優しい場所

(27)





僕は卑怯だ

 死ぬ事も出来ない。
 だからと言って戻りたくもない。
 目の前に突然現れた見知らぬ男に、言葉に怯え逃げ出した自
 分。

 姿を、声を聞きたくないからと、自ら作り出した殻の中に閉じこ
 もる事で、今は全てが解決されたと思いこんでいた。
 実際、男の声も聞こえないし、和磨の姿を見る事も声も聞こえ
 なくなった。

 しかしそれは何もない空間だから聞こえないだけ。

 このまま静かに時を過ごす事が出来ればいいと思っていた。
 殻に、この空間に閉じこもり、寿命が尽きる事で一生を終えれ
 ばいいと思っていたのだ。

本当は何も考えたくないのに

 完全に心を閉ざせばそのまま眠り続けていたのだろうが、逃げ
 出す前に見てしまった和磨の姿が、声が忘れられず、殻に籠も
 っていても意識があるまま。
 だから聞こえてしまった。

 『おい! 聞こえるか』という、自分を追いかけて来た男の声を。
 殻を壊そうと力強く叩く音を。
 
放っておいて
もう、僕に構わないで・・・・

 殻の中で身を固くする。
 男がいると、より和磨の事が気になってしまう。
 心が弱いから、和磨に救いを求めたくなる。
 
駄目・・・・、そんな事出来ない

 その声が届いたのか、男の声、気配がすぐ側から消えた。
 男が消えた事で安堵するが、一度和磨の事を思い出してしまう
 と容易にその存在を消すことは出来ない。
 殻の中で和磨の事を強く思う。

和磨さん・・・
僕は貴方にとって重荷ではなかったですか・・・
僕の存在が、貴方にとって邪魔ではなかったですか・・・

 戻りたいという思いと、出来ないという思いがせめぎ合う。
 
 男が去ってからどの位時が経ったのだろう。
 数日、数年、それともまだ数時間かもしれない。
 そんな事を考えていると、殻の側に気配を感じた。
 この空間に来るとしたら、多分あの男しかいないだろう。
 その考えは正解だった。

『来たぞ』

 言って殻の中に籠もる雫に話しかけてきた。
 また戻れと言うのだろうか。
 体に力が入る。

 だが、男は戻れとは言わず、静かに語り出した。
 それは男の知る和磨の事。
 それだけではなく、他にも何時かと同じようにスクリーンも用意
 したようだ。
 和磨達の声が聞こえてくる。

【雫、お前の声が聞きたい】
【この桜をお前にも見せてやりたい】
【もし聞こえているなら、早く戻って来い】
【雫】
【雫・・・・】

ああ・・・・、和磨さん

 声を聞くと切なくて胸が苦しくなる。
 どうして、この殻は守ってくれないのだろう。
 聞きたくないのに、和磨の声を通してしまうのだろう。
 雫が本当に全てを切り離したいと思っていれば、殻も音を通さ
 ないのだが、和磨を心から追い出せず気にしているため、音を
 通してしまっているのだという事に気付いていない。

 目を閉じている雫には見る事は出来ないが、現在の和磨達を
 映すスクリーンの他にもう一つ、別なスクリーンがあるようだ。
 何故分かるかというと、側にいる男が語るから。
 今の声とは違う幼い声が、美咲を『妹』と呼び、征爾や磨梨子を
 『父』『母』と呼んでいたからだ。
 そして男も側にいた。
 和磨が生まれた時から護衛という役目についていたが、まだ
 幼い和磨にとっては、兄のような存在だった。
 幼い声で『まーにい』と呼んでいた。

 幼い頃の和磨がどんな時を過ごし、成長していったのか。
 聞こえてくる声が、男の説明が教えてくれた。
 幸せな時を過ごしていたが、声が幼いものから成長していくに
 つれ、話し方に抑揚がなくなっていった。
 
 仕方ないのかもしれない。
 幼い和磨を罵倒する声。

『神崎本家の息子だからって、なんでこの俺がこんなガキに頭下
げにゃならんのだ!』
『可愛げのねえ、ガキ』
『おい、早くしろ! こいつを人質にすれば清風会なんか潰せる』

やめて、和磨さんを傷つけないで
こんなに幼い子供を争いに巻き込まないで

 声を聞いているだけで、辛くなる。
 襲われる気配を感じる度、雫の心が締め付けられる。

『大丈夫だ、俺達がお前を守ってやる』
『誠にい』

 和磨を守る者がいたから体は傷つけられる事はなかった、心は
 確実に傷ついていた。

 雫が和磨を思えば思う程、殻は薄くなっていく。
 本人は気付いていないが、壊れ消えて無くなるのも時間の問
 題だ。

 そしてついにその時が来た。
 
『和磨、危ない!』
『くっ・・・・』!

 男の叫ぶ声と共に、苦痛に呻く和磨の声が。
 
『止めろ!』

 鬼気迫る声に、雫の瞼が開かれる。
 瞳の先には、幼い子供がナイフで斬りかかられている姿が映っ
 た。
 切り裂かれる服。
 信頼していた者の裏切り。

『やめて―――――!』

 幼い子供が和磨だと分かる。
 体を、心を傷つけないで。

【開け! 雫、俺を見ろ!】

 遠くで雫を呼ぶ声が聞こえる。
 雫が叫ぶと同時に、周りを覆っていた殻が大きな音をたて弾け
 た。
 襲われていた和磨は、目の前にいる男が刃物を持った男を
 取り押さえたためすんでの所で助かっていた。
 
よかった・・・・

 別の、現在のスクリーンに目を向けるとそこに映る雫本体にも
 変化が。
 長い間閉じたままになっていた瞼が一瞬ではあるが開かれてい
 た。

『漸く戻ったな』

 ポンと肩を軽く叩かれる。
 手の先に視線を向けると、この世界に来てから出会った男が。
 どんな態度を取ればいいのだろう。
 男は殻を打ち破って出てきた雫に、優しい微笑みを向け抱きし
 めた。
 和磨とは違う大きな体に包まれ戸惑う。

『お前、ホントに強情だな。 気の長い俺でもいい加減待ちく
たびれたぞ』

 髪をグシャグシャとかき回される。
 子供に接するような態度。
 初めての事にどんな態度をとればいいのか。
 
『よく戻った』
 
 殻から出たといっても、まだ戻りたいとは思わない。
 そんな気持ちが分かるのか、男も何も言わず、殻に籠もってい
 た時と同じようにスクリーンで和磨の今と過去を見せ思い出話
 を聞かせていた。

『和磨はな、子供らしくない子供だったんだぞ。 3歳くらいまでは
確かに可愛かった。 いつも「まーちゃん」て言いながら俺の後に
付いてきて。 なのに年を追う毎に段々可愛げがなくなって・・・。
子供と言ったらお絵かきだの、戦隊ごっこだのして遊ぶだろ。 や
るか、って聞いたら鼻で笑いやがった。 5歳の子供がフンて! 
心が広い俺は取り敢えず、顔に落書きして許してやったがな』

 思い出のスクリーンに、その時の場面が映し出される。
 青のマジックで両頬に渦巻き模様が描かれ、鼻の横には猫髭
 のような物が書かれていた。
 鏡を見てショックを受けている和磨。
 それを見て腹を抱え笑う男。
 そんな男の行動に側に控えていた組員達が激怒。
 厳つい顔の男に追いかけられ、途中から和磨を抱え走り出す。
 それを磨梨子達は微笑ましく見て。
 幸せな家族の姿に、正直羨ましく思う。

 色々な和磨を見たい、聞きたい。
 そう思っていると、隣りに座っていた男が立ち上がる。

『悪い、時間だ・・・』
 
 男は立ち上がると雫の頭に手を軽く置き、『また来る』そう一言
 残し、その場から消えた。
 男が消えると映像も消えるのかと、少し寂しく思ったが、二つの
 内の現在の和磨達が映るスクリーンはそのまま残った。
 
 そこに映る和磨は、忙しいにも拘わらず雫の側にいて、静かな
 口調で語りかけていた。
 見知らぬ男が本体の側にいて、和磨に介護やマッサージの指
 導をしていた。
 優しい手の動き。
 雫を労るその姿に、胸が締め付けられた。

僕が死ななかったために、和磨さんの負担になっている・・・・・
 
 負担を減らしたいのなら、生き返ればいいのだろう。 
 
でも・・・・

 まだ雫には勇気がなかった。
 戻ればきっと、辛い思いをするだけ。
 神崎の奥だけで暮らしていれば、悪意ある視線、言葉からは
 逃れられるだろうが、居候の立場である自分にはそんな事は出
 来ないししたくない。

 救って貰った恩を返したい。
 それには外に出て、大勢の人のと関わり合いを持つ必要があ
 る。
 一部を抜かし、人間が怖いと思っている自分に、今のままの状
 態で生き返る事など出来ないのだ。

ごめんなさい・・・・

 優しく介護する和磨の姿に、雫は静かに涙を零した。





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