2周年企画

眼鏡を買おう!
(6)





 目の前に大好きな貴章がいる。

 いつもように駆け寄り抱きつこうとしたのだが、ハッとその場に立
 ち止まる。

 貴章の様子がおかしい。
 顔に全く表情がない。
 
 普段の貴章を知る者ならばいつもと変わりないと思うのだが、若
 菜には全然違って見えた。
 
 表情がないだけではない。
 瞳に生気がないのだ。

 若菜を見ているのに、通り抜けている。

 心が闇に囚われようとしていた。
 この虚ろな瞳を見たのは二度目。

 つい先日綾瀬と一緒に誘拐され、若菜が怪我を負った時に見た
 時の瞳。
 若菜を失うのではないかと告白した時と同じ物。
 大丈夫だから、側にいるからと言って貴章と共にマンションで一
 週間生活を共にし、貴章の心が落ち着いたのだ。
 その時と同じ瞳に戻ってしまっている。

こんな瞳にさせたかった訳じゃない!

 自分のほんの少しの甘い考え、『時間がたっぷりあるからその間
 に眼鏡を作りに行って戻れば大丈夫』『黙っていればバレないだ
 ろう』という、軽い気持ちが貴章の繊細な心を傷つけてしまった。

貴章さん、戻って・・・・・

 貴章に近づき両手を伸ばし、そっと頬を包み込む。
 若菜の手が触れると体が僅かに震えた。
 そして瞳が微かに揺らぐ。

「貴章さん、ごめんなさい・・・・・。 僕はあなたを一人にはしないか
ら、だから僕を見て。 僕はちゃんとここにいるから」

 闇の中に、僅かだが光が見えた。

「僕はここにいるから・・・・・」

 囁き若菜は少し背伸びをして貴章に口づけた。

 ここが外で、回りに人がいようが若菜には関係なかった。
 貴章の闇に染まった心に光りを取り戻したかった。
 自分のせいで、貴章の心を傷つけ追い込んでしまった。

 唇を離し、貴章の瞳を覗き込み「僕を見て、僕はここに、あなた
 の前にいるから」
 囁き、何度も何度も口づけた。

 徐々に貴章の瞳に光りが戻り始める。
 若菜は貴章の首に腕を回し口づけを深めていく。

 そんな二人の様子を綾瀬は呆然と、徹平は口を大きく開け見
 入っていた。
 そして診察が終わり出てきた日浦もその光景を目にし、その場
 で立ち竦んでいた。
 そんな日浦を訝しく思った素が出てきて釘付けになり、そんな
 二人の様子を見て出てきた横田が「おやおや」と目を細め見た。

「ん・・・・・」

 若菜の吐息が零れる。
 すると両脇に降ろされていた手がピクリと動き片腕は若菜の腰
 に、もう片方の腕は後頭部に回された。
 そして今まで受けるだけだった口づけを、今度は貴章が深めて
 いく。

 余りにも濃厚な二人の口づけに、初め唖然としていた一同の顔
 が真っ赤になっていた。

 普段見慣れているはずの綾瀬ですら、赤面してしまうくらい。

 徹平に至っては、大好きな若菜が、顔は綺麗でも性格が悪く若
 菜の事を騙していると勝手に思っている貴章の登場にいち早く
 反応した。
 だがライバルの異様な雰囲気を感じ取り、体が勝手に震え始め
 た。
 初めて見た時も怖い人だと思ったが、今回は全く動けなかった。
 心底恐ろしいと思った。

 だがそれを若菜は恐れる事なく、貴章を包み込む用に抱きしめ
 キスを始めた。
 姿が眩しかった。
 そして若菜のキスに貴章の体から発せられていたが闇が消え、
 穏やかなものへと変わって行くのを感じた。
 キスは濃厚だったが、二人の姿はとても美しかった。

 改めて若菜は凄いと思った。

 そして、若菜が騙されているのではないと気付いた。
 貴章には若菜が必要であるという事、そして若菜が貴章の事
 を心から愛しているのだと感じた。
 二人で一つだという事に。

負けた・・・・・

「はぁ・・・・っ・・・・」

 互いの唇が離れる。
 若菜の頬がうっすらとピンクに染まり、潤んだ瞳で貴章を見詰め
 る。
 貴章の瞳はしっかりと若菜を捕らえ、強い光が戻っていた。

「・・・・貴章さん・・・」

「若菜、心配を掛けるな・・・・・」

「ご免なさい」

 抱き合う二人。
 甘い雰囲気が二人を包む。

「あ〜、その・・・・そろそろいいかい?」

 熱い二人に、さすがの横田も言い淀む。
 若菜は貴章に抱きついたままふり返り「はい、もういいです」と
 ニッコリ笑った。
 
さすが戸田先輩、大物だ・・・・・

若菜、いい加減離れろ

若菜せんぱ〜い・・・・

・・・・・俺には無理
あ、でも洋人ならやる
あいつは人の迷惑顧みないで絶対にやるな

若いっていいね〜

 皆がそれぞれの思いに囚われていた。
 
 貴章は周りの事など全く目に入っていないらしく、若菜にもう終
 わったのかと聞いていた。

「うん。 いま会計待ってるの」

 言って受付を見る。

あれ〜?

 そこに座っている事務員は魂を抜かれた顔になっていた。

 年に一度あればいい、美形集団の集まり。
 その内の二人は男とはいえ、この世の者とは思えない程の美
 形。
 その二人が目の前で抱き合い、熱いキスを交わしているのだ。
 見とれるなという事自体が無理。

 使い物にならないと判断した素が、横から二人分のカルテの入
 力をして行く。

 そして会計をする。

 いつもなら若菜に纏わり付く徹平だが、この時は大人しくしてい
 た。
 悔しいが、この二人には割り込む事が出来ないと思ったから。

でも負けない・・・・
 
 会計を済ました貴章に「すまなかったな・・・・・。 ありがとう」
 と頭を下げられ綾瀬はその場に固まっていた。
 
「じゃ、みんな、また明日ね〜」

 貴章に腰を抱かれた若菜。
 手を振って横田眼科から出て行った。

 残された者達は一気に脱力した。
 まだ朝だというのに、その日の体力、気力を使い切っていた。

 外に出ると目の前に貴章の車が停まっている。
 貴章が助手席のドアをあけ、若菜が乗り込む。
 それから貴章も車へと乗り込んだ。

 そして若菜はもう一度貴章に謝罪した。

「二度としなければいい。 もし私がいない時には必ず綾瀬に連
絡しなさい」

 そう言って若菜の頬に手を触れた。

 素直に「はい」と返事をした。
 貴章の為にも二度と同じ事をしないと誓った。
 その瞳に、言葉に貴章の心が安定する。

 若菜を失えば貴章は壊れるだろう。
 そう確信していた。
 そして、自分の腕から奪おうとする者はこの世から消し去る事は
 必然と思った。

 他人が聞けば冗談だと思うだろう。
 若菜を知る前、感情のなかった貴章ならそんな思いは一生訪れ
 る事はなかった。
 だが貴章は若菜と出会ってしまった。
 何よりも光り輝く絶対的存在。

失えない・・・・・

 若菜にキスをする。
 そして気持ちを切り替える。
 一刻も早く眼鏡を作りに行こう。
 
 エンジンをかけ、若菜に場所を聞く。
 すると「銀座にあるダリュー本店なの」と。

ダリュー?

 確かに銀座のブランド店が立ち並ぶ通りに、一際に大きな自社
 ビルが建っている。
 だがその店は眼鏡店ではない。

 フランスにある、19世紀から続くダリュー家が経営する高級ブラ
 ンド店。
 先代フィルマン・ドゥ・ダリューが当時気まぐれで起こした店。
 初めの頃は礼服だけだったが、現在は洋服に鞄、靴に力を入れ
 ている。
 現在はローラン・ドゥ・ダリューが当主となり、その娘がデザイナ
 ーとして活躍している。
 フランスのファッションの頂点に君臨する者達。
 それだけではない。
 ヨーロッパにいくつもの城を持ち、クリスティーズやサザビーズ
 と同等のオークションハウスを持ち開催している。
 このダリューのオークションは誰でも参加出来る訳ではない。
 会員制で、王族・政財界のトップにいる者しか参加する事が出来
 ない。
 新しく会員になる者は、現会員4名の推薦がないと入れないとい
 う厳しい決まりがある。
 
しかし眼鏡、特に若菜が愛用している眼鏡などなかった筈だ
どういう事だ・・・・・

 疑問に思いながらも、若菜の言う通り車を銀座に走らせた。
 車の中では若菜が眼鏡を壊してしまった経緯を話していた。
 そして眼科に着くまでの道のりを。

 若菜はガードの事に全く気付いていなかった。
 梶原からは簡単ではあるが、若菜に近づく者達の数が尋常では
 ないと言っていた。
 だがそれらを気付かせる事なく、上手く守っていた。
 さすが貴章自らが選りすぐった者達だ。

 程なくして車が銀座の街中へ入り、ダリュー本店前に着いた。
 丁度貴章の車が停められるスペースが空いていた。
 
 そこへ車を止め、先に貴章が降りる。
 そして助手席へ回りドアを開け若菜を降ろす。
 突然現れた華やかな二人に、通行人の足が止まる。

 若菜が貴章の腕にしがみつく。
 自然と見つめ合う二人。
 
 店に入ろうと足を向ける前に、店から一人老紳士が両手を広げ
 飛び出して来た。

『若菜〜!』

 その老紳士の姿を見て咄嗟に貴章から手を離し、駆け寄る。

『フィルマン叔父さん!』

 若菜の声が喜びに溢れる。
 そして二人は熱い抱擁を交わした。

自分の目の前で親しげに抱擁を交わす姿を見て、貴章は不快
 になった。

 若菜が自分以外の者と触れ合う事が許せない。
 自分以外に優しく微笑みかける事が我慢できない。

 たとえそれが血を分けた家族であっても、その思いは変わらな
 い。

 今抱擁を交わしているのが、別な者ならば貴章は即刻その手
 から若菜を奪い返しただろう。

 若菜がこれ程まで再会を喜んでいるのだから、それを引き離す
 のも気が引ける。

 貴章は心の中で葛藤していた。

しかし・・・・・

 貴章は驚いていた。
 滅多な事では動じる事のない貴章だったが、目の前にいる老
 人を見て心から驚いていた。

 目の前で若菜と抱擁を交わしている人物。
 会うまで同姓同名の全くの別人だと思っていたが、まさかフィル
 マン・ドゥ・ダリューその人だとは思ってもいなかった。

 若菜の父はパイロット、母はアートフラワー教室を開いてはいる
 が普通の主婦。
 繋がりが全く分からなかった。
 若菜を知って家族関係を調べようと思えば出来た事。
 しかし、敢えてそれはしなかった。
 家族の事は若菜が教えてくれたものだけで十分。
 若菜の事だけ知っていればいいと思っていたから。
 
 ここにいるフィルマン・ドゥ・ダリューは若菜の前では相好を崩し、
 久しぶりに会った孫を溺愛する祖父にしか見えない。

 フランスの頂点に位置する、二人の内の一人。
 それがこのフィルマン・ドゥ・ダリュー。
 写真でしか、見る事のなかった人物が目の前にいる。

 フランスだけではなくヨーロッパ全土でその力を遺憾なく発揮
 出来る数少ない人物。

 そしてもう一人がアラン・ピエール・ドゥ・ボニツェール。
 この人物も19世紀から続くボニツェール家の当主。
 ヨーロッパだけでなく、各国のその力を遺憾なく発揮できる者。
 世界のホテル王と呼べる人物。
 各国に幾つもの城を持つ。
 5つ星のホテルを100以上持ち、三つ星レストランを幾つも持っ
 ている。
 ホテルだけではなく、ヨーロッパ各国に高級デパートを建て統
 治し、広大な土地にワイナリーを作り世界各国から熱望され、最
 高級食材のトリュフが取れる森を持ち、フォアグラを作り出す。
 アラブに油田を掘り当てたという幸運の持ち主。
 その姿は偉大で誰をも圧倒している。
 
 この二人は古くからの大親友で、滅多な事では表に出てこない
 と言われている。

 事実貴章の会社でもフィルマン、アランと取引をしていたが、一
 度も会えた事はなかった幻の人物。

 その人物が目の前にいる。

 二人の挨拶が一段落したようだ。
 若菜がふり返りにこやかに貴章を呼ぶ。

 若菜の声で漸く貴章の姿が入ったようだ。
 貴章を見る目が厳しいものへと変わっていた。
 
 さすが世界のトップクラスにいるだけに、その視線は鋭かった。
 この視線を持つ者は日本の中ではほんの一人、二人位だろ
 う。
 その一人は現剣総帥剣賢護だと貴章は思っている。





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