優しい鼓動
(5)









 澤部はいつの間にか雫の事を「雫ちゃん」と呼んでいた。

 遠い昔、友達と呼べる子がいたほんの短い期間、そう呼ばれ
 た事があった。
 しかしそれ以外では呼ばれた事は一度もなかった。
 家族には一度も呼ばれた事はない。

「屋代」「雫」「雫さん」「屋代君」その呼び方のみ。

『雫ちゃん』

 その呼び方は身近に感じられて嬉しく思った。 

 ただ申し訳なかったのは、出された食事の殆どが食べられない
 事。
 食事は本当に美味しかったのだ。
 だが今の雫にはそれを食べる事が出来ない。

 ここ一週間、ストレスのせいで殆ど食事を取れていなかった。
 その為に、胃が食べ物を受け付けなくなっていたのだ。
 口に入れたとしても、その後吐いてしまっていた。

 こんな自分が情けなかった。
 そして食べる手が止まる。

「・・・・どうした」

 食べる手が止まった雫に気付く和磨。
 雫の前に置かれた皿に視線が。
 そして直ぐ漆原に視線を向ける。

「はい」

 言って席を立つ漆原。

え、なに?

 二人の遣り取りが全く分からない。
 和磨と漆原が姿を消した方向を交互に見る。

 残してしまった事で気分を害してしまったのだろうか。
 そう思うとこの場にいるのが居た堪れない。

どうしよう・・・・・・

 澤部を見ると美味しそうにオムライスを食べている。
 和磨も同じように。
 どうやら気分は害していないようだ。
 ホッとなる。
 そして雫の視線に気付く。

「・・・・・どうした、顔色が悪い」

 食事する手を止め顔色の悪い雫の頬に手を添える和磨。
 今までこんなふうに手を出されたら直ぐさま体が引いていたの
 に。
 なのに和磨の手は違った。
 雫を気遣うような仕草だったからなのか、少しも嫌悪感はなか
 った。
 寧ろ心地よい。
 そんな自分の変化に驚く。
 そして和磨を見詰める。
 瞳は変わらず暗く冷たい。
 
なのにどうしてこの手はこんなに優しく暖かいの?

 雫は添えられた手に知らず自分の手を重ねていた。
 
「あ〜、ゴホン」

 突然聞こえてきた澤部の声に我に返る。
 
「あっ・・・・」

 慌てて和磨の手から離れる。
 ジッと見詰めていた事、そして手を重ねていた事に気付き、恥
 ずかしくなり顔を赤くし俯いてしまう。
 いくら和磨から触れてきたとはいえ、その手を掴んでしまうなん
 て。

「すみません」
 
 謝る雫。
 そして食事を殆ど残してしまった事も詫びた。

「気にする事はない」

「そうですよ」

 和磨に続いて漆原の声。
 ガツンと何かが当たる音。
 その音と同時に「いてっ!」という澤部の声。

 顔を上げ、戻って来た漆原に視線を移す。
 その手には人数分のプリンが乗ったトレイが。
 そしてそのトレイは澤部の後頭部にぶつかり澤部は少し前の
 めりに。

あ・・・・・

 痛みに呻いている澤部を漆原は無視し、雫に視線を向ける。

「それよりすみませんでした、もっと胃に負担のかからない物に
しなくて。 これなら負担がかかりませんから食べられますよね」

「えっ?」

 気付いてくれていた。
 そして負担にならないプリンを用意してくれるとは。
 今まで誰もそんな事をしてくれた事はなかった。
 雫自身、具合が悪くてもそれを告げた事はない。

嬉しい・・・・・

 でも気を遣わせてしまった事を心苦しく思う。

「すみません」

 俯いてしまう。
 そんな雫に澤部の明るい声が。

「気にしなくていいんだよ、好きでやってるんだから。 ね〜友ち
ゃん。 つうか頭、痛いし」

 軽く非難する澤部をまたもや漆原は無視する。

「雫さんが謝る事はないんですよ。 食事に関してはこちらが無
理矢理誘ったんですから。 体調がすぐれなかった事に気付か
なかった私に非がありますから。 さあ、どうぞ」

 言って目の前にプリンを置く。
 顔を上げると優しく微笑む漆原の顔が。

やっぱり綺麗・・・

「無視かよ!」

 皆に、漆原に綺麗に無視され澤部が拗ねた。
 そんな二人の遣り取りが楽しく、同時に羨ましくもあった。





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