優しい風

(11)





 僅か数ヶ月の出来事が、頭の中で思い出されて
 いた。

 全く知らない土地。
 当然知人もいない。
 これからの生活がどうなるのか全く分からない。
 どんな苦労、困難が待っているのか。
 だがやって行くしかない。
 もう戻らないと決めたのだから。



 あの日、アパートに戻った後、宗之に荷物を纏め
 るから2日欲しいと言った。
 全て業者に任せればいいと言われたが、荷造りだ
 けは自分でやりたいと頼み込んだ。
 どうせなら二人でやったほうが早いという宗之に
 素直に従い手伝って貰いながら。

 すっかり従順になったその姿を見て、諦め逃亡す
 る可能性もないと思ったのか、あっさり許してくれ
 た。

 夜になり、夕食を食べ宗之は帰って行った。
 明日、午後迎えに来ると言って。

 迎えが来る前に家を出た。



 電車の中から見る景色に緑が多くなっていく。
 初めて来た東京は空気が悪く、緑もなかった。
 本当に自分はこの街でやっていけるのか不安に
 思っていたとき、馬の姿が見えた。
 
こんな都会の中心に馬?

 離れていたが見間違う事はない。
 一番慣れ親しんだ、近くにいた動物なのだから。
 そして、ふと思った。
 不安なこれからの生活。
 だが、大好きな馬の姿を見れば少しは勇気がでる
 かも知れない。
 
 その後直ぐ駅に着いた。
 電車を降り、改札を出る。
 今来た方向を歩いて戻る。
 電車ではほんの数分だが、歩いてだとどの位か
 かるのか分からない。
 だがひたすら線路に沿い歩いた。
 
 どの位歩いただろう、大通りに出て歩いていると
 交番があったので聞いてみた。
 その場所は交番から意外に近かったが、年若い
 警官はいい顔をしなかった。
 そして行く事を止められた。
 何故そんな事を言い、そんな顔をするのか。  
 だが理由は聞かずお礼を言いその場を後にした。

 言われた通り歩いて行くと直ぐその場所は見つか
 った。
 場所はフェンスで囲まれており、その中には電車
 から見た通り馬が走っていた。

 競技用なのか、バーが置かれている。
 そして漆黒の馬が飛ぶ。
 綺麗なフォーム。
 馬だけでなく乗って操っている人物の姿勢もとて
 も美しい。
 そして次に白馬が飛ぶ。
 この馬の乗り手もとても素晴らしかった。

なんて綺麗なんだろう・・・・・・

 時が経つのも忘れ見入っていた。
 だがふと気付く。
 近くまで近づいて来た白馬の毛並みに僅かに艶
 がない事に。 
 もう一頭の走り方の違和感に。
 二頭のほんの僅かの違和感。
 
 乗り手に、周りにいる人に、馬の違和感を気付
 いて欲しい。
 それが無理なら、自分が知らせたい。
 馬が大好きだから。
 どうしたらいいのだろうと思っていると突然声を掛
 けられた。

「そこで何をしているんですか」

 振り向くとスーツ姿の男がいた。
 気配に全く気付かなかった。

 とても綺麗な男だった。
 細身で長身。
 スッキリとした顎のラインと高い鼻梁。
 切れ長の瞳。
 一見穏やかに見える瞳だが奥はとても冷たく鋭
 い。
 何故そんな目で見られるのか分からないが怯え
 身体が萎縮する。

「何をしているのかと聞いたのですが」

 何も言わず怯える雫に再び問いかけてくる。
 優しい口調だが、詰問されている事は分かる。

「あ・・・・馬を見ていて・・・・。 凄く綺麗で、乗ってい
る方の捌き方も巧みで、一つになっているんです・・
・・。 でも、黒い馬は走り方が少しおかしいんです。
多分右前足、利き足の爪が伸びて違和感があるん
だと思います。 白馬の方は毛ヅヤがあまり良くな
いんです。 胃が悪いのかな・・・・・・」

 言うだけ言って馬を見る。 
 突然現れ、詰問された事は恐ろしかったが、悪い
 人ではないと思った。
 あれだけ人に裏切られながらも、雫は疑う事が出
 来なかった。 
 
「早く休ませてあげたい・・・・・」

 ぽつりと呟く。

「あなたは馬が好きですか?」

 また話しかけられる。
 今度は詰問ではなく、優しい問いかけ。
 その言葉には即答できる。
 男を振り返り答えた。

「大好きです。 強くて優しくて繊細で。 彼らは裏切
らないから・・・・・・」

 最後の方は呟くような口調。  
 思い出し悲しくなってしまった。
 俯いた雫を男は無言で見詰めていた。
 普段なら初めての人物とこんなに長く会話する事
 はない。
 人見知りも激しい。
 だが大好きな馬の事で、いつもより話している事
 に、初めて会う人だというのに人見知りしていな
 い、その事に気付いていない。
 
「行きましょうか」

 俯いている雫の、手を取り歩き出す。
 突然の事にわけも分からず、パニックを起こす。
 心配ないと言われ少し先の門へ連れて行かれ
 る。
 その場所には黒い服を着た、体格のいい強面の
 男達が数人立っており、雫を連れた男の顔を見
 ると頭を下げ門を開けた。
 その横を怯えながら通り過ぎる。
 
 男はどんどん歩いて行く。
 綺麗な顔に似合わず力がある。
 一体何処まで連れて行かれるのか不安になる。
 歩幅の違いか、男は普通に歩いているが、雫は小
 走り。
 息も切れてきた。
 繋いでいた手に力が加わった事で、男は初めて
 雫が小走りになっていた事、息が苦しそうな事に
 気付き立ち止まる。

「ああ、申し訳ありません。 早かったですね、大丈
夫ですか?」

 先程とは違い優しい労るような口調。
 眼差しも柔らかいものになっている。
 雫が戸惑っていると男が自己紹介をしてきた。

「私は漆原友之です」

「・・・・屋代雫です」

「雫さんですか、綺麗な名前ですね。 あなたにと
ても似合っている」

 言ってニッコリと笑う。
 綺麗な顔だと思っていたが、笑った事で艶やか
 な美しさとなる。
 こんな綺麗な人物を見た事はない。
 思わず見惚れてしまう。
 そんな雫を見て「どうかしましたか」と聞かれ、見
 惚れた事を言うと「あなたの方が綺麗だ」と言わ
 れた。
 瞬間顔が強張り、俯いてしまう。
 今回の事で自分の顔が更に嫌いになってしまっ
 た。
 こんな顔でなければ。
 男らしい顔で、しっかりとした体格であれば、家族
 も少しは違った扱いをしてくれたかもしれない。
 宗之とも知り合う事もなかっただろう。
 言っても仕方ない事だが。
 沈む雫を漆原は見詰める。

「馬の所へ行きましょう」

 言われ歩き出す。
 今度はゆっくりと。
 雫に歩調を合わせてくれる。
 
 初めて会った見ず知らずの自分に、どうして構っ
 てくるのか。
 始め向けられた鋭い視線はなんだったのだろう。
 それにこの場所は。
 入り口に立っていたあの男達は一体。

 聞きたい事が沢山ある。
 漆原を見上げると、微笑まれる。

本当に綺麗な人・・・・・

 目の前に馬場が見えた。
 先程、外から見た時と同じく馬が二頭走ってい
 る。
 漆原が馬場に向かって頭を下げる。
 
なに・・・・?

 すると二頭が二人の元へやってきた。
 近くで見るとその馬達の素晴らしさが実感でき
 る。
 引き締まった均整のとれた身体。
 漆黒の毛が日の光にキラキラと輝いていて、とて
 も美しい。
 白馬の方は少し小柄だが、やはりバランスのと
 れた身体をしている。
 とても美しいが、やはり毛ヅヤがないように思わ
 れる。

「どうした」

 漆黒の馬に乗った人物が漆原に言う。
 落ち着いた低い声。
 その一言にも言葉に力がある。

「はい、こちらの方がカイザーの歩き方がおかしい
と。 ファレスは体調が優れないとおっしゃっていま
す」

 漆原が畏まった態度口調で話す。 
 逆光で顔は分からないがそんなに年齢はいって
 いないだろう。
 シルエットだが近くで見ると馬上の人物はとても
 背が高いように思われる。
 
「・・・誰だ」

 今まで家族から憎しみの籠もった眼差し、言葉
 を言われ続けた雫だが、こんな殺気はなかった。
 宗之の時とも違う恐ろしさ。
 隣りにいた漆原のスーツの裾を掴み、震え耐え
 る。
 
「屋代雫さんです。 とても馬に詳しいんです。 さ
あ、雫さん」

 青い顔で震える雫を促す。
 漆原は雫の手を握りしめ大丈夫だというような瞳
 を向ける。

「あ・・・・・黒い馬は、右の前足に・・・・違和感があ
るんだと思います。 あと・・・・白い馬は、少し胃が
悪いのかも・・・・・ 休ませてあげてください・・・・」

 声までも震えてしまうが、それでも馬の為に必死
 に伝える。
 言い終わったあと、漆原がよく頑張ったというよ
 うに雫の頭を撫でた。
 その優しい手の動きに、熱いものがこみ上げてく
 る。

 漆原は会ってまだ30分も経っていない自分の言
 葉を信じてくれた。
 今までこんなに優しい手を感じた事がなかった。
 こんなに温かい手を差し伸べてもらった事も。

 特にここ数ヶ月は緊張と苦痛の毎日だった為、そ
 の手が余計温かく感じられた。
 涙がこみ上げてくる。

みっともない・・・・・

 雫は繋がれている漆原の手を両手で掴み、握り
 しめ俯いた。
 地面に零れた涙が吸い込まれていく。

 ザッという音。
 その後直ぐ低い声が。

「獣医を呼べ」

 そして俯いた雫の視線に乗馬靴が入ってきた。

 繋がれていた手がそっと離れて行く。
 その手を、漆原を視線で追う。

待って・・・・

 視界に漆原とは別な人物が入ってくる。
 ゆっくり顔を上げる。
 見上げる程の長身の男。
 広く逞しい肩。
 驚く程長い足。
 テレビで見たモデルのようだ。
 顔も全てのパーツが整っている。
 これ程まで男らしく整った顔など見た事がない。

 切れ上がった瞳はとても冷たく、暗かった。
 どうしてこれ程まで寂しい目をしているのだろう。
 今までとは違う涙が溢れる。
 
「何を泣く」

 見下ろされる瞳は鋭い。
 だが雫に怖さはなかった。
 男を見詰め首を振る。

「馬は獣医に診せる」

 口調も眼差しも変わらない。
 そんな男に、そうじゃないと首を振る。
 二人のやり取りを漆原は電話をかけながら窺っ
 ている。
 そして何故か安心した顔に。

「・・・泣くな」

 言って雫の頬を両手で挟み込み、伝う涙を指で
 拭う。
 
「泣くな」

 大きな手。
 漆原の時と同じ温かい手だ。
 だが、心がとても凍っている。
 それが感じられ雫は痛かった。
 そして何故だか分からないが、自分の事より悲
 しかった。
 この痛みを取り除きたいと思った。



 これが神崎和磨との出会いだった。





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