優しい鼓動
(7)









ここに住む?

「そんな事は出来ません」

 優しく声を掛けて貰っただけで、自分の言った事を信じてく
 れただけで嬉しかった。
 
 なのに彼らは楽しい食事の時間、穏やかな一時を与えてく
 れた。
 それだけで十分。

 これ以上、彼らに迷惑を掛ける訳にはいかない。
 だから断った。
 なのに和磨は全く取り合わなかった。

「漆原、部屋の用意を。 俺の部屋の隣りだ。 雫、俺の事は
和磨と呼べ。 他の荷物は何処にある」

「あの・・・・、本当にそこまでして頂く理由がありません・・・」

 必死に言う雫だが和磨はそれを無視し、次々と指示を出し
 て行く。
 そして漆原も和磨の発言に何の異論を唱える事はない。
 それが当たり前というように内線を使い指示していく。

「初江さん、今日から雫さんが本家で生活をしますから部屋
の用意をお願いします。 部屋は和磨さんの隣りです」

 一旦切り今度は別な場所へ連絡を。

「漆原です。 至急用意して頂きたい物があります・・・・・・・」

どうしよう・・・・

 雫がこの神崎の家に住む事は決定済みとなってしまった。
 突然の出来事に呆然となる。
 漆原を見ると視線に気付いたのか、話しながら雫に微笑
 む。
 澤部を見るがやはり笑っていて、「良かったな」と言ってく
 る。
 隣りにいる和磨を見上げると、視線は外に向けられ何も言
 わない。
 ただ腰に回されていた手に少し力が加わった。

 困っている雫を笑って見ていた澤部が「そうだ」と何かを
 思い出したようだ。

 視線をそちらに向けると「他の荷物は何処? 俺今の内に
 取ってくるわ」と言って来た。
 
 他の荷物と言われても、雫が北海道から持って来たのは
 隣りに置いてある、この小さな鞄だけ。
 怪しまれないようにする為に、態とそうした結果。
 
 アパートを出る時、いつも見張っていた宗之の取り巻きの
 姿はなかった。
 逆らう事なく素直に宗之と一緒に荷物の整理をしていたの
 を見て、見張りの必要がないと思ったからだろうか。
 どちらにしても、雫にとってはラッキーな事であるのは間違
 いない。

 同じアパートの住人にも会う事はなかった。
 万が一会って、大きな荷物を持っていたら怪しまれた筈。
 そこから宗之に連絡が行くかもしれない。
 アパートを出る時にも細心の注意をして、音を立てないよ
 うに出てきたのだ。

 雫の思い違いでなければ、隣りの住人も宗之と繋がりが
 あるだろうから。
 時々、家を出る時視線を感じふと見ると、簡易キッチンの
 窓が開いており、隣りの住人と視線が合った。
 そして、そそくさと奥に入って行くのだ。

 家を出た時に窓が開いていて、視線が合ったとしても、怪
 しまれない様に通帳と財布が入る程度の大きさにした。

 だから荷物はこれだけ。
 どうせ隠していても分かってしまう事。
 正直に話した。

「・・・・・荷物はありません」
 
「そう、無いんだ。 ない?」

 「へっ?」間の抜けた返事表情の澤部。
 電話を終えた漆原も同じように驚いた顔。
 隣りにいた和磨に至っても訝しげな顔。

 三人共、それが異常な事だと思っただろう。

理由を聞かれたらどうしよう

 何をどう話したらいいのかが全く分からない。
 ただ『家出しただけ』と言ったらいいのだろうか。
 簡単に言ったとしても『家出』という単語は穏やかではな
 いし。
 かと言ってそこに至るまでの話はもっと穏やかではない
 し。
 
 自分の顔から血の気が引いていくのが分かる。

どうしよう

 もうこの言葉しか出て来ない。
 そんな時・・・・・

「ま、いっか。 じゃあさ、これから出かけない? 雫ちゃん
にとってもよく似合う服を売ってる店あるから。 その後食
事でもどう?」

 澤部の明るい声。
 と同時に漆原が澤部の後頭部を思い切り殴りつけてい
 た。
 
「いでっ!! 暴力反対。 手が早いぞ友ちゃん・・・・・」

 確かに痛そう。
 殴られた時、澤部の体が思い切り前屈みになったし、その
 時の音もかなり大きかった。
 
 それよりも、細っそりとした体格で冷静な雰囲気の漆原が
 意外に力が強く、手が早い事に驚いた。
 呆然としていると、澤部が漆原の怒りを感じてか、「急ぎの
 仕事が入ったから失礼するわ」
 そそくさと出て行ってしまった。

 澤部が出て行った後漆原はため息を吐き「私達も出かけ
 ましょう」と行ってきた。

え、一体どこへ・・・・・

 その疑問は伝わった筈。
 だが漆原からはそれに対しての返事は帰って来ず、全く
 違う話をされた。

「雫さんには出かける前に話しておかなければならない事
があります」

 その顔は今までとは違いとても真剣。
 雫にも緊張が走る。

「私達は世間一般でいうところのやくざです。 ここ神崎は関
東を拠点とした『清風会』の本家。 この名前をご存じかどう
かは分かりませんが。 和磨さんはその本家の嫡男で次期
総代。 私と澤部は和磨さんの下で働いています。 怖いで
すか?」

この人達がやくざ・・・・・

 視線を和磨に向けただ見詰める。
 確かに今日雫が会った彼らは、他の人達とは気配も存在
 感も違っていた。
 だが怖くはなかった。
 寧ろ優しい。
 実際は違うのかも知れない。
 粗暴で周りから恐れられているのかも。
 
でもこの人達は何の理由もなく暴力は振るわないと思う
それに・・・・・・

 彼らより、自称一般の人達の方がもっと恐ろしいという事を
 雫は知っている。
 身をもって体験してきた。

 平気で嘘を吐き、罵詈雑言を投げつけてこられた。
 暴力がなかった事だけが唯一の救いかもしれない。

 しかし、暴力で体に傷は付けられた事はなくても、言葉
 での暴力で心に幾つも傷を付けられた。
 数え切れないくらい・・・・・
 中でも血を分け合った家族から発せられた、自分の存在
 を否定する言葉には心が死んでしまう位の痛みを与えら
 れた。
 
なのに、この人達は僕に『居る場所』を与えてくれた
僕の言葉を信じて、存在を良しとしてくれてる
人を信じる事はまだ怖いけど、でも僕に『居る場所』をくれる
彼らを信じてみようと思う・・・・・
大丈夫・・・・・僕の心はまだ動いてる・・・

「怖くはないです」

 漆原の顔を正面から見据えキッパリと言い切る。
 その顔から声からそれが嘘でない事が分かったのか、表
 情が柔らかくなる漆原。

「そうですか。 私達のいる場所は、神崎本家の奥でプライ
ベートな居住空間となっています。 ですが、それ以外は人
相や柄や口の悪い者が大勢いるので、そちらの方には危
ないですから、一人では行かないようにお願いします。 出
かける前に皆に雫さんの顔合わせをしますから、心の準備
しておいてくださいね」

 言ってニッコリと笑った。

 不安はあったが、一人ではない。
 漆原がいる。

それに・・・・・

 和磨を見上げる。
 力強く、大きな腕で今自分を支えてくれている和磨がい
 る。

 和磨と視線が合う。
 雫の不安が見て取れたのか、和磨は腰に回していた手
 を頭に回し自分の胸に抱き込んだ。

 当てられた胸から聞こえてくる、規則正しい心臓の音に緊
 張していた、気持ちと体から自然と力が抜けていく。

だから、大丈夫・・・・・

 全ての意味を込め、「宜しくお願いします」と腕の中で告げ
 た。





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