月夜の下、あなたと
(9)

100万Hits企画






えぇ――――――!

 クラウスが伸ばした手が灯の頭を撫でている。
 ぶつけた頭は大して痛くはなかった。
 音が大きかったせいなのか、それをクラウスはまるで自分の
 事の様に顔を顰めぶつけた頭を撫でてきた。
 優しい手の動きと包み込むような、大きな手。
 もうパニックだ。

 先日初めてモーターショーで会った時も驚いた。
 今自分の横にクラウスが居る事自体が信じられない。
 でもってそのクラウスが頭を撫でている事が更に信じられな
 い。
 一生分の驚きが、この一週間に詰め込まれた気がする。
 
素〜、俊之〜
あ・・・・・

 いつもと同じように貧血に襲われる。 
 
 急に震えが止まった灯に、クラウスが訝しんでいると灯が倒
 れ込んで来た。
 意外と大胆な事をすると思いながらも、嬉しさに頬が緩む事を
 抑えられない。
 直ぐ前に秘書と運転手がいるにも拘わらず。
 こんな姿を見れば驚かれるだろう。
 人によってはその姿を見ておもしろがる者もいる事をクラウス
 は知っている。

 誰に対しても同じ態度。
 来る者は拒まないが、面倒になりそうな相手の誘いには絶対
 に乗ることはない。
 そして去る者も決して追わない。
 自分からアプローチなどかけた事のないクラウスが、自ら出向
 き半ば強引に灯を車へと乗せたのだ。
 常に共にいる第一秘書であるヘルマンはその事を一番知って
 いる。

 チラリと前を伺うとバックミラー越しに目が合う。
 やはりおもしろがっていた。
 睨み付けそっと囁く。
 

「灯さん」

 自分がこんなにも優しく、甘い声を出せるとは思わなかった。
 恋とは人を変えるのだと初めて思った。
 同時に、素という恋人を得た事で変わった一ノ瀬の気持ちも。
 大切にそっと抱きしめると、体がガクリと後ろへ反る。
 
「灯さん?」

 不自然な体の傾きに、灯の顔を覗き込む。
 蒼白な顔をし、冷や汗を流し気を失っていた。

「灯!」

 突然叫んだクラウスにただならぬ気配を感じたヘルマン。

『どうしました!?』

『灯の様子がおかしい、急ぎ車をホテルへ。 直ぐ診察が出来る
よう、ドクターの用意も』

『はい』

 ヘルマンは運転手へクラウスの宿泊するホテルへと行き先を
 変更させ急がせる。
 その後ホテルに連絡を入れホテルドクターの有無を確認。
 もし居なければ急ぎ別のドクターを手配させなくてはならない。
 しかし運良くドクターは2人おり、現在は急患もいないとの事。
 戻るまでに急患が出たとしても、もう一人ドクターがいる。
 簡単ではあるが、灯の症状も伝えておいた。

『手配整いました。 ドクターは部屋に待機させています』

 振り返り伝え、ハッと息を飲む。
 灯の背と頭を抱きその髪に顔を埋めるクラウス。
 悲痛な面持ちに、クラウスにとり灯が如何に特別な人物なの
 かを知る。
 今まで付き合って来た者達とは全く違う。
 その思い、その眼差しが。
 
漸く大切な方を見つけられたのですね・・・・

 クラウスが漸く見つけたパートナー。
 今はまだ思いが繋がっていなくとも、クラウスは必ず灯を手に
 入れるだろう。
 ヘルマンが見る限り、灯もクラウスに惹かれている事は直ぐに
 分かった。
 初め見た時は美しく凛としていたが、性格がキツそうな日本人
 だと思った。
 同時に日本人は皆一癖もふた癖もあるのではとも。
 というのもクラウスの親友一ノ瀬が、それはそれは性格が破
 綻していたから。

 だが実際の灯はとてもシャイだった。
 あれだけの美貌を持ちながら鼻に掛ける事がない。
 家族を愛し守ろうとする心は美しかった。
 クラウスに憧れ、会っただけで震え顔を赤く染める。
 話しでしか聞いた事のない大和撫子のようだと思った。
 似合いの二人だと思った。
 喜ばしいと思う反面、この先の事を思うと頭が痛くなった。
 本国にはかなり煩い者達がいる。
 その者達が、ただ指を銜え黙って居る筈ない。

但し、社長も黙ってはいないでしょうが・・・

 それに一ノ瀬も出て来るだろう。
 灯は一ノ瀬の最愛の恋人の兄。
 モーターショーで見た兄弟愛はかなり強烈だった。
 もし兄に何かあれば、あの可愛らしい弟の顔が一気に沈むだ
 ろう。
 そうなるとあの一ノ瀬が黙っている筈もない。
 本国にいる煩型も何をされるか分からないと、一ノ瀬の扱いは
 かなり慎重なのだ。
 
 そんな事を思っている内にホテルへと到着。
 ドアマンがドアを開けると同時に、クラウスは灯を横抱きにし
 急ぎ部屋へと向かった。

 クラウスが宿泊するインペリアルフロア。
 直通のエレベーターなのに嫌に遅く感じる。
 イライラとするクラウスは『落ち着いて下さい』とヘルマンに窘
 められる。
 分かってはいる。
 しかし、腕の中にいる灯の顔が苦しそうで、何かよくない病気
 なのか、もし目を開けなかったらなど悪い事ばかり考えてしま
 う。
 それでなくとも、同じ男とは思えない軽さと華奢な体型。
 今まで男と付き合った事はあるが、こんなに壊れそうではなか
 った。
 
 エレベーターが止まり、ドアが開く。
 部屋の前には支配人と白衣の男が立っており、クラウス達
 が到着するのを待っていた。
 開けられたドアに入り灯を寝室へと運ぶ。
 壊れ物のようにそっとベッドへ下ろすと、直ぐさま後から入って
 来た医師が診察を始める。
 灯の診察をして貰っているのは分かるのだが、他の男が触れ
 るのが我慢出来なかった。

 後ろからヘルマンに『落ち着いて下さい。 灯さんのためです』
 と言われなければ引きはがしていたかも知れない。
 だがさすが、医師が服の裾から聴診器を当てた時には「あ」
 と声を出してしまった。
 シャツのボタンを外し、灯の白い肌がここにいる者に晒されな
 かったのはいいのだがそれでも不快だった。
 脈を取り、瞼を下げ結膜の状態を見る。
 診察が終わったのか、聴診器を片付けクラウス達を振り返る。

「貧血ですね」

「貧血・・・・」

「栄養状態はしっかりされているようですし、特に問題はありま
せん。 極度の緊張状態に陥ると貧血を起こす事があります。
この方は多分何らかの緊張状態に陥り貧血を起こしたのでしょ
う。 ゆっくり休ませていれば直ぐ目を覚ますでしょう」

 貧血という言葉にその場にいた者全てが安堵する。
 支配人は灯は宿泊はしていなくとも、クラウスの連れだけあっ
 てもし万が一あればと心配で仕方なかった。
 
「ありがとう。 突然大切な人が倒れたので気が動転してしまっ
た。 驚かせてすまなかった」

 丁寧な謝罪に支配人達は恐縮しながら部屋を後にした。
 
「極度の緊張・・・・・」

 そう言われてもクラウスには思い当たる事がなかった。
 考え込んでいると横からヘルマンに声を掛けられれる。

『大変言いにくい事ですが・・・・・』

 口調は畏まっているが、目が笑っている。
 
『なんだ』

 憮然とした口調に更におもしろがっているようだ。
 自分が分からない事を、秘書が分かるのが腹立たしい。
 灯の事なら自分が一番知っていたいし分かりたい。

『それは社長に会われて、尚かつ触れられたからだと』

『どういう事だ』

 険を含んだ眼差し。
 穏やかな雰囲気のガラリと変わる。

『悪い意味ではありません』

ん?何処かで聞いた台詞・・・・
 
 自分で言っていながら首を傾げるヘルマン。
 そして灯の友人藤木と同じ言葉だと気付く。
 普段クラウスと会話する時はドイツ語で話しているが、ヘルマ
 ンも日本語は話せるし、理解する事も出来るのだ。

『灯さんにとって社長は長い間憧れの人物。 その憧れの人が
目の前に現れれば緊張もしますし興奮もします。 事実ご友人
である一ノ瀬と社長の時では全く違ったではありませんか。 こ
の方の気持ち、私には分かります』
 
 この見るからに無骨な男にそんな繊細な心があるのかと胡乱
 な眼差しを向ける。

『私にはありますよ。 憧れの女優に会った時など、それはもう
緊張しますから』

 その力説に嘘でない事は分かるが。

そうか、この男にもそんな人物がいたのか・・・

 まあそれはどうでもいい事で、確かに自分には憧れなどなか
 った。
 幼い頃から次期当主として育てられて来たため、重要な人物
 首相や王族に会って来た。 
 招待されるパーティーでもハリウッドスターや人気シンガーと
 も。 
 会おうと思えば、思わなくとも会う事が出来たのだ。
 憧れという気持ちは確かに分からない。
 が、言われるとこれ程嬉しいという事は今回初めて知った。

「灯・・・・・」

 熱のこもった瞳で見詰め、眠る灯の髪を優しく梳いた。

早く目を覚ませ・・・・

 愛しい者を見詰め、その形いい額にキスを落とした。





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