優しい場所

(29)





 自殺してしまった和磨の叔父。
 何故その人物が。
 スクリーンを狩野を交互に見る。

『驚くのも無理ないよね・・・・・。 僕はそこにいる狩野と違って既
に死んでしまった』

 健二の瞳が悲しげに揺れる。
 何に対しての悲しみなのだろう。

『あの』

 声を掛けたはいいが、何を話せばいいのか分からない。
 薬を打たれていたとはいえ、心を開き、信頼していた、和磨に
 銃口を向け撃った。
 大切な和磨の心と体を傷つけた男。
 だが雫には憎む事は出来ない。
 悲しい男。

『和磨、狩野、貴章、兄さん。 みんなには本当に迷惑を掛けた
と思ってる・・・・・』

 健二のせいではない。
 体を蝕む悪魔の薬を打たれたせい。
 その過去を雫は見ていた。

あなたのせいじゃない

 言葉に出して言うのは簡単だが、雫は当事者ではない。
 それに、そんな簡単な言葉ではかたづけられない。
 皆があの事件で傷ついたのだから。

『僕が弱かったから・・・、もっと強かったらだれも傷つく事はな
かったんだ』

 その言葉に雫は静かに首を振る。
 
『誰もが皆弱い心を持っています。 それを責めることは誰であ
れ出来ないし、してはいけないと思うんです。 あなたは確かに
自らの手で命を絶ってしまいましたが、誰よりも和磨さんの幸せ
を願っていませんでしたか? いたからこそ、薬のせいでその
思いが歪められてしまった・・・・』

 その時の健二の心は分からないが、雫にはそう思えた。
 雫の言葉に健二は目を見開く。
 
『君は・・・・、君は強いね』

 眩しい物を見るかのように、健二は目を細める。
 返された言葉に雫は弱々しく首を振る。
 
『僕は、強くなんかありません・・・・。 逃げてばかりで、いつまで
も閉じこもったまま・・・・。 卑怯な人間です』

 現実から目をそらしたまま。
 このままではいけない事は分かっている。
 兄の仁志は、雫の事を刺し殺してしまいたいと思うくらいまで
 追い詰められていた。

 あの後仁志は、家族は一体どうなったのだろう。
 刃物を持つ仁志から庇ってくれた宗之は。
 心の底から悪い人間ではなかったのだと思う。
 自分が、皆が、人との接し方が下手だったのだ。

全てのタイミングが悪かっただけ

 そんなふうに思えるようになっただけでも、少しは進歩しただ
 ろうか。
 思い詰めた顔の雫に、健二が言う。

『今更だけど僕は後悔しているんだ。 自分の手で命を絶った事
を・・・・』

 両脇に下ろされている手が震えている。
 そこからも健二の強い後悔が見て取れる。

『本当なら、僕が和磨の夢の中に行って直接謝りたい。 和磨
の事は本当に可愛かった。 息子同然だったし、それは今でも
変わらないっていう事を。 でも僕は自分で自分を殺してしまっ
た。 誰に、何の償いもしないで死んでしまった。 その罰で今も
魂は救われる事なく、ここにいる・・・・・。 この地に縛り付けら
れて動くことも叶わない』

 何かの本で見た事がある。
 自らの手でその命を絶った者は、成仏することが叶わず、命
 を絶ったその場所に縛り付けられたままになるという事を。

 あれから何年も経っているが、健二は今もその場所にいるの
 だ。
 罰とはいえ、どれ程孤独であろうか。
 和磨を、健二の、その魂を救いたい。
 双方の瞳から止め処なく流れる涙。

『お願いがあるんだ』

 自分に出来る事なら何でも叶えてやりたい。

『なんでしょうか』

『和磨に伝えて欲しい・・・・』

 少し躊躇った後、“幸せになれ”と呟いた。

ああ・・・・・!

 雫は顔を両手で覆う。
 その一言にどれだけの思いが、願いが込められているだろう。
 切なくて、悲しいまでの思い。
 健二がどれだけ和磨を思い、今もどれだけ愛しているかが伝
 わってくる。

『そして、君にはお願いがあるんだ』

 声を殺して泣く雫に健二は静かに言う。
 自分以外、健二の願いを聞く事は出来ない。
 言葉を、思いを、そして願いを叶えてあげる事は、今雫しかい
 ないのだ。
 願いを聞き逃さないよう、姿を忘れないよう涙を堪えそこに映る
 健二を見る。

 願いを聞き入れようとするその真剣な眼差しに、健二も安心し
 たのか、顔に少し笑みが戻った。

『和磨を幸せにしてあげて欲しい』

 雫の目が大きく見開かれる。
 いっけん簡単そうに思えるが、それがとても難しい事である事
 を雫は知っている。
 それに、今の雫ではとても無理。
 全てから逃げ出しているのだから。
 健二も分かっているだろうが、言葉を撤回する気はないよう
 だ。
 出来る事なら聞き届けてやりたい。
 
でも・・・・・・

『今直ぐというのは無理だと思う。 君も色々な事があって気持
ちに整理がついていないだろうから。 でも勇気を持って欲しい。
君にはまだ未来がある。 僕や狩野と違って戻る事が出来るん
だ。 戻りたくても戻れない、叶えたくても叶えられない願いをど
うか叶えて欲しい』

 健二を、隣りにいる狩野を見る。

『頼む』

 狩野も同じ気持ちのようだ。
 雫は迷う。
 スクリーンに映る和磨。
 少し痩せただろうか。

【・・・・雫】

 自分の名を呼ぶ和磨。
 変わる事なく、今も和磨を愛している。
 映像に近づき手を伸ばす。

【雫さん、分かりますか。 私の声が聞こえていますか】

【雫、聞こえるか】

 お世話になった一ノ瀬や、和磨と共に献身的な介護をしてくれ
 ている深山という男。
 皆が雫の身を、心を案じ帰りを願ってくれている。

戻りたい・・・・

 和磨の頬に手を触れる。
 しかし、あの温かい熱が感じられない。

【分かりません。 ただ・・・・】

【ただ、何だ】

 映像からは途切れる事無く会話が聞こえてくる。

【あくまでも推測ですが、目覚める切っ掛けとなったのは昨夜の
出来事かもしれないですね。 雫さんに・・・・・・・】

 声を、熱を感じたいと身を寄せる。
 戻りたいと願う思いが強くなってきている為か、眠り続ける雫
 の体には様々な変化が起こっていた。
 和磨に意識が向いている雫は気付いていないようだ。

 これなら、目覚める日は近いと狩野達は確信した。


 日増しに思いが強くなる。
 その思いに、雫の体にも変化が起こる。
 
 過去ではなく、今の映像を食い入るように見つめる雫。
 その隣りで狩野も同じように見る。

 必死に雫を取り戻そうとする彼等の姿に、涙が止まらない。
 腕の良い催眠療法士まで探して、心を呼び戻そうとしてくれて
 いる。

【雫。 雫。 目を覚ませ!】
【俺を信じて戻って来い】

【思い出してください。 あなたを思う大切な人達の事を。 あなた
が大切だと思う人達の事を。 彼等が辛かった日々の事を消して
くれます。 幸せで温かい日々を与えてくれます。 だからこの声
を聞いてください】

 催眠療法士が雫に語りかける。
 彼には雫の心が見えているのか、画面越しに視線がぶつか
 る。

【あなたは両親に、家族に愛されたかった。 でも、それは叶わ
なかった・・・・。 家族の中で常に孤独で、寂しかった・・・・】

やめて・・・
言わないで!
分かってる
そんなの分かってる!

 聞きたくないと耳を塞ぐ。
 だがその声は頭に直接入り込んでくる。

『駄目だ、ちゃんと聞け!』

 拒絶する雫を狩野が叱責する。

『強くなるんだろ。 戻りたいんだろ。 それなら声を聞け!』

 震える体に勇気を与えるよう強く抱きしめてくる。
 
【確かに寂しかった・・・・。 でも思い出してください。 あなたは
一人ではなかった筈。 あなたを守り、愛してくれた人がいる事
を。 あなた自身愛した人がいた事を。 肌で、手でその人の思
いを感じて・・・・・】

【側にいる・・・・ 誰よりもお前を愛している だから、戻って来
い!】

和磨さん!

【感じる筈です。 あなたを強く愛する人の心を。 あなたが愛した
人の事を。 忘れないで。 皆が貴方の目覚めを待っているという
事を。 優しい思いをくれた筈です。 あなたに、優しい場所をくれ
た人がいる事を・・・・・】

【雫さん、戻ってきてください!】
【雫ちゃん!】

 和磨の、漆原、澤部達の強い思いが伝わってくる。
 もうそろそろ気持ちに整理をつけた方がいい。
 
『狩野さん・・・・』

 抱きしめてくれている、狩野の背中に腕を回す。
 縋り付くような仕草に、大丈夫だと優しく声を掛けてくれる。
 そろそろ別れが近づいている事を狩野は知る。





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