面する雫。
 気付かれないように、下を向く。



 目が覚めるといつもと変わらず和磨の腕の中にいた。
 だが、素肌の和磨に触れ少し身じろぎした途端体に痛み
 が走り、昨夜の出来事が一気に思い出された。

 信じられないくらいの快感。
 和磨が触れる場所、全てが溶けてしまうのではないかと思
 った。
 涙を零し嬌声を上げ、和磨が求めてくるがまま自らも和磨
 にしがみつき求めていた。
 思い出した途端、恥ずかしさのあまりこのまま消えてしまい
 たいと思った。

 そういえば、いつの間にパジャマを着たのだろう?
 自分で着た覚えは全くない。
 それに何だか体もさっぱりしている。
 お風呂に入った記憶もない。
 そう思った時、ふと一つの答えが浮かび上がった。
 記憶になければただ一つ。
 その全てを和磨が行ったという事だ。

 意識がなくなった雫の汚れた体を和磨が綺麗にし、風邪を
 ひかないようにとパジャマを着せてくれたに違いない。
 現に和磨の体からは、和磨の体臭の他にボディーソー
 プの香りがするではないか。

 羞恥の余り、雫はこのまま消えてしまいたいと思った。
 和磨が目を覚ます前に、腕からすり抜け部屋を出て行こ
 うと思ったのだが、和磨の抱きしめる腕が強い事と、体
 が思うように動かない事で敵わなかった。

 それならば、せめてこの情けない顔を見られないようにと
 背を向け、顔を隠そうとしたのだが、雫が腕の中で藻掻い
 ているうちに和磨が目を覚ましてしまった。

「何をしている」

 たった今起きたとは思えないくらい、しっかりとした声。
 見つめて来る強い眼差し。
 思わず目を逸らせてしまう。

「大人しくしていろ」

 そう言われても、昨夜の事は雫にとって一大事。
 恥ずかしさが勝っている。
 何とか和磨から顔を隠そうとするのだが、逆に顔を固定
 されてしまった。

 目があった瞬間、雫の顔が真っ赤に。
 それが恥ずかしさのためとは分からない和磨はとんでもな
 い事を言い出す。

「顔が赤いな。 昨日は無理をさせすぎたか。 一度しかして
ないが初めてでまだ体力も戻っていないだけにキツかった
か」

 そんな事言わないで欲しい。
 体も確かにキツイが、それよりも何よりも恥ずかしい気持
 ちが一番なのだ。

 だがそれを言った所で、和磨が雫の恥ずかしいという心
 を分かってくれるかだ。
 多分無理な気がする。
 
 和磨は雫の額に手を当て、「少し熱が出たか」と言いなが
 らベッド脇に置かれた電話の受話器を取り「少し熱が出た
 ようだ、医師の手配を」と言うだけ言って切った。

 雫は慌てた。
 医師などに来て貰っては困る。
 恥ずかしいから顔が赤いだけであって、治まれば自然と
 顔の赤みも引くだろう。
 医師にとっては大迷惑だ。

 顔を振り「違うんです」と恥を忍んで訴えた。
 だが和磨は聞かず、掛けた電話を取り消す事はなかっ
 た。
 
 30分ほどすると、部屋をノックされ漆原の声が医師の到
 着を知らせた。
 入って来たのは雫が神崎家に来た初日に診察をしてくれ
 た医師だった。

確か一ノ瀬先生・・・・・

 こんな朝早くからでも、嫌な顔一つせずやって来てくれ
 た。
 自分のあられもない姿を思い出し、和磨と顔を合わせるの
 が恥ずかしくて赤くしていただけなのに。
 申し訳なく思う。
 漆原からは、彼は一ノ瀬病院という大きな病院の院長だ
 と聞いた。

そんな偉い人をこんな朝早くから・・・

 情けなく、和磨の腕の中で落ち込む。
 二人仲良くベッドにいる姿を見て、一ノ瀬は笑いながら「お
 邪魔するよ」と言いながら入って来た。
 自分の格好を思い出し、雫は慌てて和磨の腕から出よう
 とするが、当然阻止された。

 パジャマを着てはいるが一緒のベッドで、腕に抱かれる姿
 はどう見てもおかしいだろう。
 どちらかが女であればいいのであろうが。
 
 そんな雫の様子に、一ノ瀬は、「そのままで構わないよ」と
 別段気にしていないようだ。
 自分一人だけが慌てているのもみっともなく思い、雫は諦
 め大人しく和磨に抱かれていた。
 
「ああ、確かに熱があるようだ」

 言って雫に口を開けさせライトで喉を照らす。
 そしてパジャマの上から聴診器を当て、肺の音を聞く。
 本来なら素肌に直接触れ、聞くのだが和磨の手前一ノ瀬
 はしなかった。

「肺の音も綺麗だ。 これなら大丈夫」

 雫を安心させるように穏やかに笑い、聴診器などを片づけ
 て行く。

「まだ日は経っていないが、顔色も大分良くなってきている。
肌にも随分艶が出てきた」

 少しずつではあるが、体が回復している事に一ノ瀬も満足
 そうだ。

 しかし・・・・・

「いくら体が回復して来ているとはいえ、まだ本調子ではな
いのだから感心しないな。 雫君が魅力的なのは分かるが
和磨君がもっと自制しないと」

 言われて和磨の右眉がピクリと上がる。 
 何も言わないが、大きなお世話だという事は一ノ瀬に伝わ
 ったようだ。
 一ノ瀬は苦笑しながら、兎に角安静にして栄養のある物
 を食べさせろとだけ伝え部屋を出て行った。

 憮然とした顔で閉まる扉を見ていたが、安静にしていれば
 直ぐ回復するという言葉に安心したようだった。
 雫としても、和磨の大切な姉弟達が帰って来ているのに顔
 を出さないのは失礼だから一刻も早く良くなりたかった。
 ただ体調を悪くした原因だけは知られたくなかったが。

 一ノ瀬と和磨に言われた通り、雫は一日大人しく寝てい
 た。
 朝・昼と食事は食べやすく栄養のある物を、和磨が部屋へ
 と運んで来てくれた。
 ゆっくりと休んでいたお陰で、夕方にはすっかり熱も下がり
 和磨に抱かれてではあるが、皆のいるリビングへと連れて
 行って貰えた。

 リビングに行くと皆が揃っており、それぞれが雫の体調を
 気遣ってくれた。
 人からかけられるいたわりの言葉がこれ程優しいものだ
 と改めて知った。

 この家に来て、何だか涙腺が弱くなったようだ。
 直ぐに目が潤んでしまう。
 そんな雫の心情を直ぐさま察してくれる和磨の優しさが嬉
 かった。

 そんな二人の姿を皆が微笑ましく見ていた。
 兄の優しい気遣いと、穏やかな雰囲気に姉弟達は改めて
 驚きながらも見守った。

 すると勇磨が突然立ち上がり、二人の元へとやって来た。
 昨日向けられた、常に覚えのある悪意ある視線を思い出
 し思わず和磨の腕の中で体を強張らせてしまう。

 和磨の大切な弟だから悪い人物ではないと思いたい。
 自分のような素性も知れぬ者が、大切な兄の横に居れば
 相応しくないと思われても仕方ない事。
 でもこの暖かい腕を知ってしまった。
 優しく刻む鼓動を知ってしまった。
 側にいたいと思ってしまった。
 和磨の胸元を握りしめる。

 目の前に立つ勇磨。
 昨日とは視線は違うが、厳しい眼差しをしている。
 和磨は何も言わず雫を腕の中で抱いている。

 その場が静まりかえる。
 少しして勇磨が口を開く。

「昨日はすみませんでした」

 謝罪の言葉と共に、頭を下げられた。
 突然の出来事に戸惑う雫。
 昨日とは全く違う勇磨の態度に驚きながらも、頭を上げて
 欲しいとお願いした。

「あの、気にしていませんから、どうか頭を上げてください」

 しかし勇磨は頭を上げず謝罪を続ける。

「僕は兄の選んだ人を否定する態度を取ってしまいました。
それは兄に対しても、あなたに対しても酷い侮辱です。 そ
して僕は何も知らない癖にあなたを蔑む態度を取ってしま
った。 常日頃から見かけではなく、その物・人の本質を知れ
と教えられて来たにも拘わらず・・・」

 こんなに素直な謝罪をして貰えるだけで、雫は嬉しかった。
 今まで回りにいた者達は全く自分を見てくれなかった。
 どんなに頑張っても、それを認めては貰えない。
 そんな事ばかり。

「いいんです。 僕は気にしていませんから。 慣れているか
ら・・・・」

 和磨の腕の中で、ぽつりと呟く。
 あまりにも寂しげな風情に、勇磨は改めて己の失敗を悟
 る。
 昨夜受けた母からの厳しい言葉。
 そして事実。
 如何に自分が未熟なのかを思い知らされた。
 自分の回りにそんな境遇の者がいなかったのと、自分達の
 家族仲が良いため、雫のように家族から疎まれるなどとい
 う事が思いもつかなかった。

 テレビドラマでの出来事。
 ニュースでも取り上げられているが、現実味がなかった。
 ヤクザ世界にいるにしては、勇磨はその世界に染まってい
 ない、ある意味箱入り息子だった。
 というのも、上に和磨という長男が居て全てを背負っている
 からだ。

 裏社会には一切姉弟を拘わらせない。
 その為に和磨は現在神崎とは関わりのない会社を作って
 いる。
 将来勇磨の為にと。
 それは両親も承知している。

「本当にすみません!」

 これ以上曲げられないという所まで、勇磨は頭を下げた。
 雫に許して貰うまで頭を上げないという気迫までが漂って
 いる。

 再度、気にしていないから頭を上げて欲しいというが、それ
 でも勇磨は頭を上げなかった。
 これには雫も困ってしまった。
 勇磨の言っている事の方が正しいのだし、自分は怒ってい
 る訳でもないのだから。
 和磨を見上げ、助けを求めた。
 




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