2周年企画

眼鏡を買おう!
(1)





 布団から覗く素顔のままの若菜の寝顔。
 その顔は宗教画に描かれる天使のよう。

 透明感のあるきめ細かなその素肌。
 頬はバラ色に染まっている。
 幸せな夢を見ているのか、口元には微笑みを浮かべている。
 見る者を幸せにするその寝顔。

 時刻はAM7:00。

ピピピピッ、ピピピピッ、ピピピピッ

 時計のアラームが鳴る。

「う〜〜〜〜ん」

 閉じられていた瞼が、ゆっくりと持ち上がる。
 すると今までの天使のような寝顔が、一気に華やいだものへ。
 輝くばかりの美貌へと変わる。

 起きあがり、「ふう〜〜〜」と大きく伸びをしベッドから降りる。
 そして、ベッドの頭の飾り棚に置いた眼鏡を取り掛ける。
 
 するとどうだろう。
 輝くばかりの美貌が一気に薄らぼやけ、初めて見る者が「うっ!」
 と引いてしまうようなダサク、オタクな容姿と変わってしまった。

 本来の自分の姿はこちらだと思っているし、周りの事など全く気
 していないので何を言われようが特に反応がない。

 スリッパを履き、パジャマのまま部屋を出て階段を降りていくと、既
 に起き制服に着替えた弟の青葉が朝食をとっていた。
 
 今日は創立記念日。
 学校自体は休みなのだが、青葉は弓道部に入っており、近く大き
 な大会があると言っていたから、今日は早朝から練習があるよう
 だ。

 若菜自身も、今日は大親友の綾瀬と出かける約束がある。
 待ち合わせの時間は11時と少し遅めだが、何となく早めに起き
 てゆっくりしようと思ったのだ。

 若菜はそのまま部屋の前を素通りし、洗面所へ行き顔を洗う。
 まだ冷たい水で顔を洗うと、寝ぼけていた頭が漸く動き始める。 
 タオルで水を拭い、さて眼鏡を掛けようとした時「若菜〜」という
 声がしたと同時に、後ろから勢いよく青葉に抱きつかれた。

 その瞬間、しっかりと持っていなかった眼鏡が衝撃で手から落ち
 てしまった。

「あ・・・」

 拾いたいのだが、青葉に抱きつかれているのでにそれも出来な
 い。
 青葉は後ろから抱きついているので、その事に気付かない。

「おはよ〜若菜〜。 酷いよ〜俺がいるのにそのまま通り過ぎるな
んて〜」

 グリグリと髪の毛に頬擦りする。
 そしてクルッと若菜の体を回し、今度は前から抱きつく。
 されるがままの若菜。

「お早う、青葉。 休みなのに大変だね」

 ニッコリと笑う。
 当然眼鏡を掛けていないため、その笑顔は輝かんばかりのもの
 で青葉はノックアウトされる。

「若菜〜〜〜」

 ウットリとした顔。
 青葉が顔を寄せると若菜も察し、毎朝の挨拶を始める。
 
チュッチュッ

チュッチュッ

 お互いの頬にキスをする。
 物心ついた時には既にこの挨拶が、戸田家の挨拶となっていた。



 若菜が中学に入るまで海外で暮らしていた戸田家。
 家の中でも外でも、「これでもか」という程の過剰なスキンシップ。

 しかし、それがおかしいとは思っていなかった。
 家族だけではない。
 若菜の友人、そして戸田家と親しい者達全てが同じだったから。
 ただし、子供といえど家族の前でそれをやると引きはがされるの
 で、居ない場所でやっていた。

 特に酷かったのが若菜の祖父。
 顔を合わせると、皆で若菜を取り合っていた。
 
 下には紗英も青葉がいたにも拘わらず。
 しかしこの二人も、負けず果敢にも若菜争奪戦に加わっていたり
 した。

 だがいつも勝者は祖父。

 勝った祖父は、三人に見せびらかすように若菜を膝の上に乗せ
 頬擦りしお菓子等をせっせと食べさせていた。

 それを見て3人が「お祖父ちゃん狡い!」「そうだ独り占め反対!」
 「若菜こっちへおいで」などと喚き。

 勝者の祖父は「フフン」と鼻で笑い「ほら若菜美味しいぞ、あ〜ん」

 食べさせてチュ
 口の周りを拭いてチュ
 紅茶を飲ませてチュ
  チュッチュッチュッと頬にキスをしていた。

「ぎゃ〜〜親父止めろ〜!}
「や〜、お祖父ちゃん」
「若菜が汚れる〜〜」

 最後の青葉の一言にはさずがムッとしたらしく「なんだその言いぐ
 さは。 青葉、小遣いなし」

 と言われ、青葉は「うぎゃ〜」と頭を抱えていたが。

 兎に角スキンシップのそれはもう激しい事。

 母は一人、離れた場所におり「あらあら。 お母さんの入る隙間が
 ないわね〜」と呑気に言っていた。

 若菜に「もうお膝から降りていい?」と言われるまで続けられた。
 渋々若菜を降ろすと、若菜は三人の元へ行き、それぞれの頬に
 「チュチュ」とキスをして「みんな大好き」と微笑み皆をメロメロに
 しその場を収めるのだ。

 その後、祖父がいなくなってから三人が競って チュッチュッ チュ
 ッチュッ



 若菜にはこれが普通だった。

 しかし、これを恋人である貴章が知ったら・・・・・
 激怒するのは目に見えている。
 嫉妬にかられ若菜を攫って、誰の目にも触れさせないよう、仕舞
 い込んでしまうかもしれない。

 若菜はそのことを全く分かっていない。
 
 挨拶が終わり、若菜が青葉に向かいニッコリ笑う。

くぅそぉぉぉ〜〜う、なんでこんなに可愛いんだ〜〜

 ギュゥ〜〜〜〜と抱きしめる。

「く、苦しい青葉・・・・・」

今までも綺麗だったけど、ここ半年で美貌が2割り増しだし。
その半年っていうのも、あの憎っくき久我山貴章の出現と重なる
ところが腹立たしい!
俺の若菜が、あんな奴の毒牙にかかるなんて〜
いや、まだ半年!

「危ないよ、青葉」

 聞こえていない。

まだまだ別れさせられる。
待ってろ若菜〜〜〜

 更に力を込め若菜を押す。
 若菜の体が一歩下がる。
 青葉が一歩進む。

「危ないってば」

 また若菜が一歩。

「眼鏡が!」

え、眼鏡?

 そして青葉が一歩進んだ時に「バキッ」という音が。
 何かを踏んだらしい。

「あ・・・・・・」

 以外と落ち着いた若菜の声。

 足下でした嫌な音。

眼鏡と言っていたような・・・・・

 途端汗がダラダラと流れ出る。
 恐る恐る足下を見る青葉。
 スリッパの下から、何か細い物が覗いている。

ま、まさか・・・・・
やっぱり?

 ゆっくりと足をどかすと、あの鼈甲のダサイ若菜の眼鏡が、青葉の
 体重で押しつぶされ見るも無惨な姿になっていた。

「ひぃぃぃ―――――――!」

 青葉は両手を頬に当て、ムンクと化してした。

あ・・・・壊れちゃった・・・

 ムンクになり固まっている青葉は放っておき、その場にしゃがむ。

 若菜愛用の鼈甲眼鏡のフレームは、それは見事に破壊されてい
 た。
 若菜が踏んでも壊れる事には違いないが、若菜より身長体重も
 ある青葉に踏まれては一溜まりもない。

 せめてレンズでも無事であればと思ったのだが、こちらも綺麗に
 割れていた。
 ガラスと違いプラスチックだから粉々ではないが、二度と使い物に
 ならない事だけは確かだ。

 破片を手に取りどうした物かと悩むが、壊れてしまった物は仕方
 ない。
 青葉に怪我がなかった事が幸いだ。

 眼鏡がないから見えづらいが全く見えないわけではない。
 それに家の中なら別に眼鏡がなくともなんともない。

 大きな破片を拾い一旦洗面所から移動する。
 
 ゴミとなった眼鏡を捨てるべくキッチンへ。
 キッチンには母佐織がおり、起きて来た若菜に気付いて朝食の
 準備をしていた。

「お早う、若菜ちゃん。 あら、それどうしたの?」

 若菜の手元残骸に気付いたようだ。

「お早う、お母さん。 眼鏡壊れちゃって。 不燃ゴミの袋何処?」

「え!? 眼鏡が壊れたの?」

 母佐織の顔色が変わる。
 普段はおっとりし、余程の事がない限り動じる事のない佐織だが
 若菜の眼鏡に関しては敏感である。
 
 若菜の美貌を隠し守ってくれる大切なアイテムなのだ。
 その眼鏡が壊れたとなれば一大事。
 どうしたものかと、お玉を手にウロウロキッチンを動き回る。

 焦る佐織を余所に、のんびりと若菜が「大丈夫、予備があるから」
 と答えた事で、取り敢えずその場が収まった。

「今回はまだ出してないから、そこの引き出しから袋出して。 でも
どうしたの、影も形もないけど」

「うん、僕が眼鏡落とした所を青葉が踏んじゃったの。 でも青葉に
怪我はないから安心して」

 簡単に説明する。
 眼鏡を落としたのは青葉が抱きついたからに違いないと確信し
 た。
 そうでなければ、かなりうっかり者だが眼鏡だけは大切に扱って
 いる若菜が壊す訳がないのだ。
 後で十分に注意しておかなければと、佐織は思った。
 でも誰も怪我をしなくて良かったと一安心。

「そう。 怪我がないなら良かったわ。 それで青葉は? もう家を
出たのかしら?」

「うん? 青葉なら洗面所で『ムンクの叫び』してる」

「あら素敵。 お母さんも見たいわ」

 すっかり安心したので、二人でかなり呑気な会話をしている。
 若菜は眼鏡の残骸を袋に入れ、母とも朝のご挨拶を交わす。
 そして母は気付いた。

「30分過ぎてる・・・・ 大変青葉遅刻だわ、若菜ちゃん教えてきて
あげて」

 あまり焦った様子ではない母。

 時計を見るとAM7:45。

ホントだ15分もオーバーだ。
青葉に教えてあげよ〜
あ、その前に掃除機、掃除機〜

 こちらもかなりマイペースだった。
 
 母と挨拶をし、掃除機を取りに行っていてそれなりに時間が経っ
 ているのに、まだ青葉は洗面所にいてムンクのまま。

「あ・・・・・」

 掃除機の事で頭が一杯で、青葉に時間を教えるのを忘れてい
 た。

「青葉、時間過ぎてるよ。 青葉、遅刻」

 今更遅刻だと教えても遅いのだが、言わないよりはましだろう。
 洗面所に体の大きな青葉がいては掃除の邪魔なのだ。
 早く退いてもらわないとかたづける事が出来ないのだ。

 遅刻という言葉に我に返る。

「はっ、今何時?!」

「さっき時計見たら45分だったけど、あれから5分は過ぎてるだろ
うから50分?」

「うぎゃ―――! 完璧に遅刻だ―!」

 頭に手を当て叫ぶ青葉。
 さっきから騒がしい。
 学校で見かける、今年高一とは思えない程落ち着き堂々とした
 青葉とはえらい違いだ。
 若菜にとっては可愛い弟でしかない。
 が、今は邪魔。

「早く行った方がいいよ。 遅刻すると練習量が倍になるんでしょ?
それに、青葉が退いてくれないと掃除出来なんだけど」

 自分の置かれた状況を把握する。
 こんな事をしている場合ではないのだが・・・・・

「若菜眼鏡は?」

 掃除機を持つ若菜の肩をガシッと掴む。
 練習が倍になるのは嫌だが、それよりもなによりも今一番大切な
 事は若菜の眼鏡。

 若菜を災害から守ってくれる大切な眼鏡。
 掛けているのといないのでは大きな違いがあるのだ。

 あの眼鏡を掛けていない若菜は、言葉で表す事の出来ない程の
 美貌なのだ。
 その美貌を見て不埒な輩が出ないとも限らない。

いや、ずぇ〜〜ったい現れる!
ダメだダメだ〜

 若菜に群がるまだ見ぬ害虫達を睨み付けているのだが、実際に
 は若菜の事を思い切り睨んでいた。

 ここに戸田家以外の者が居たならば、確実に怯えるだろうその
 迫力。
 しかし青葉がどんなに睨もうとも可愛い弟。
 若菜には微笑ましく見えるるだけ。

 『今日も青葉燃えてるな〜』くらいにしか感じない。

 だから今もニッコリ笑って「ん? 予備があるから大丈夫」と言う。

 「予備がある」との言葉に取り敢えず一安心。

「ホントに? ホントにあるんだろうな!」

 時々大ボケをかます若菜。
 しつこいくらい聞いておかないと安心できないのだ。

「大丈夫だよ〜、心配性だな」

 笑い青葉の肩を叩く。

「ほら急いで」

 何だか納得出来ない青葉。
 ここまで念を押して大丈夫だと言うのだから、その言葉を信用す
 る。
 後ろ髪を引かれながら急いで玄関へ行く。
 それをお見送りする若菜。
 ドアを開け一歩出たと思ったら立ち止まりふり返る。

「帰ったら一緒に眼鏡買いに行こうな!」

 一言残し慌てて出て行った。

「もう、心配性なんだから。 予備の眼鏡があるんだから大丈夫だ
ってば」

 階段を上り部屋へ眼鏡を取りに行く。
 

「眼鏡、眼鏡。 ・・・・・あれ?」

 あるはずの眼鏡がない。

机の引き出しに入れてあったのにどうして?

「う〜〜〜〜ん」

 顎に手を当て考え込む。

「むむむむむぅ〜〜〜〜〜」

 眉間に皺が寄る。

「そうだ!」

 思い出しポンと手を叩く。
 春に誘拐された時、誘拐犯に投げ飛ばされてフレームにヒビが
 入り、その何日か後に壊れて事を思い出した。

 同じフレームとレンズの度数も全く変わらない物だったから、すっ
 かり忘れていたのだ。

「・・・・・・・・ま、いっか」

 壊れてしまった物は仕方ないし、予備がないのも仕方ない。
 焦った所でない物はないのだから。

 今日は綾瀬と出かける事になっていたが、眼鏡がなくともコンタ
 クトがある。
 どちらにしても眼鏡を作りに行く為には、素顔を晒したままで行
 かなくてはならない。

 常日頃から「絶対眼鏡を外すな」と言われてはいたが、今回は
 ちゃんとした理由があるのだから大丈夫と勝手に決めた。

みんなに僕って分からなければいいんだし〜
変装すれば大丈夫!

 出かけるのを取りやめるという選択肢は、若菜の中にはなかっ
 た。

 そうと決まれば「コンタクト〜」と引き出しの中から使い捨てコン
 タクトを取り出し洗面所へと向かった。
 戻った時、洗面所の掃除を忘れていた事に気付いた。





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