優しい鼓動
(19)










 ドアを閉めた途端、足から力が抜けその場に座り込んでし
 まった。

 ドアに背を預けていると「コンコン」とノックされる。
 大きくはないが、その音にビックリしてしまい「はい」と答
 えた返事が上擦ってしまった。

 「着替えが済みましたら食堂へ行きましょう」と漆原に声を
 掛けられた。

 壁に掛けられた時計を見ると既に昼前。
 こんなにゆっくりとしたのは初めてだった。

 家族と居る時には皆が起きる前に起き、食事の支度をし
 なければならなかった。
 大学に入り、一人暮らしをするようになってからは起きる時
 間は遅くなったが、それでも6時には起きていたのだ。

 大学で講義が終わった後、直ぐバイトが入っている。
 生活費を稼がなくてはならない為、なるべく長い時間働か
 なくてはならない。
 その為バイトが終わるのが11時。

 それからアパートに戻って食事の支度をして、お風呂に入
 ると深夜12時を過ぎてしまっている。
 雫のアパートの壁は薄いので、とてもではないが、その時
 間から掃除洗濯など出来るはずもない。
 必然的に朝、大学に行く前にやらなくてはならないのだ。

 なのに今日は昼近く。
 いくら疲れていたとはいえ、自分は居候の身。
 弛んでるとしか言いようがない。

 居場所を与えてくれた和磨達の為にも手伝いをして、少し
 でも彼らの役に立たなくてはいけない。
 
少しでも恩返しをしないと

 立ち上がりクローゼットを開け、昨日和磨に買って貰った
 服の中から部屋着になりそうな物を選ぶ。
 しかしどの服もブランド品。
 雫にとっては高価すぎる物。
 たかだかTシャツにしても着るのが憚られる。
 しかし他に着る物はない。 
 着替えようと、パジャマのボタンに手を掛ける。

あれ?

 手元を見ると、昨日着ていたパジャマとは違う物を着てい
 た。
 自分で着替えた記憶はない。
 漆原は雫が和磨の部屋にいる事に驚いていたので違う。
 
じゃあ誰が?

 考えながらもボタンを外していく。

?!

 外す手が止まる。
 朝起きた時には和磨の部屋にいた。
 和磨はその時なんと言った?
 『ここに運んだ』と言っていたではないか。
 という事は和磨が着替えさせたという事?

 それに気付いた途端、羞恥のあまり顔が真っ赤になりそ
 の場に座り込んでしまった。
 男同士なのだから着替えさせて貰っても何も問題ないの
 だが・・・・・・

 和磨に体を見られた事がショックだった。
 色々な事がありすぎてガリガリになってしまった体。
 肌の色も白いと言えば聞こえはいいが、今の自分は青白
 く精気がない。

 それに比べ、和磨の体は逞しい。
 ガッチリとではなく、見た目スリムな体。
 しかし雫を抱きしめた腕は力強く、胸も厚く逞しかった。
 肌も生気に溢れている。
 全てが自分とは違う。

こんな貧相な体を見られるなんて・・・・・・

 手に持ったシャツで顔を隠す。
 
コンコン

「着替え終わりましたか?」

 漆原に声を掛けられる。
 どうやら雫が着替えるのを待っているらしい。

「あ、すみません・・・・。 今着替えます」

 慌てて返事をする。
 これ以上漆原を待たせる訳にはいかない。
 急いで着替える。
 そして気持ちも切り替える。

 和磨が着替えさせたとは言っていない。
 もしかしたら家政婦の初江が着替えさせてくれたのかも。
 女性に着替えさせて貰うのも恥ずかしいが、和磨に着替
 えさせて貰ったと思うよりは遙かに気持ちが楽。

そうだよね、きっと神崎さんじゃないよね・・・・・

 そう思いパジャマを脱ぎ、選んだ黒のパンツに足を通そう
 としてそのまま固まってしまった。

 パジャマだけでなく下着までもが、寝る前の物とは違った
 から。

 こればかりは誰に着替えさせてもらったとしても恥ずかし
 い。

 頭の中がパンクした。

 暫く立ち直れなかった雫。
 漆原に再びドアをノックされるまで、そのままの状態だっ
 た。
 始め気付かずいたのだが、ドアをノックされ「入りますよ?」
 と言われ我に返り「今行きます」と慌てて返事をし着替えた
 のだ。
 
 部屋を出ると丁度和磨も部屋から出てきた。

 和磨に着替えさせて貰ったのでは?
 という思いが再び頭の中に出た途端、和磨の顔を見るの
 が恥ずかしくなり俯いてしまった。

 食堂に行くまでの間、漆原が「ゆっくり休めましたか?」「何
 か足りない物はなかったですか?」と聞いてくれた。
 ちゃんと答えなくてはいけないとは思ったのだが、「はい」
 「いいえ」としか言えず、それも声が小さかったから聞こえ
 たかどうかも怪しいところだ。

 当然二人共訝しく思い足を止めた。


「・・・・・何かあったか」

 和磨に聞かれるが答える事が出来ない。
 俯いたままで何も喋らない雫に対し、和磨が雫の顎を取り
 強引に上を向かせる。

 表情は変わらなかったが、雫の顔を見た和磨はその顔に
 欲情した。
 顔がバラ色に染まり、瞳が潤んでいた。
 唇が少し開き吐息が漏れる。

 魘され汗でビッショリと濡れたパジャマを着替えさせた時
 雫の細さに驚いた。
 抱いて自分の物にしようと思ったが、あまりにも痩せた体
 を見て、このまま抱いてしまえば雫が壊れると思い止まっ
 た。
 それに体だけではなく、心の方も疲れ切っている。

 雫には他に行く当てもない。
 この家で過ごす事を決めたのだ。
 時間は十分にある。
 心身共にもう少し回復してからと決めたのだが・・・・・

 この顔は誘っているとしか思えない。
 目を眇め唇を奪おうとすると、「あの・・・聞きたい事が・・・」
 とか細い声を出してきた。

 折角のキスをお預けにされてしまったが、不快はなかっ
 た。
 他の者ならば即刻切り捨てている。

 必死な顔が可愛らしく思う。
 やはりこれも、他の者には感じた事のない思い。
 雫だけは特別だと感じる。

 常にない声で「何だ」と問いかけている自分がいて、それ
 が可笑しかった。





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