優しさに包まれて

(1)






 目が覚めると、それが当たり前の風景になっていた。

 自分とは全く違う男らしい顔が目の前に。
 今は瞼が閉じているから分からないが、その眼光は鋭く、見
 る者を萎縮させる。

 だが雫は知っている。 
 その瞳の奥にある優しさ、深い愛情を。
 雫だけがその瞳を見る事が出来る事を。

 何も持っていない自分が、和磨の愛情を独り占めしてもいい
 のだろうか、こんなに幸せになっていいのだろうかといつも
 思ってしまう。
 
 そして、それ以上に大きな不安も。
 
 和磨は何も持っていなくても雫がいればいいと言ってくれた。
 しかし、何も持っていないからこそ和磨が自分から去ってしまう
 のではないかと。

 今感じている愛情が、和磨から消えてしまったらどうしようか
 という思いが。

 与えられるだけで、和磨に何も返せていない現状。
 少し前までは、それすら分からない状態だった自分。

 何も分からず反応のない自分に対し、和磨はあらん限りの愛情
 を持って接してくれていたと、漆原から聞いた。
 
こんなに素敵な人が、僕なんかの為に・・・・・
今だって和磨さんには、凄く迷惑をかけているのに・・・

 一日も早く、普段の生活が送れるようになりたい。
 その為には皆が言うように、無理せずリハビリに励むしかな
 い。

 最初の頃は、後先考えず頑張りすぎ余計体調を崩してしまった
 のだ。
 皆から怒られ、心配され迷惑をかけてしまった。
 
 それからは無理せず少しずつ。
 ゆっくりではあるが、歩けるようになった。
 ただし歩行器を使って。
 
 始めの頃は全く増える事のなかった体重も、徐々に増えて来
 た。
 元に戻るまで、まだまだ時間はかかるだろう。
 和磨と抱き合えるようになるのも・・・・
 早く抱き合いたいと思う。

 でも今はまだキスだけ。
 
 眠っている和磨の頬に、そっとキスを落とす。

 そして身を離そうとすると、少し強い力で引き寄せられた。

「あっ・・・・・」

 和磨と視線が合う。
 いつの間にか起きていたようだ。

 自分の今の行為が恥ずかしく、離れようとするが和磨がそれを
 許さなかった。

「もう終わりか?」

 頬を染め、上目遣いで睨む。
 だが和磨にとって、雫のそんな仕草は愛らしく微笑ましい物。
 眼差しが、自分で思っている以上柔らかく甘い物になっている
 事に和磨は気付いていない。
 
 二人だけでいる時に、この眼差しを見る事が出来る。
 
「意地悪です・・・・・」

 少し拗ねた口調になってしまう。
 起きていると分かっていたなら、キスしなかったのにと思った。
 和磨が起きている時になんて、とてもではないが自分からキス
 など出来ない。
 勿論恥ずかしいから。

 時々和磨からキスを強請られるが、やはり恥ずかしく、20回に
 一回の割合でしかキスをする事が出来ない。
 殆ど和磨から。
 
 キスをしていない訳ではない。
 もしかしたら普通の人達より、キスをしているのではないだろう
 かと思ってしまうくらい。
 
 正式につき合ったのは和磨だけ。
 だから雫には基準が分からない。
 もしかしたら、これが普通なのかとも思ったり。
 他のカップルに聞いてみれば直ぐにでも分かる事なのだろうが、
 そんな事を聞ける筈もなく。
 澤部なら喜んで教えてくれると思うのだが・・・・

 からかわれ、色々な事を聞かれそうでやはり聞く事が出来な
 い。

「何を考えている」

 和磨に顔を覗き込まれ、ジッと見られていた。

 まさか自分達のキスの回数が、普通より多いのか少ないのか
 などと考えていたなんて事を言える筈もなく。
 なので、つい「何も」と答えてしまった。

 心の奥を見透かされるのではないかと思うくらいジッと見詰め
 られた。
 そんなはしたない事を考えていたなどと悟られないよう、視線
 を逸らそうとする。

「まあ、いい」

 そう言っていつもと同じよう、そっと唇を合わせて来た。
 和磨とのキスは心地よい。
 心が温かく、幸せになる。
 触れるだけのキスが繰り返される。
 時にはそれが段々深くなって行く。

 深くなるといっても、以前のように激しいものではない。
 やはり雫の体の事を考え、短く少し浅く。
 和磨からの激しいキスを何度も受けた雫には、時折その優しさ
 がじれったく感じる事もあるが、仕方ないと心に言い聞かせる。

 チュッ、チュッと数度唇にキスを交わし、最後に瞼にキスを落とさ
 れた。
 くすぐったさに首を竦めた。

「昼前に隣りへ行く」

 そう言って和磨がベットから降りる。
 先に自分の着替えを済まし、その後雫の服を着替えさせる。
 着替えさせた後は雫を抱き上げ、隣りのリビングへ運び雫の為
 に特注した柔らかなグリーンの色のソファーへと下ろした。

 そして和磨がキッチンに入り朝食の用意をする。
 雫中心のメニュー。
 体が冷えないようにと、そしてなるべく野菜が沢山食べられる
 ようにと温野菜のサラダ。
 消化がいいようにと細かく刻まれている。
 そして初江直伝のおじやが用意される。
 野菜だけでは体力がつかないと中には鶏肉が、やはり細かく
 刻まれて入っていた。

 二人で生活するようになって、初めて和磨が料理が出来る事
 を知った。
 それが美味しかったのが少しショックだったりした。

 北海道の実家で暮らしていた時には、家族の食事は全て雫が
 作っていたのだ。
 余程の事がない限り毎日。
 美味しくなければ、皿ごと料理を投げつけられた。
 色々な本を読み、工夫したため短期間で料理の腕を上げた。
 
 その自分より、殆ど料理する姿など見た事のない和磨の作る
 料理の方が美味しいのだから。
 元に戻った暁には、更に料理の腕を上げ和磨に食べて貰いた
 いと雫は思っていた。

 朝食が終わった後も和磨は付きっきり。
 リビングに置かれた専用のソファーベッドに背を預け、本を
 読む。
 その傍らで、和磨がパソコンを使って仕事をしていた。

 リズムよく打たれるキーボード。
 会話は特にないが、二人だけのとても穏やかな時間。

 和磨が側にいるだけで雫は幸せだった。

 どの位時間が経っただろう。
 和磨に呼ばれ目を開ける。
 いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
 
 その体は和磨の腕の中。
 体には柔らかな薄手の肌掛け布団がかけられていた。
 
 しかし、和磨に抱かれていたのに気づかないとは。
 まだ体の休息が足りないという事なのだろう。
 
 まだ完全に体が元に戻った訳ではないが、大分体力もついて
 来たと思ったのに。

 少し落ち込んでしまった。

「そろそろ時間だ」

 言って雫を抱き上げる。
 
 家の中の移動も、和磨が一緒にいる時は殆ど歩く事がない。
 リハビリにならないと訴えてみたが、自分が仕事の時に出来る
 だろうと言って取り合ってくれなかった。

 確かに和磨が仕事に行ってしまえば、歩行訓練をしている。
 本家と同じ敷地内にいるとはいえ、和磨が雫を一人にする事
 はなかった。
 


 和磨が仕事に行くと同時に介護士が入る。
 雫のリハビリを手伝い、尚かつ家政婦として。
 
 一旦は外部から人を雇おうとしたが、万が一の事を考え、清風
 会の中から選ばれた。
 
 巨大な組織な為、色々な経歴の持ち主がいる。
 最初から極道に生きている者もいれば、途中から様々な理由
 でこの世界に入って来る者もいる。

 選ばれた男は後者だった。
 年の頃は30前半ば。
 背は和磨より低いがそれでも180以上はある。
 体格もとてもいい。
 昔はアメフトと柔道をしていたと聞いて、その体格も納得した。
 優しそうな男だった。
 名前は深山仁。
 
 詳しく聞いた訳ではないが、以前は大きな病院で理学療法士
 をしていたという。
 彼とは和磨が帰って来るまで時間を共にした。

 リハビリの時間はとても短く、後は家政婦として彼はいた。
 申し訳なく思っているのだが、ままならない体で動けば、かえっ
 て邪魔になるだけ。
 
「仕事だけど、家事は好きだから」

 と照れくさそうに笑いながら言ってくれた。
 その顔からは、仕方ないとか面倒くさいというものは感じられ
 なかった。

 ここにも優しい人が一人。
 雫の周りに優しさが溢れる。

 掃除、洗濯をする時の顔はとても楽しげで、時折鼻歌が聞こ
 えて来た。
 彼の作る食事も美味しかった。
 その大きな手からは考えられないくらい、器用な手先。
 板前になりたかったからと調理師学校に通い、調理師免許も
 持っていると教えてくれた。
 なのに、どうして理学療法士になったのか。
 
 聞きはしなかったのだが、笑いながら「恋人が昔大怪我をして
 雫君と同じように歩く事が困難になってリハビリをした時、何も
 出来なかった自分が嫌で理学療法士になったんだよ」と。
 そして介護士の資格も取ったと。
 今はその恋人は後遺症もなく、普通に生活を送っていると自ら
 教えてくれた。

 とても大切な恋人で、その恋人とは今、一緒に暮らしていると。
 彼の恋人への大きな愛を感じ尊敬した。

 そしてふと気づいた。
 
 丸一日をここで過ごす彼。
 和磨が家に戻って来るのは深夜になる事もある。
 
 考えずとも、恋人との時間がとても短いという事に。

 大切な恋人との時間を奪ってしまっている事に罪悪感が。
 
 だが彼は「そんな事ないよ、かえってありがたい位かな。 前は
 家に帰らないと顔が見られなかったけど、今はちょくちょく会え
 るからね」と謎めいた事を言った。

 一日をここで過ごす彼が、どうして恋人に会えるのか。
 考えられるのはただ一つ。
 この家に恋人が来ているのだ。
 
でも、いつ・・・・・?

 その答えは意外にも和磨が教えてくれた。
 彼からの言葉を聞いた日の夜、疑問が顔に出ていたらしく和磨
 に「何かあったのか?」と聞かれ、どうしようか悩みながらも聞く
 と「ああ、仁は漆原の恋人だ」と。

 別な意味で驚いた。

 てっきり澤部が恋人だと思っていたから。
 
 それを和磨に言うと「殆どの奴はそう思ってるだろうな」と言っ
 た。

「言うのはかまわないが、『澤部と恋人だと思った』とは言わない
方がいいぞ。 暴れるからな」

 言って和磨がニヤリと笑った。
 確かに言わない方がいいだろう。

 普段の澤部に対する態度は、照れ隠しだと思っていたのだが
 あれは本当に澤部に腹を立て殴っていたんだと知った。
 でも、それだけであんなに殴ったり蹴ったり出来るのだろうか。
 
 その疑問も和磨が教えてくれた。

「澤部の恋人が漆原の弟だからだろう。 ああみえて漆原はかな
りのブラコンだから」

 納得。

 聞けばそうとう溺愛しているらしく、弟が澤部と付き合っている
 と知った時には血の雨が降ったらしい。
 その手には拳銃が、日本刀が握られていたとかいないとか。
 
 あの穏やかな漆原からは想像出来ないくらい。
 
 兎に角、「澤部と恋人だと思った」という事は、漆原には黙
 っておこうと決めた雫だった。





 



 
Top  Next





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送