3周年企画

おとぎ話のように

(15)






 いよいよ予選が始まる。
 
 暁兎もウィリアムと共に早々に会場に入る。
 ピットレーンではマシンの準備が進められていく。
 そこにはケインやイザベラの姿も見られたが、彼等も忙しく動き回
 っており、暁兎を一瞥しただけで特に近寄ってはこなかった。
 少し安心した。
 大切なレース前に余計な争い、心配事だけは避けたかったから。

『暁兎、少しいいかな』

 監督と話しをしていたウィリアムが話を終え、暁兎の元へとやって
 来た。
 笑みは浮かんでいるが、少し緊張しているようだ。
 そんなウィリアムの緊張が少しでも解れればと、暁兎は出来るだ
 け笑顔を浮かべる。

 紹介したい人がいるからと言われ、連れて行かれた奥の控え室。
 ノックし開けると見知った顔がそこにあった。
 今朝助けてくれた美しい青年灯と、もう一人精悍な顔立ちのハン
 サムな男性が仲良く寄り添って座っていた。
 体型、髪型からロビーで灯を抱きしめた男性だと気付く。
 彼等も暁兎を見て驚いている。

「君はさっきの・・・・」

『知り合い?』

 ウィリアムに顔を覗き込まれる。
 
『えっ。 あ、うん。 朝ロビーで会って・・・・』

 暁兎は焦った。

まさか彼等がウィルの知り合いだったなんて・・・・

 灯がウィリアムにケイン達の事を言う前に口止めをしておかない
 と。
 ウィリアムには悪いと思ったが、話の内容を知られないよう日本語
 で話しかけた。
 お互い日本人なのだから日本語で会話するのはおかしくないの
 だから。

「今朝の事はウィルには言わないでください。 お願いします」

 暁兎の言葉に、クラウスが眉を顰める。
 彼は灯から今朝の事を聞いているのだろう。

 それに対し、ウィリアムが『なんて言ったんだい?』と聞いてきた。
 嘘をつく事に心が痛んだが、暁兎は笑顔で『宜しくお願いします
 って言ったんだよ』と誤魔化した。
 
「僕は構わないけれど、いいの?」
 
「いいんです。 だってこれからレースが始まるのに、そんな事で
ウィルの走りに少しでも影響があったら困るから。 だからお願い
です、ウィルには何も言わないで下さい」

 灯は暁兎を見て、仕方ないと小さく息をついた。
 
「そうだね。 レース前に精神を乱す事は避けた方がいい。 ・・分
かった。 でもまた何かあったら僕に言ってね」

「はい、ありがとうございます。 あの・・・・・、腕は大丈夫ですか?」

 暁兎は今朝の出来事が心配だった。
 小柄で体重は少ない方だが、落下しようとしている人間を支えた
 のだ。
 見るからに細い腕。
 それにあの時、灯は詰めた声を上げていた。
 痛かったに違いない。
 だから聞いたのだが、言われた灯の顔からは血の気が引いてい
 た。



 訝しんだ顔をしていると、灯の隣に座っていたクラウスの気配が変
 わり、顔も険しくなり灯にどういう事なのか詰め寄った。

「灯、聞いていないけれど」

「・・・・・あ、あの、それは・・・・」

 暁兎に向けられた瞳が(何でそんな事言ったのさ)と非難してい
 た。
 どうやらまずい事を言ってしまったらしい。

「君、どういう事なのか教えてくれるか?」

 灯に聞くよりも、暁兎に聞いた方が早いと思ったのかクラウスに
 尋ねられた。

「あ、駄目!」

 止めようとする灯をクラウスが阻止する。
 クラウスの迫力に気圧され、暁兎は今朝の出来事をクラウスに話
 してしまった。
 話す時、一応目で御免なさいとは謝ったが。
 話し終わるとクラウスはため息を吐いた。
 灯は腕の中で小さくなっている。

『暁兎、何を話しているんだ? 僕だけ除け者は酷いな。 彼等は
英語が話せるから英語で会話して欲しいのだけれど』

 この中で唯一日本語が出来ないウィリアム。
 何を話しているのかが分からない為もどかしいようだ。
 
『御免。 彼、今朝腕を痛めたんだけどそれを言っていなかったみ
たいで・・・・』

 暁兎は自分の都合の悪い事だけ抜かし話した。
 すると、ウィリアムは灯が怪我をした事に眉を顰めた。

『それは灯が悪いよ。 大切な恋人が怪我をしたのにそれを知ら
ないなんてどれだけクラウスが傷ついた事か』

『・・・言う程酷くないし。 余計な心配かけたくないし・・・・』

 灯はチラリとクラウスの顔色を伺い、そして固まった。
 顔は笑っているが目が笑っていない。
 何より気配が不穏だ。

『酷い、酷くないは関係ない。 灯、私は隠される事がとても嫌い
だ。 それは君もよく分かっている筈』

『は、はい・・・・』

 強い口調の後、クラウスは周りに聞こえないよう灯の耳元で何
 かを囁いた。
 途端灯の顔が赤くなり、そして青くなった。

 クルクル変わる顔色に一体何を言われたのだろうと思っている
 とその疑問はウィリアムが代わって説明してくれた。

『今晩はお仕置きなんだろうね』と。

お仕置き?

 始め意味が分からなかった、ウィリアムが耳元でこっそり『ベッ
 ドでのね』と言った事で漸く灯の挙動不審な理由が分かった。
 暁兎の顔も赤くなる。
 純情な暁兎に、ウィリアムは頬を緩めた。

『ウィリアムすまないが、また午後にでも改めて挨拶をさせてもらお
う』

『ええ、灯の腕が心配で仕方ないようですから、また改めて』

『すまない』

 ウィリアムに一言言い、暁兎に向き直る。

「私は今、ウィリアムに敢えて言わない。 レースはとても過酷で
53周走る為には体力も強い精神力も必要となる。 君と同じよう
に気持ちを乱したくはないと思っているからだ』

 同じ気持ちでいてくれた事が嬉しい。
 
「だが彼等にはこのレースが終わり次第辞めて貰う。 ウィリアム
に、このチームにとって必要かもしれないが、私は灯を傷つけた者
を許さない。 例えそれが間接的であったとしてもだ」

 厳しい眼差しと言葉を残し、クラウスは肩を痛めているであろう灯
 を病院に連れて行く為、部屋を後にした。

『今は?』

『・・・うん、灯さん?を病院に連れて行くから宜しくって』

 それならわざわざ日本語でなくもいいのに、とウィリアムは呟い
 た。

『クラウスは灯を溺愛しているから仕方ないか。 慌ただしくてごめ
ん。 彼等は僕に最愛の恋人が出来た事を知って、今日ここに連れ
てきているのも分かっていたから会いに来たんだ』

 と説明してくれた。
 改めて恋人と言われると恥ずかしいし、こんな自分をわざわざ見
 に来てくれた事が何だか申し訳なく思った。
 王子様のようなウィリアムの隣にいるのが、こんなにチビで見栄
 えもよくない自分なのだから。

 灯のようにスタイルがよく、男であれだけの美貌も持っていれば
 ウィリアムに恥をかかせる事も、ケイン達から嫌がらせや嫌みな
 ども言われる事もなかっただろう。

 ウィリアムが彼等の事を教えてくれた。
 体格良くハンサムなドイツ人はクラウス・ローゼンバーグ。
 ドイツの自動車メーカーSW社の御曹司で、現在はヤマシタ自動
 車のCEOとしてこの日本に滞在していると。
 ウィリアムのチームオーナーであり、彼がレーサーとして活躍して
 いた時に作られたチームだと教えられた。
 引退した後もチームは解散せず、そのまま新しいレーサーを入れ
 活動していると。
 ウィリアムもその一人であるそうだ。

 ヤマシタは暁兎が内定を貰っており、来年春から働く事になって
 いる企業だ。
 就職氷河期と言われる今の世の中で、奇蹟的に受かった会社。
 車に詳しい大学の友人のお陰で基本的な事は覚えているが、特
 に自動車に興味がある訳でも、詳しい訳でもなく、大手企業の
 安定感を狙い受けたのが本当の理由だ。
 自分でもよく受かったと驚いていた。
 でもこれで園により多くの仕送りが出来ると喜んだ。

そこの社長・・・・

 驚きすぎて呆然となる。
 そして彼と一緒にいたのが、恋人であり翻訳家として活動してい
 る佐倉灯。
 彼はとても有名な翻訳家で、暁兎も読んだ事があり、映画化され
 る程人気があったファンタジー小説の翻訳を手がけた人物と聞き
 また驚いた。
 たった一ヶ月の間に暁兎の回りには普段近づくことなど出来ない
 大物が現れた。

これもウィリアムと一緒にいるからだな

 だからといって、暁兎は自分から積極的に彼等と親しくなろうなど
 は思ってもいなかった。
 『分不相応』だと思っているから。
 多くの物を望めば、それだけ失う物も大きくなるだろう。
 今でも充分『分不相応』だと思っている。

今だけ、この幸せさえ続けば充分だ・・・・

 ウィリアムはこれからの事は気にする事、心配する事もないと
 言ってくれたが、それでも立場は不安定に思える。
 一番はケイン達が言っていた『婚約者』という言葉。
 頭から離れないから。
 だが不安を顔に出すことは出来ないし、したくもない。

 そしていよいよ予選が始まった。
 エンジンの轟音。
 いっせいにマシンが走り出す。
 昨日とは違う緊張感がその場に走る。
 暁兎は昨日と同じく無事を祈るだけ。
 そしてベンチに歓声があがる。
 結果はウィリアムのマシンがトップだった。

 昨日に引き続き最高の走りとなった。
 今日のような走りであれば明日は確実に優勝できるだろうと、皆
 が喜んでいた。
 戻って来たウィリアムは真っ先に暁兎の元へとやって来た。

『・・・・お帰り』

 無事でよかったと、暁兎は迎えた。
 
『おめでとう、ウィリアム。 いい走りだった』

 灯の肩の治療を終え戻ったクラウスがウィリアムに声を掛けた。
 隣にいた灯もよかったと声をかけてきた。
 それに対して、笑みを浮かべるウィリアム。
 自分でもいい出来だったようだ。
 興奮さめやらぬ中撤収しホテルへと戻る。

 ホールに入ると、キラキラと光る何かが飛び込んで来た。
 キラキラがウィリアムに抱きつく。

え・・・・・?

『ウィリアム!』

『・・・・フローラ?』

 始め驚いた顔のウィリアムだったが、直ぐに優しい微笑みを浮か
 べ、フローラと呼んだ人物を抱きしめた。
 
 ・・・・誰?

 目の前でウィリアムは暁兎ではない誰かと抱き合っている。
 キラキラ輝いていたのは、ウィリアムと同じ綺麗なフローラの髪の
 毛だった。

 抱き合う二人。
 互いの頬にキスをし挨拶をする姿に、衝撃を受け、暁兎の息が止
 まる。
 外国人にとってキスは親愛という意味の挨拶だとは分かっていて
 も、それを目の前で見せられるのは辛かった。

 視界の端に映ったケインの顔に意地の悪い笑みが浮かんでい
 た。
 それを見た暁兎は、彼女が婚約者なのだと思い至る。
 
・・・・嘘じゃ、なかったんだ
 
 暁兎の顔が知らぬ間に俯く。
 隣にいた灯がそれに気付き、ウィリアムを睨み付け二人の前に仁
 王立ちした。

『灯?』

『ねえ、紹介してくれないの』

 いつになく挑戦的で、その瞳には怒りが見られる。
 初めて見る妖艶な微笑みにを浮かべる灯に、ウィリアムは訝し
 む。
  
『ああ、彼女はフローラ・コーエン。 僕の従姉妹だ』

『初めまして』

 抱きついていたウィリアムから離れ、優雅な挨拶をする彼女は優
 しい顔をした美しい女性だった。
 フローラは女性の割には長身で、暁兎よりは10cmは高いだろ
 う。
 ウィリアムと並んでも身長、容姿どれもがお似合い。
 美男美女のカップルだった。
 従姉妹だと言っているが、従姉妹でも結婚は出来る。
 
 ただの従姉妹なのかそれとも特別な関係なのかと、暁兎にはと
 ても聞けない事を灯が代わってズバリと聞いた。

『彼女は君の恋人なの?』

『恋人? 違いますよ』

 笑って否定したが、一方のフローラは違っていた。

『あら、照れているの? 昔結婚しようって約束もしたのに』

 言ってウィリアムの腕に華奢な腕を絡め仲の良さを強調する。
 その姿に暁兎の心が締め付けられる。
 (絶望)という言葉が、暁兎の心に刻みつけられる。

『それは昔の事だろう』

 笑いながらも否定はしない。
 昔というが今はどうなのだろう。
 微妙な言葉に、暁兎はその言葉をどう受け取っていいのか分か
 らない。
 フローラからウィリアムへの好意は見て分かる。
 
・・・・じゃあ、ウィリアムは?

 ウィリアムもフローラの事は嫌っていないようだ。
 というより愛情が見て取れる。

俺は・・・・、どうすればいいんだろう・・・・

 瞳が切なく揺れる。
 灯の顔が歪む。
 クラウスはウィリアムに非難の目を向けていた。
 そんな彼等の視線に、心にウィリアムは気付いていない。
 突然現れたフローラにただ喜んでいた。

 食事が終わるまでの間、このままなのだろうか。
 もしそうなら耐えられない。
 暁兎から一気に食欲が奪われた。

「元気だして。 大丈夫」

 灯が慰めてくれるが、今の暁兎には気休めにもならない。
 それに何だか気分まで悪くなってきた。
 このままでは周りに迷惑を掛けてしまうだろうと、暁兎はその場
 からそっと抜け出す事にした。

『暁兎?』

 途中でウィリアムに気付かれてしまう。

『ちょっと・・・、トイレに行くだけだから』

 付き添おうとするウィリアムを断り、出来るだけ自然な様子でホ
 ールを出る。
 するとそこにはケインの姿があった。





Back  Top  Next




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送