優しい風

(10)





 気が付くと朝だった。
 
 余りにも色々な事がいっぺんにあり過ぎて、知り
 すぎて耐えられなくなり、あの後直ぐ気を失ってし
 まったのだ。

 家族に、本当に宗之に売られてしまったという事
 実。 
 疎まれていた真相。
 戻ってから宗之と一緒に暮らさなくてはいけない
 という事。
 だが、一番の恐怖は宗之が自分にのし掛かって
 いた事。
 
 起きてみると部屋に宗之の姿はない。
 寝ていたと思われる布団は畳まれ部屋の隅に。
 身体から力が抜け布団に倒れ込んでしまう。
 宗之の存在がどれだけ自分にとって苦痛なものか
 が改めて分かる。

 なのに戻ってからは宗之と一緒に暮らす。
 考えただけで嫌悪で身体が震える。
 想像もしていなかった恐怖だ。

 目が覚めてから暫く横になっていたが、いつまで
 もそうしているわけにはいかない。
 時計を見ると既に7時だったから。
 実家にいる時の雫からは考えられない位遅い時
 間。
 皆の食事の時間は7時。
 雫が家にいる時には必ず食事を作らないといけ
 ない。
 
 慌てて着替え、下に下りる。
 皆はリビングでコーヒーを飲みながら寛ぎ、母は
 台所で朝食の用意をしている。

「すみません、遅くなりました」

 皆に謝り食事の手伝いを始める。
 だが遅くなった雫に誰一人として文句を言う者は
 いない。 
 それどころか、「手伝いはいいからゆっくりしてい
 ろ」と、父は昨日と同じ様に身体を気遣う言葉を
 かけてくる。
 兄達、宗之にも同じように。
 だがそういう訳にはいかないと雫は母を手伝う。
 食事の支度が終わるまでまだ時間が掛かる事を
 伝えると父が宗之を乗馬に誘った。
 折角だからと宗之は申し入れを受け入れた。

 父は宗之のご機嫌取りに勤しむ。
 長男も一緒に。

 3人が揃って家を出て行き、下の兄は残った。
 母に支度をお願いし、兄の元へ。
 そして母に話を聞かれないように、兄をリビング
 から連れだした。
 いつもなら雫が近づくと憎しみこもった目で見られ
 るのに。
 なのに、今朝は機嫌がいい。
 だから、思い切って聞いてみた。
 昨日宗之に言われた事が事実なのかを・・・・・

「・・・・・僕の事が憎いですか? お母さんに怪我を
負わした僕の事が。 僕の身体が弱かったせいで
お母さんが付きっきりだったのが許せなかったんで
すか?」

 言った途端兄の表情が変わる。
 今まで以上の憎悪を向けられた。



 母に具合が悪いからと言い部屋へ戻った雫。
 むき出しの憎悪、言葉に打ちのめされた。
 宗之の言った事は事実だった。
 売られた事も、何故憎まれたのかも。
 宗之に話た事はほんの一部だろう。
 兄の口からは様々な怒り、罵りの言葉が吐き出
 された。

 どの話しも雫が悪い訳ではない。
 大抵兄達が絡んでいる。
 雫のせいであったとしても、それは不可抗力。
 だが、兄達には関係ない事。
 今でこそ、そこそこ丈夫にはなったが、子供の頃
 は身体が弱い為、どうしても季節の変わり目には
 風邪をひいてしまった。 
 そして母が看病をする。
 それが気に入らなかったとも言われた。



 8時になり父達が戻って来た。
 母から雫の具合が悪いと聞いた宗之が部屋を覗
 きに来たが、布団を被っていた雫を見て寝ている
 のだと思い、声を掛けず下へ下りて行った。
 
 雫は布団の中で泣いた。
 悲しくて悲しくて、どうしようもなくて泣いた。

 それから1時間。
 たくさん泣いた雫は悲しみを吹っ切るようにして起
 きた。 
 下の部屋に行くと家族は揃っていたが宗之の姿は
 見あたらない。

 食欲はなかったが、母にこれからまた何時間もか
 け帰るのだから、何か少しでも口に入れないと又
 具合が悪くなると言われたため、仕方なくほんの
 少しだけ朝食を取る。

 とても居心地の悪い空間。
 昨日と、今日の先程までの不気味なまでの優しい
 雫の事を労っていた空間ではなくなっていた。
 いつもと変わらぬ、憎み、疎ましく思っている事が
 痛い程伝わってくる。

 下の兄から先程の事を聞いたのだろう。
 雫が全てを知っているという事を。
 だから、気遣うふりをするのを止めたのだろう。
 それに、今この場に宗之がいないのだから。

「もう分かっているだろう。 お前には、明日から稲
村の坊ちゃんの家に行ってもらう」

 食べていた箸を止める。
 宗之や、兄から聞いていたから分かっていた筈な
 のに、実際に父に言われると心が痛い。
 父の横にいる母は雫から目を逸らしている。
 やはり母は味方ではなかった。
 
「・・・・・・・・分かりました。 ごちそうさま・・・・・」

 失望と絶望に襲われた雫は、この空間から逃れよ
 うと席を立つ。
 部屋を出て行こうとすると兄達が追い打ちを掛け
 る。

 また心が壊れていく。



 雫が自室に戻って30分程経った後、宗之が部
 屋へやって来た。
 宗之といるのは嫌だが、帰りも嫌でも一緒に帰ら
 なくてはならない。
 それが早いか遅いかだけの違い。
 だから直ぐ帰る事を伝えた。

 急に帰ると言った雫に何も言わず、下の部屋、家
 族の元へ伝えに行った。
 雫も直ぐ下へ下りる。
 父達はとても残念そうな顔で宗之に挨拶をしてい
 た。
 雫は何も言わず外へ出て行く。
 その後を追うように皆が外へ。
 止められていた車の助手席のドアを宗之が開け
 雫を促し先に乗せ、自分も運転席に座る。

 宗之の方には父と下の兄が。
 そして雫側に上の兄と母が。
 二人が宗之に挨拶して気が逸れているのを確認
 し兄が小声で念を押す。

「いいか、稲村さんに媚びるんだ。 精々可愛がっ
て貰え。 そうしたら今までの事は忘れてやる。 俺
達の為にしっかりやれよ。 分かったな!」

「・・・・・・・・・・・・・」

 挨拶がすんだのか、車が動き出す。
 結局雫は最後まで口を開かなかった。
 どう思われてもいい。
 この家に帰る事はもうないのだから。 
 この景色を二度と見る事はないだろう。
 決別するかのように、雫は目を閉じた。



 家を出てから30分、宗之は一言も話さなかった。
 景色も変わり雫は目を開けて外を眺めている。
 それから30分程して宗之が話しかけてきた。
 
「戻ったら引っ越しの準備です」

 今は聞きたくない言葉。
 雫は無言で外の景色を見続ける。
 反抗的な態度の雫に構わず機嫌良く話し続ける。

「逃げようなんて思わない方がいいですよ。 逃げた
ら・・・・・ 分かってますよね?」

 逃げたら援助の話は無かったことにすると言い
 たいのだろう。
 その位分かっている。
 家族の事はもう諦めた。
 どんなに頑張っても、雫は受け入れて貰えない。

 ただ最後にこれだけは本人の口から聞いておきた
 い。
 外に向けていた視線を宗之へ移し、意を決し聞く。
 
「・・・・・・君は本当に僕の事が好きなの?」

 男同士でも、援助の為と言われても「好き」と言っ
 て貰えたら・・・・・
 そうであればまだ救われる。
 そうしたら家族の為に、宗之の元へ行こう。
 今は好きではないが、頑張って宗之の事を好きに
 なるよう努力し、一緒に生きて行こうと。

「好き?」

 言ってクスクスと笑っている。
 楽しくて仕方ないらしい。 

「最初会った時に一目惚れしたって言いましたけ
ど、そんな感情はないですね」

 あっさりと告げられた本心。
 少しだけ期待していただけに、そのショックは計り
 知れない。

「そう言った方が印象が良いでしょう。 事実悪い気
はしなかったんじゃないですか? 俺の横に居て見
劣りせず、尚かつ俺を引き立てる顔。 今までいな
かったんですよね。 この俺に相応しい顔の人が。
雫さんだけですよ。 その美貌、その肌。 性格も大
人しく、従順な人って」

 ショックを受けている雫に顔を向け囁く。
 残酷な視線が体に絡みつく。

「最高の人形にしてあげますよ。 綺麗で従順な、俺
だけの人形にね・・・・」


・・・・・・・・・もう駄目だ・・・

 心が決まった





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