3周年企画

おとぎ話のように

(13)






「凄い・・・・」

 ホテルのベランダから見下ろした景色に暁兎は驚いていた。
 本選前日にも拘わらず、大勢に観客が街に溢れている。
 予選でこの人数となれば、明日の本選となればこの街はどうなって
 しまうのだろう。

街が一気に興奮していく・・・・

 暁兎としてもウィリアムの勇姿を早く見たいと思っているのだが、昨
 夜の出来事が頭から離れず気持ちが沈んだまま。
 眠る前にウィリアムの本当の事を聞きたかったのだが、この休み
 を取るためバイトを頑張りすぎた肉体的疲労と、彼等から聞かされ
 た精神的なダメージでベッドに入るなり、ウィリアムと満足に話をす
 る間もなく眠ってしまった。
 我ながら根性がないとは思ったが、どうしようもなかった。
 
 それならば今聞けばいいと思うのだが、今日明日と過酷なレース
 が待っている。
 
聞ける訳ないよ・・・・・

 ため息をつき、遠くを眺める。
 すると暁兎の隣に人の気配が。
 優しく肩を抱かれる。

『暁兎、朝食の用意が出来たよ』

 ウィリアムが暁兎の髪にキスをした。

『あ、・・・・ごめん』

 優しい眼差し、愛情の籠もった仕種。
 今までなら照れながらも素直に受け入れていたのだが、何だかウ
 ィリアムに触れられたくなくて、さり気なくその腕から抜け出し部屋
 へと戻って行く。

 一方のウィリアムは、暁兎に避けられた事にショックを受けていた。

 既に朝食の用意が出来ており、テーブルの横にはユアンが立ち
 暁兎達を待っていた。

『おはようございまず、暁兎様。 ・・・・顔色が余り優れないようです
が』

 チラリとウィリアムに視線を流す。
 暁兎に避けられた事で戸惑った顔をしていたウィリアムだが、ユア
 ンの謂われのない非難の目に心外だと抗議し、昨日は二人早々
 に眠ったと告げた。
 明け透けな言い方に、暁兎は顔を赤くしながら、その通りだとウィリ
 アムを庇い、『バイトの疲れが溜まっているのかな?』と曖昧な笑
 みを浮かべた。
 
 そんな暁兎に違和感を感じたのかユアンは目を眇め、探るような仕
 種をしてきたが、それ以上は何も尋ねてこなかったため、ホッと小
 さく息を吐いた。

『・・・・朝から豪華だね』

 テーブルの上には二人で食べるには無理だろうと思われる程、様
 々な料理が所狭しと並べられていた。

『唇が切れているから、なるべく食べやすそうな物を選んだのだげれ
ど。 どう、食べられそう?』

 怪我をした暁兎に気を遣い色々選んだようだ。
 確かに唇は切れているけれど、物が食べられない訳でもないし
 普通に食べられるのだがウィリアムの中では違うようだ。
 助けを求めるように、隣で給仕するユアンを見るが、諦めて下さい
 と言わんばかりに苦笑していた。

 仕方ないと暁兎もウィリアムの気持ちを受け入れ、余計な事は言
 わず、『ありがとう』とお礼だけ言って食事を始めた。

 唇の怪我もそうだが、イザベラの爪で傷ついた手を見られないよう
 にと食事をしていた為、食べ方がどうしても不自然なものになってし
 まう。
 気にせず普通にすればいいかとは思ったのだが、朝起きて明るい
 場所で傷口を見ると、思った以上に大きく、場所によっては深く抉
 れ、まだ血が滲んでいた。

 手当をすれば知られてしまう。
 かと言ってそのままの手で食事をすれば、「何があった」と激怒し
 聞かれるのは目に見えている。
 
 少し唇が切れただけでもあれ程まで激しい怒りを露わにしていた。
 それだけでなく、こんな傷まであると知れば昨日以上に怒り狂うだ
 ろう。
 自分の事で、大切なレース前に感情を乱す事になれば走りにも影
 響が出てしまう。

それだけは困る

 だが気を付ければ気を付ける程、暁兎の動きがぎこちないものへ
 となっている事に本人は気付いていない。
 そしてそんな暁兎を見て、ウィリアムが怒りに顔を歪めた事も気付
 いていなかった。
 ガタンと大きな音を立て椅子から立ち上がるウィリアム。

『ウィリアム様?』

『ウィル? どうしたの?』

 訝しむ二人に黙ったまま、テーブルを回り暁兎の元へとやって来
 た。
 そしていつになく乱暴な仕種で、暁兎の右手を持ち上げた。

「あ・・・・・」

 ウィリアムが手の怪我に気付いてしまった。
 暁兎はそのまま下を俯く。

『一体・・・! これは酷い・・・・』

 ユアンが顔を顰める。
 そして直ぐさま内線で医務室に連絡を入れ、医師を呼び出した。

『・・・・暁兎、何故黙っていたんだ。 どうして昨日医師がいた時手
当をしなかった』

『・・・・・』

『この傷は? 何で傷つけた』

 無言で俯く暁兎に苛つきながらも、ウィリアムは声を荒げることなく
 辛抱強く問いかけた。
 
『暁兎、僕が怒っているのは傷がついた事じゃない。 それを治療も
せず放っておいた事に怒っているんだよ。 もしこの傷が金属によっ
てだったら大変な事になるからだ。 万が一化膿してしまったらどう
する? 場合によっては命まで危ない事もあるんだよ。 もし暁兎に
何かあったら、僕は自分を決して許さない。 君の後を追う』

 真剣な声と言葉に暁兎は俯いていた顔を勢いよく上げる。
 冗談には見えないその表情。
 手を怪我してしまっただけなのに、まさかこんな事を言われるとは
 思ってもいなかった。
 それがウィリアムには伝わったようだ。

『どんな小さな怪我でも絶対大丈夫だという保証はないんだ。 きち
んと手当をして初めて大丈夫だと言える。 僕は暁兎に辛い思いを
して欲しくないから言っているんだよ。 それを分かって欲しい。』

『・・・・ごめんなさい』

 怪我に対し、そこまで考えた事などなかった。
 今までは小さな怪我などは自然に治ると思っていたし、実際に治
 っていた。
 だがそれは運良かっただけなのだろう。
 バイト仲間の中に、割れた食器で指を切り、対したことはないから
 とそのままにしていたら、数日後化膿して病院で傷口を切開する
 はめになった者がいた事を思い出した。

『この傷は金属ではないね。 もし金属であれば念のため破傷風の
注射もして貰わなくてはならないから』

 注射と聞き、暁兎はとんでもないと首を振る。
 大きくなってからは病院とは縁のない暁兎だが、園に引き取られる
 前一時的に入院していた時、嫌という程点滴や注射をされた。
 体が弱っていたから仕方ないのだが、それでも健康になるまでの
 間苦痛でしかたなかった。
 それ以降暁兎は注射が大嫌いなのだ。

『それは大丈夫、金属じゃない!爪だから』

『爪?』

『そう。 乾杯した時ジュースが零れて。 それを拭いてもらった時
偶々爪が当たっただけだから!』

 大嫌いな注射と聞き、暁兎は気が動転してしまい爪が当たったの
 だと正直に話してしまった。
 その時、ウィリアムの瞳が強く光った事には気付いていなかった。

 ほどなくして医師が到着。
 手の傷を見て、何故昨日言わなかったのかとウィリアムと同じよう
 に怒られた。
 目の端でチラリとウィリアムを見ると、『ほら僕だけじゃなく医師も
 同じ事を言うだろ』というような眼差しで見られてしまう。
 シュンと萎れる暁兎。
 だが、きちんと手当をすれば傷跡は残らないだろうと言われ、暁兎
 はほっと息をついた。

 そして食事が再開されたのだが、利き手である右手が包帯に巻か
 れている為食べにくくて仕方ない。
 悪戦苦闘していると、早々に食事を終えたウィリアムが暁兎の手
 からカトラリーを奪い取り、スープをすくい差し出して来た。
 どうやら食べさせようとしているらしい。

『自分で食べられるよ』

 ウィリアムの手からカトラリーを奪い返そうとするのだが、手の怪我
 を内緒にしていた罰だと言い、暁兎が自分で食事をするのをよしと
 はしなかった。
 ユアンに助けを求めるが、『自業自得ですよ』と言って味方になっ
 てくれなかった。
 視線を戻すとニッコリと嬉しそうに微笑み『さあ』と、カトラリーを差し
 出す。

ユアンさんもいるのに・・・・・

 二人きりでも恥ずかしいが、そこに第三者いて見られるのはもっと
 恥ずかしい。
 だが、ユアンが部屋を出て行く気配はない。
 このまま食事を終えたいが、暁兎は殆ど手を付けていない状態。
 とてもではないが、このまま食事を終える事など二人が許す筈もな
 い。

ここはやっぱり諦めるしかないんだろうな・・・・

 内心ガックリとしながらも腹をくくり、顔を真っ赤にしながらウィリア
 ムの差し出すスープを飲んだ。
 すると今まで何処か機嫌の悪かったウィリアムだが、上機嫌で暁
 兎にパンだのオムレツなどを食べさせた。

終わった・・・・

 漸くこの恥ずかしい食事を終え一息ついた。
 だがそれだけでは終わらなかった。

『暁兎の手が良くなるまで、僕がしっかり食べさせてあげるから。 愛
してるよ』

 優雅に微笑み頬にキスをされる。
 何の迷いもなく愛していると言ってくるウィリアムに照れながらも、
 まだこの恥ずかしい行為が続くのかと、暁兎はガックリと肩を落と
 した。
 目の端に映るユアンはそんな二人の遣り取りを微笑ましそうに見
 ていた。
 今更ではあるが、こんな事になるのであれば昨日のうちに素直に
 手の傷など隠さず、話しておけばよかったと後悔した。

 だがこんなやりとりがあった事で、ウィリアムに対する蟠りがなく
 なった。
 こんなにも純粋に暁兎を心配し、愛してくれるウィリアム。
 
 彼女達はウィリアムの事を不誠実な人間であるかのように言ってい
 たが、とてもそんな風には思えない。
 今のウィリアムは暁兎に対してとても誠実だ。
 
 昔は彼女達の言う通り多くの人と付き合い、別れた後、体だけ
 の付き合いがあったのかも知れない。
 それはそれで悲しい事なのだが、既にあった過去の事を今言って
 もどうにもならない。
 
今が大切なんだ

 それに、ウィリアムの口から聞いた訳でもない。
 図々しいかもしれないが、今は暁兎だけを愛していると言ってくれ
 た。
 暁兎も誰にも負けない位ウィリアムを愛している。

 だが確かに彼等の言う通り、いつまで愛して貰えるかは分からな
 い。
 幸せを知ってしまった今、もしウィリアムに捨てられたらこの先の人
 生をどうやって生きて行けばいいのか。
 今までは無我夢中で、暁兎の育って来た園に恩返しする為に働き
 人生を過ごして来たが、別れた後同じように情熱的に働けるのだ
 ろうか。
 不安になるがそんな事は今考えても仕方ない。

ウィリアムを信じよう

 暁兎の中で何かが吹っ切れた。


 
 食事を終え、9時から下のホールでミーティングが行われた。
 暁兎も一緒に誘われるかと思ったのだが、意外にも誘われる事は
 なく、部屋で大人しく待っているように言われた。
 昨夜の二人と顔を会わせたくないと思っていた暁兎にとってはあり
 がたい事だった。

 ウィリアム達が部屋を出て行った後、暁兎は特に何かをする訳でも
 なくただベランダから景色を眺めているだけだったのだが、ふとお
 土産の事を思い出した。

 大学の友人には鈴鹿に来る事は言っていないが、バイト先には無
 理を言って休ませてもらった。
 それに、休むにあたって変番してくれた仲間には迷惑をかけたの
 だからお土産は買っておきたい。
 時計を見るとウィリアム達が部屋を出て15分程しか経っていない。
 こんなに早くミーティングは終わらないだろうからと、暁兎は財布
 と部屋の鍵を持ち土産を売っているロビーへと下りた。

 ロビーには人が溢れていたが、土産物を売っている場所は意外
 にも空いていた為、適当にお菓子など数点選び購入した。
 そのまま部屋に帰ろうかと思ったのだが、折角下まで下りたのだ
 から少しホテル内を散策しようと思い庭に出た。
 階段を下りようとすると、下から昨夜の二人が上がって来た。
 
「あ・・・・」

 そのまま踵を返し、ホテル内に戻ろうかと思ったがそれではあから
 さまに避けているのが分かってしまう。
 レースクイーンであるイザベラがこの場にいるのはおかしくないが、
 何故スタッフの一人でもあるケインが一緒なのか。
 ミーティングには出なくてもいいのだろうか等と思っている内に
 上がって来てしまった。

『あら・・・・』

『お早うございます』

 挨拶をし、そのまま下りようとしたのだが目の前にケインが立ちは
 だかった。
 段差があるため、暁兎は彼等を見下ろす形になる。

『怪我の具合は良さそうだね』

『・・・ええ。 心配してくれてありがとう』

 柔らかい笑みを浮かべる暁兎に、ケインがおや?っと訝しんだ顔
 になる。
 
『ウィリアムがあんなに感情を露わにするなんて知らなかったよ。 
君は大事にされているんだね・・・・』

 目を眇め見上げるケイン。
 先程より少し声が低くなっている。

 暁兎もウィリアムに大切にされているとは思ったが、敢えて言葉に
 はせず微笑むだけに止めていたのだが、その仕種がイザベラの癇
 に障ったらしい。

『余裕の微笑みなのかしら? 自分だけが彼の特別だと思っている
わけ?』
 
『・・・・そういう訳じゃ』

 悪意ある物言いに戸惑う。 

『そうよね、そんな事思うわけないわよね。 私達みたいに顔が綺麗
っていう訳でもないし。 そんな貧弱な体なんかじゃウィリアムが満足
するはずないもの。 直ぐに飽きるわ。 あなたもそう思うでしょ?』

 勝ち誇った言い方。
 暁兎を貶める言葉を何の躊躇いもなく口に出し、あまつさえ本人に
 向かって同意を求めてくる。
 イザベラが分からず、暁兎は混乱した。

 少し前の暁兎なら、不安で仕方なく疑心暗鬼に捕らわれていただ
 ろう。
 「どうしたらこの先も一緒にいられるか」とか、そんな卑屈な事ばか
 り考えていたと思う。
 だが彼女に何を言われても今の暁兎の心は揺るがない。

『確かに俺は顔やスタイルが良いわけじゃない。 ウィリアムがあな
た達が言うような不誠実な人じゃない事も知っている。 優しくて凄
く正義感もある。 前が不誠実だったとしても、今が違うならそれで
いい』

 彼等を見つめ、暁兎は言い切った。
 まさかそんな答えが返ってくるなどとは思っていなかったようで、二
 人は驚き目を見張っていた。
 
そう、ウィルの口からはまだ何も聞いてない・・・
例えそれが真実だったとしても、ウィルが言っていない事は信じない
って決めたんだ

『・・・それ、本気で言ってるの?』

『勿論』

 言い切った暁兎に対して二人の顔が醜く歪む。

『自分が信じていればそれで構わないなんて、凄く傲慢な考え方ね』

『ホント、自分だけが愛されてるっていうその言い方。 気にくわない
な・・・・』

 吐き捨てるように言われる。
 昨夜とは打って変わり、二人は敵意をむき出しにする。
 何故彼等は初めて会った暁兎に対し、そこまで悪意を剥き出しに
 するのか。

そうか、ウィルが好きなんだ・・・・

 だから暁兎がウィリアムの隣にいるのが許せないのだろう。
 恋人ではなかったが、肉体関係はあった。
 側にはいられなくとも、その時だけはウィリアムを独占出来たのだ
 から。
 だが、暁兎という恋人が出来てしまったため、それすら断ち切られ
 てしまった。

僕が彼等からウィルを奪う形になってしまったんだ・・・

 そう考えるのが自然に思えた。

 でもだからといって、暁兎からウィリアムの離れるという事は出来
 ない。
 暁兎も彼等に負けないくらい、ウィリアムを愛しているのだから。

『ごめん・・・・』

 ただ一言謝り、前に立ちふさがる彼等の脇を通り階段を下りよ
 うとする。
 彼等も何も言わない。
 ケインの横を通り、イザベラの横を通ろうとした時、肩を強く押され
 た。
 体が傾き階段から足が離れ、中に浮く。

「え・・・?」

 咄嗟にイザベラの顔を見ると、彼女の顔には醜い笑みが浮かんで
 いた。





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