優しい鼓動
(26)









 和磨は雫を抱いたまま歩いて行く。

 屋敷を出てから、もう大分歩いている。
 なのにまだ着かない。

 昨日と同じ道を歩いているのだろうが、こんなに厩舎まで
 遠かっただろうか。 
 和磨に手を繋がれ、夢中で歩いていたからどれだけの距離
 を歩いたのか、全く憶えていない。
 もっと近かったと思ったのは気のせいだったようだ。

 それにしても広い敷地。
 本当にここは東京なのだろうかと不安になる。

 もしかしたら、『まだここは北海道なのでは』という錯覚に陥
 ってしまった。

 直ぐ横の林の中から、家族が、宗之が突然現れるのではな
 いかという恐怖に駆られる。
 そしてその思いが全身に伝わり、ガタガタと体が震え始め
 た。

 突然腕の中で震え始めた雫に和磨は一旦足を止めた。
 様子がおかしい。
 顔から血の気が引き、怯え震える雫に静かな怒りが湧きあ
 がる。
 
 雫をここまで追いつめた者に対して。
 そして和磨の腕の中にいるのに、違う者の事を考え怯え
 る雫に。
 
 知らぬ間に腕に力が入る。
 
 そして自分に意識を向けるよう「雫」と呼びかけた。

俺を見ろ
今お前の目の前にいる、この俺を・・・・・

 声が大きい訳でも、キツク言った訳でもない。
 突然声を掛けられた為か腕の中で、体がビクリと跳ねた。

「あ・・・・・」

 自分を見下ろす和磨と視線が絡み合う。
 力強い眼差しと、和磨の体温を感じ震えが治まっていく。

何を馬鹿な事を・・・・・

 ここが一瞬でも北海道などと思ってしまった自分が恥ずかし
 い。
 それに家族や宗之が出てくるなどと、なんて馬鹿な事を思っ
 てしまったのか。

 自分では落ち着いたと思っていたが、違ったようだ。
 やはりたった一日で不安、恐怖がなくなる筈がなかった。
 でもここにいる優しい人達に、そんな胸の内を話す事は出
 来ない。
 言えば心配をかけるから。
 それでなくとも自分は既に迷惑をかけている。
 これ以上甘える事は出来ない。

大丈夫・・・・・一人で頑張れる

 今まで一人で頑張って来られたのだ。

 「大丈夫」という言葉を言う前に、そんな雫の考えを見抜い
 た和磨が「何も心配する事はない。 お前は伴侶である俺
 の事だけ考えていればいい」と先に言ってきた。

伴侶・・・・・

 何だか不思議な感じがした。
 いままで一度も恋愛経験のない雫。
 つき合った事もなければ、恋人がいた事もない。
 この年でおかしいかもしれないが、初恋もまだ。
 そんな自分がいきなり『伴侶』を得た。

 言葉数が少ないが、こんなに優しくて、男の雫から見ても
 格好いいと思う和磨なら周りの女が放っておくはずがない。
 何もしなくても、そこにいるだけで女達が寄ってくるだろう。
 それもとびきりの美女達が。

 なのに和磨は雫を選んだ。

 男で貧弱で、見るからに訳ありな雫を。

一体どうして・・・・・

「返事は?」

「え?」

「返事はどうした」

 何の事かと思ったが直ぐ思い出す。

「・・・分かりました。 神崎さん・・・・あなただけを見詰めます」

 雫の言葉に満足したのか、瞳が柔らかくなった気がした。

もう必要がないと言われるその日まで、僕は和磨さんを、和
磨さんだけを見詰めていこう。
それに、僕はもう・・・・・

 雫は和磨に惹かれはじめていた。
 だから言ったのだが、何故か和磨の機嫌が悪くなった。

「あの・・・・・?」

「俺の事は和磨と呼べと言ったはずだ。 それにその堅苦し
い口調もよせ」

「あ・・・・」

 そうだった。
 名前を呼べと言われていたのについつい『神崎』と言ってし
 まった。
 堅苦しい口調と言われても和磨は年上だ。
 でも伴侶となった相手に対し敬語を使うのもおかしい。
 
「すみません。 なるべく頑張ります」

 雫の口調に仕方ないと言いながら和磨は苦笑した。
 取り敢えず心は伝わったようだ。

 そしてまた歩き出す。
 
 和磨は一体どこまで雫を抱いて行くのだろう。
 大分歩いた。
 足取りはしっかりしているが、それでも人一人抱えているの
 だからそろそろ疲れてくるのではないだろうか。
 
 和磨は体調が悪いのだから大人しく抱かれていろと言うが
 歩けない訳でもないし、昨日より体調もいいのだ。

「あの・・・・・」

「何だ」

 和磨は足を止める事なく返事をした。

「そろそろ歩きます」

 聞こえている筈なのに返事をしない。
 もう一度言うがやはり和磨は聞こえないふりをした。

「あの・・・・かん・・・」

 神崎と言おうとして和磨にジロッと見られた。
 
「・・・・・和磨・・・さん」

 そう呼んだら「良い子だ」と言って和磨にキスをされた。
 軽いものだが、突然のキスに雫の顔が真っ赤になり固ま
 った。
 
「大人しく抱かれていろ。 歩くにしても靴を履いていないから
無理だ」

 雫とは対照的に涼しげな口調でそう言った。
 
 和磨の言う通り、靴を履いていない事に気付く。
 屋敷の中から抱かれているのだ、履いていなくて当然。
 和磨のしている事とはいえ、申し訳ない。

「すみません、重いのに・・・・・」

「こんなに痩せているのに、重い訳ないだろう。 もっと太って
から言え。 抱き心地が悪い」

抱き心地・・・・・

 その言葉に雫が頬を染める。
 意味はないのだろうが何だか艶っぽく聞こえた。
 
 和磨は意味を込めていったのだが、伝わっていなかった。

 程なく歩いて行くと漸く厩舎と馬場が見えて来た。
 
 あの2頭に会えると思うと心が逸る。
 それが和磨にも伝わり機嫌が悪くなる。
 しかし今度は雫は気付いていない。
 馬に意識が行っているから。

 厩舎に入ると2頭の姿が。
 和磨達の姿に気付き鼻を揺らしていた。
 早く来いと言わんばかりの姿に雫の顔に自然な微笑みが
 現れる。
 またそれが和磨には面白くなかった。

 2頭共調子は良さそうだ。
 昨日に比べ毛艶が良い。
 カイザーの足下を見ると昨日の違和感はなくなっている。
 キッチリと爪と蹄鉄の調整をしてもらったようだ。

「良かった・・・、もう痛くないね」

 雫の言葉が分かるのか『有り難う』と言うように鼻をつけて
 きた。
 ふふっ、と笑いながらカイザーの鼻を撫でる。
 すると隣りからファレスが鼻を鳴らす。
 まるで早く来いと言っているようだ。
 
「ごめんね。 お腹の調子はどう? 今日は沢山ご飯食べら
れた?」

 聞くと『食べた』と言うように鼻を鳴らした。
 カイザーの時と同じように優しく鼻を撫でた。
 すると隣りからカイザーが鼻を鳴らす。
 まるで雫を取り合うような態度。
 
 当然和磨は面白くなく「あまり長くいると体に良くない」と言
 って、ほんの数分で厩舎を出てしまった。

 残念だが体調が良くないのは事実だし、それに今は和磨に
 抱かれた状態。
 長くなればそれだけ負担が掛かると思い諦めた。
 
 それにこの家で生活するのだから、いつでも会えるのだ。
 2頭に会えるよう少しでも早く良くなろうと思った。





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